第8話
車から降りると、造龍寺がさっさとビルのエントランスに歩いて行ってしまった。
倫之助はそれを追いかけてエントランスに入ると、そこは屋上までの吹き抜けで、光がそのまま差し込んできている。
その太陽光に目を細めるていると、造龍寺に「どうして吹き抜けになっているか分かるか」と問われた。
「え……。いえ」
「見えるのさ。見える奴にはな」
何が、と問うことは愚問だろう。
風彼此使いのなかには、攻撃方面だけではなく、感覚方面に特化した者もいる。
ここを襲う陰鬼もいるからこそ――このビルの周りは何もない。
この辺りはまるで工事の途中のような、所々土がえぐれてしまっている場所が多い。
その中にぽつんと建っているビルは、どこか不気味に見える。
「沢瀉さんはここにはいないぜ」
「知っています」
父親は、ここにはいない。
もっと安全な場所にいる。沢瀉峰次は、上部の班を束ねる、五光班という班に所属しているが、実際は具体的に何をしているのか分からない。
上部の班は三班あり、猪班、鹿班、蝶班と分かれている。
すべて合わせて
何故かは知らないが、対陰鬼総合機関は花札の役の名になっている。
「じゃ、蝶班の班長に挨拶をしに行くかね。ああ、名前は糸巻さんって言って……女だけど、聞いたことあるだろ?」
「ああ……はい」
糸巻うい。
僅か20代で蝶班の班長になったという天才風彼此使いで、会った事はないが、かなりの美人だと噂だ。
このビルは10階建てで、その最上階に糸巻がいると聞かされる。
ここには万が一の事に備えてエレベーターはない。
エスカレーターで移動しなければならないため、時間がかかる。
ようやく10階に着くと真ん中がくりぬかれた、円形のホールになっていた。
その円形のホールにはそれぞれ、3つの部屋があって、猪鹿蝶の班長の部屋になっているという。
造龍寺がノックをすると、すぐに返事が来た。
「失礼します」
彼に背中を押され、しぶしぶ中に入ると、こちらに背中を向けた、髪の長い女性――糸巻ういが立っている。
髪の色を抜いているのか、その髪はひどく明るい。
軽くウエーブかかっていて、こちらに背を向けている間には今どきの若者風の格好だ。
「ようこそ。蝶班へ。沢瀉倫之助くん」
くるりとこちらを向くと、彼女はにこりと微笑んでみせた。
その顔立ちは優しそうで、美人と言われるにふさわしい。
「私が糸巻うい。蝶班の班長をしているわ」
「どうも、よろしくお願いします」
ぼんやりとした声で挨拶をしたあと、糸巻がくすりと笑う。
「ふふ……。とりあえず、今日から一週間はあなたの実力の査定をさせてもらうわ」
「……とりあえず、ですか。分かりました」
「じゃ、あなたの部屋はもう
「寮、ですか」
「ええ。ここは地下に職員寮も併設されているの。まあ、内装は好きなようにしてもいいから、好きにしてちょうだい」
はあ、と曖昧に頷いて見せると、造龍寺に連れられて今度は地下に連れていかれる。
ずいぶん距離があって効率が悪いが、このビルの設計上仕方がないだろう。
先にエスカレーターに乗っている造龍寺の背中を見下ろす。
「造龍寺さん」
「ん?」
「どうして、先に寮なんか用意されているんです」
「そんなの、あんまり意味ない事だ。このビルは、いつ新参者が来てもいいように、常に新しい部屋を用意してあるのさ」
「……そうですか」
嘘はついていない。
――もっとも、ついても意味のないことだろうが。
「毎日掃除したかいがあったってもんだ。俺は掃除当番じゃないけど」
含み笑いのような、不気味な笑みをこぼしているうちに、とうとう地下についた。
窓は無論ありはしない。
所々に緑――観葉植物だろうか、それがぽつりぽつりある程度だ。
「おまえの部屋は俺の部屋の隣。よろしくな、
すっと手を出してくる。
その手をとる前に、聞き捨てならない単語を聞いた。
「相棒?」
「ああ。まあ、バディだな。蝶班は基本、バディで行動する。一人で行動すれば、もし陰鬼に出くわしても連絡が遅れる。一人じゃ太刀打ちできない場合もある。バディで行動した方が得ってわけだ」
「はあ、……そうですか」
あいまいに頷くと、無理やり手をつかんでぶんぶんと固く握手をさせられる。
それにしても初めて聞いた。
しかし、ふつうに考えれば単体で行動するより二人組で行動した方が何かと便利かもしれない。
「じゃあな。また夕飯の時間になったら呼びに来る。その間に、荷物整理しとけ。家からの荷物は明日、おまえの家に行ってから引っ越しだ」
「わかりました……」
とんとん拍子に話が進んでゆく。
――まあ、今に始まったことではないか。
木でできている扉を引くと、一人で生活するには広い空間があった。
2LDKだろうか。ダイニングキッチンさえも併設されている。
立ちすくんでいても仕方がない。
重い足を無理やり引きずって、リビングに置かれている本棚と机に教科書を並べる。
「……」
目まぐるしく変わる日々。
不変なものなど、どこにもない。
だからこそ、何事も意味がないものなどどこにもない。
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