二日月

第7話

 数時間後、対陰鬼機関の車がグラウンドに止まり、殺された男子生徒を運び出していった。

 生徒たちは皆、それぞれの教室に戻り、まるで不安を取り去るように固まっている。

 それはそうだろう。

 生徒一人、殺されたのだから。


 その中に、倫之助はいない。



「――はぁ」


 校長室に呼び出された倫之助は学園長の前に立たされている。

 気の抜けたような声をした倫之助を、もう一度学園長が繰り返す。


「君を引き抜きたいと、対陰鬼総合機関の方がおっしゃっている」

「でも俺はまだ二年生ですし」

「勉強は機関でもできる。――私としても、君の事情も知っているし、ぜひとも――明日にでも就職してもらいたいのだ」


 事情。

 倫之助は知らず知らず苦々しい顔になって、目を伏せた。


「……急ですね」

「それほど、向こうも急を要しているんだ」

「まあ……俺はどっちでもいいんですけど」

「……まあ、お父上の事もあるだろうから、私から伝えておこう」

「はあ」


 白髪まじりでわずかなしわのある学園長は、すぐに机の上の電話に向かった。

 ――本当に急いでいるらしい。

 何故かはわからないが、向こうも人手不足なのだろう。


 学園長が背中を丸めて電話で何かを話している。

 その途中、校長室の扉をノックする音が聞こえた。


 隅に丸まるように立っていた小太りの体格の校長は、あわてて扉を開ける。

 ぼんやりとそれを眺めていると、扉からは背の高い、痩身の男が入ってきた。


「……」


 口には煙草をくわえ、目つきが異様に鋭いその男は梅雨のこの蒸し暑い時期によれよれのスーツの上にコートを着込んで、のそりと校長の前に進み出た。


「どうも、対陰鬼総合機関――蝶班の造龍寺ゾウリュウジです」


 蝶班――。

 聞いたことがある。

 機関はいくつかの班に分かれていて、蝶はその中の上部だと。


「……俺が、蝶班に?」

「おう」


 造龍寺が煙草をようやく手に取って、軽く頷いた。

 彼の細い目は、まっすぐに倫之助へと向けられている。その顔はひどく整っていて、それでもどこか好戦的な目の色をしていた。

 暑くないのだろうかとぼんやり思っていると、造龍寺は、にっ、と笑い、コートのポケットに手を突っ込んだ。

 ようやく電話が終わった学園長は、倫之助を見据え、「君のお父上は同意したようだ」とうなずく。


「……そうですか。まあ、そう言うだろうと思っていましたけどね。……まあ、いいです。遅いか早いかの問題でしょうから」

「そうこなくっちゃな。蝶班なんて、そうそうなれるもんじゃねぇよ?」


 煙草を携帯吸殻入れに入れると造龍時は、にいっと笑った。

 髪の毛はあちこち跳ねていて、決して清潔感があるとは思えないが、倫之助が言えることではない。


「いやはや、私が生きているうちにその若さでこの学校から、蝶班に入る生徒を見れるとは……」


 学園長はどこか満足げに頷いている。

 自分の事ではないというのに。この男はどこか調子のいいところがあるかもしれない。

 別にいいのだが。


「じゃ、荷物持ってきて。教科書は……まあ、あとでいいか。とりあえず、鞄と、すぐに必要になるもんだけでいいな」


 造龍寺が急かすように倫之助の背を押す。

 今からか、と口のなかで呟くが、声になることはなかった。


 廊下に出ると、そこは葬式のような空気をしていた。

 仕方がないと思うも、それはこの学園に入学した時から覚悟しなければならない事なのだから、どうしようもない。

 分かっている。

 倫之助自身も、そうそうのんきに生きていけないであろうという事を。

 風彼此カザビシ使いは、大体――80パーセントの者は、布団の上では死ねない。

 それは、この学園に入学してから初めに教わったことだ。

 それに怖気づいて、自ら志願退学した者もいた。

 風彼此を使えるものは全員、この学園に入らねばならないというわけではないのだから。

 しかしこの学園を卒業しない者は、風彼此を一切使うことを許されない。

 もしも、使ったことが分かったら拘留される。

 それが次に教わったことだ。


 教室の扉を開けると、一斉にこちらを見る目があった。

 皆、恐怖に染められた目をしている。


 造龍寺は、ひとつ咳払いをして、教室の中に入ってゆく。


「あー、このたびは、大変だったな。俺は対陰鬼総合機関、蝶班の造龍寺だ」


 一瞬にして教室のなかの空気が変わった。

 細い声で、蝶班、と繰り返し囁いている。


「今日あった事は、毎日起こっていることだ。それを忘れんように。それと――今日はこいつ――沢瀉倫之助を蝶班で引く抜くことにした。異論はあるまい」


 しんと静まり返った教室のなかは、嫉妬をしている者と納得している者が半々に見える。

 その中にいた馨はふいと倫之助から視線を外して、そのまま目を閉じた。


「じゃあ、倫之助。別れの挨拶を」

「え、あー、二年間、どうもお世話になりました。また、向こうで会いましょう」


 あたりさわりのない言葉を無理やり吐き出すと、ロッカーから鞄を出して、そのまま教室を出た。





 後戻りは、もうできはしない。

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