第6話

 屋上にいる半蔵は、手すりから身を乗り出して出現したクイーンを見下ろした。

 ちいさく舌打ちをし、手すりからひょい、と屋上から飛び降りる・・・・・

 4階建ての校舎は、お世辞にも低いとは言えない。

 びゅうびゅうと頬を叩くすこしだけ長い髪を無視して、無慈悲に近づいてくる地面を見ても顔色一つ変えず、グラウンドに音もなく着地した。

 その手には半蔵の、槍型の風彼此――六連星ムツラボシが握られている。


 梅雨の湿った空気がすさまじい速さで走る半蔵の頬を撫でてゆく。


 教師がクイーンに向かって風彼此を突き立てているも、絡新婦のひどく長い前足で吹っ飛ばされ、グラウンドに叩きつけられた。


 倫之助は数人しかいない教師陣のなかに紛れ込んで、ただ突っ立っている。

 生徒たちは避難させているものの、成績――天を狙っている生徒は震えながらも自らの風彼此を握りしめているが、とてもではないが太刀打ちできないだろう。


「坊ちゃん!」

「ああ……うん」


 雲で遮られた太陽に手に持った楊貴妃が反射して、鈍く輝いている。

 眼鏡を押し上げて息を吐き出すと、一歩、足を踏み出した。


「お、沢瀉君! 何をしているの、下がりなさい!」


 女教師が満身創痍ながらも叫ぶが、倫之助はゆっくりとクイーンへ向かう。

 耳を裂くようなけたたましい絡新婦の咆哮にも、倫之助は立ちすくむこともない。


「大旦那様は天をひとつくらいとっておけと仰っていますが」

「うーん。仕方がないなあ……」


 絡新婦はこちらに気づいたのか、ぐるり、と顔をこちらに向けた。

 ひどく裂けた血がこびりついたままの口から、蜘蛛糸を吐き出す。

 それはまっすぐに倫之助に向かうが、楊貴妃がそれを容易く切り裂いた。


「……行こうか。楊貴妃」


 ぼっ、と音がして楊貴妃から白い冷気が噴き出る。それは倫之助の周りをたゆたい、ゆらゆらと揺れた。

 走りだす倫之助の周りからつかず離れず、人魂のようなそれは揺らめいている。


「待ちなさい、沢瀉君!」

「まあまあ、ここは坊ちゃんにお任せください」


 走り寄ろうとする教師を半蔵が制す。

 女教師は、彼の顔を見た途端顔を赤らめたが、半蔵はじっと己の主人を見つめた。


「………」


 絡新婦の発達した鋭い爪が倫之助に振りかざすが、それを背を低めて避ける。

 ぶん、と前足が風を切り、それをも一歩、足を引いて避けた。

 そのまま絡新婦の攻撃を避け続けるが、倫之助は一向に攻めない。

 ただただ冷気でできた人魂がゆらゆらと揺れるだけだ。


 負傷した生徒たちは、ただただ避け続ける倫之助をぽかん、と見つめている。


 動きが速い。速すぎる。


 その中に馨もいて、ただ呆然としていた。

 あんなに目立たなくて、成績だってそれなりだった倫之助が。


「沢瀉くん……。避けてばかりじゃ勝てないわよ」


 呆然としたまま、一人つぶやく。


 ひょいひょいとぼんやりと避け続ける倫之助の目は、一点だけに向けられていた。

 それは絡新婦の首。


 その時人魂が、じじっ、と何かを焦がすような音をさせて、変化する。

 それは徐々に徐々に――ある形へと生成された。


 刀。


 さまざまな形をした刃、真っ白な刀身が3本、宙に浮いている。


「………」


 ぴたり、と倫之助が立ち止まった。

 まるで蛇が威嚇するような咆哮をさせて、絡新婦の腕が倫之助へと襲い掛かる――が、彼はぼんやりとその足を見上げている。

 だが、その眼は――なにかを確信した色を滲ます。


 ぶつっ、と音をさせ、絡新婦の腕が千切れ、宙に舞ってやがて――グラウンドに突き刺さった。


 見えなかった。

 楊貴妃をふるう事なく、抜刀・・する事もなく、ただそれがはじけ飛んだのだ。


「な……っ」


 馨が息をのむ。

 だが、それだけではなかった。痛みにのたうち回る絡新婦は怒り狂い、倫之助の頭を食いちぎろうとひどく裂けた口を恐ろしいスピードで倫之助へ襲い掛かる。


 しかし――血を吹きだしたのは、倫之助のものではなく。

 絶叫。

 白い刃が、絡新婦の口を真っ二つに裂いたのだ。


「あと一本」


 倫之助が誰にも聞こえぬ声で囁くと、柄に房がついた真っ白な日本刀が、絡新婦の青白い首に突き刺さる。


 ――勝負は、最初からなかった。


 教師たちは、そう思ってしまっていた。

 倫之助――沢瀉倫之助は、化け物だ。

 そう、確信している。


 まるでピンで止められた昆虫標本のように、絡新婦は息絶えていた。

 裂けた口からは血を流し、目はまるで膿んだような黄色をしている。

 完全に――死んでいる。


 学年主任がよろよろとした足取りで、絡新婦の近くへと近づく。

 そのほかの教師は、対陰鬼総合機関へ電話しているようだ。


「ふぅ」

「坊ちゃん、流石ですね。これで天も確実でしょう。大旦那様もきっとお喜びになります」


 ため息を吐き出した倫之助に首を垂れた半蔵は、まるで自分が天を取ったかのように嬉しそうだ。

 しかし、倫之助はそうでもないのか、浮かない顔だが。


 遠巻きから見ている生徒たちは、「なんで沢瀉が……」などと囁いている。


「やれやれ、いつの時代でもいるものですね。ああいう嫉妬ばっかりする生徒」

「うーん……。どうでもいいよ、そんな事」


 ぼりぼりと頭を掻いてから、倫之助は生徒たちが集まる固まりへと足を向けた。

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