第5話
「……そうか。ご苦労だった」
沢瀉の家の当主――沢瀉
その溜息は安堵でも感心でもなく、呆れたとでも言うかのようなものだった。
首を垂れた半蔵はただ何も言わず、今日の報告をした後、沈黙を守っている。
「甘い奴だな。相変わらず。眼前の敵に失神する風彼此使いなど、捨て置けばいいものを」
「………」
心底呆れた、とでも言うかのような言葉に、首を垂れたままの半蔵はうつむき、苦笑いを浮かべた。
峰次はこういう男だ。
(まあ、それでもいいさ。――俺は、坊ちゃんが無事ならそれで。)
そこには、妄信的な半蔵の姿しかなかった。
自分の主人である倫之助。彼さえ無事ならば、それでいい。
服部半蔵正成はこういう男だった。
数日後、紫剣総合学園の教師たちが眠らせた陰鬼を駆逐するため、実践授業が行われることになった。
陰鬼は学園のグラウンドに封印されており、それを解くことによって二年生――倫之助たちが駆逐する事になる。
グラウンドに集まった二年生、約100人は、みな緊張した面持ちで教師の言葉を聞いていた。
「無理だと判断した場合、すぐに戦線離脱しなさい。また、怪我をした場合も同じだ。分かったな」
学年主任がひどく険しい表情でうなずくと、グラウンドの真ん中、封印された陰鬼を解き放つため、準備に取り掛かる。
生徒たちはある種の不安感を拭い去るため、小声で話し始めた。
「私、すごく緊張してきた……。うまくできなかったらどうしよう……」
「俺も。でも、この実践で上手くできたら確か、天になるんだろ?」
「うん。最高の天」
天の次はA、B、C、D、E、となっていて、最下点のEを取れば、補習、ということになる。
その補習はひどく厳しく、生徒たちから恐れられているらしい。
「………」
その中で倫之助はただぼんやりとしているだけで、何を考えているのかはたから見ても分からない。ただ、その倫之助をじっと見つめているのは、馨だった。
あの日、何故か病院で目が覚めた馨は、その日の放課後の事がまったく覚えていなかったのだ。
まるで、そこだけ吸い取られたように。
だが、――倫之助がいたような、そんな気がした。
気がするだけで本当かどうか、決定的な証拠はない。
「……」
そのうち馨は顔をそらせて、これから起こる陰鬼の出現に身をこわばらせた。
(しっかりしなきゃ。私の成績はオールAなんだから。)
そう言い聞かせて、頷いて見せる。
「それでは、これから対陰鬼実践授業を始める!」
教師が自身の風彼此をグラウンドに突き立てると、そこから黒い霧がグラウンドを覆い始めた。
生徒たちは自らの風彼此を抜刀し、固唾をのんでその出現し始めた陰鬼を睨み付ける。
「では、始め!!」
黒い霧から現れた陰鬼は中型で、2メートルほどの蜘蛛――。長い髪をゆるく結い上げている、絡新婦だ。
肌は青白く、目玉は殺気に赤く染まっていて、更に口は口裂け女のように裂けている。
蜘蛛の体は黄色と黒のまだらで、毒蜘蛛によく似ていた。
その絡新婦は全部で30匹いるが、そのどれもが人間のように顔立ちが違う。
「……はぁ」
群れをなして絡新婦へ走ってゆく生徒たちを見送った倫之助は、自らの風彼此――楊貴妃を握りしめ、ため息を吐き出した。
ため息の意味は面倒くさい、というわけでも、蟻のように群がる生徒たちを嘲笑しているわけでもない。
ただ、呆れただけだ。
校舎の屋上に半蔵がいたが故に。
「どれだけ過保護なのか……」
「こらぁ! 沢瀉! なにのんびりしてる!」
楊貴妃を握りしめ、歩いて絡新婦たちへ向かっていくと、教師から怒鳴られてしまった。
残った絡新婦の数を見て数えると、残りあと5匹ほどになってしまっている。
これなら出る幕はないだろう。
そもそも100人余対30匹だ。実践の意味がないのではないか。
仕方がないのでクラスメイトが固まっている場所へ走りよった直後、倫之助の足元に何かが転がってくる。
――悲鳴が聞こえた。
「………」
倫之助のぼんやりとした目が見開かれる。
ごろごろと転がってきたのは、人間の首だった。
表情はない。
ただあんぐりと口を開けて、呆然としているだけだ。
何が起きたのか分からないままだったのだろう。
きゃああああ、という悲鳴や、男子生徒の戸惑ったような悲鳴が倫之助の耳朶を襲う。
蟻が散ったように生徒たちが逃げまどっているなか、倫之助はただ
「……。絡新婦……」
それはまぎれもなく、普通の絡新婦だ。
ぼんやりと絡新婦を見上げていると、教師の怒号が聞こえてくる。
「沢瀉!! 逃げろ! そいつは……
時折、同じタイプ、同じ大きさで桁外れの力をもつ陰鬼が出ることがあった。
それが、今目の前にいる陰鬼なのだ。
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