星々

姫百合しふぉん

星々

賢者と呼ばれるようになってから長い時間が経ったわけではない。私は両親を幼いころに戦で亡くしたため成人する前から一人の師について、その下で様々な学問を修めてきた。文法、論理、修辞。幾何、算術、天文、音楽。そしてその上にある機械的技術、薬草、そして哲学的問答。これらを修める事が出来たのはひとえに私の師のおかげである。その師は、私が成年して程なくしてこの世を去ってしまったから、彼が冠していた賢者の名を引き継いだだけに過ぎない。さて、私がまだ物心もついていないころから、そして新たな血としてこの世界の一員となる前から続いている戦は終わることを知らない。人の欲、それ自体が悪であるとは私は思っていない。我が師がよく言っていたように、それは水であり川であるという捉え方が最も正しいと今でも思っている。その水は人に活力を与え、そして大地に生命の流れを染み込ませ草木を育み、それもまた人を豊かにする。しかしながら、溢れてしまったそれは丁度濁流が村や町を飲み込み、己が築き上げてきた絵画として切り取ることが難しい風景を、またどれ一つとして同じものがない生命の営みを破壊しつくす。剣、槍、弓、それはその濁流に立ち向かうための武器であり、盾、鎧そして兜はその流れから己を命を守るための防具である。戦の道具、ただそれに意思はなく我々が使うものだ、それを投げ捨てて土色に濁った怒濤に飲み込まれることは形を変えた自死に過ぎない。この歴史の中で自然に、ある種の必然性を持って生まれてきたそれ自体を憎むことは愚かだ。この自然の中に存在するものはすべて必然であり、あるがままに理解をしなければならない。鳥に羽があるように、熟した果実が地に落ちるように、我々の欲というものは身体の内側から泉のように湧き出し、ある時は氾濫を起こしこの世に争い事を齎す。修めてきた種々の学問というものは、決してそれを無にしようとするものではなく、治水を行うものである。賢者の名を継ぐ私は、群雄割拠の時代において一人の仕えるべき王を見出し、この世の河川を治めていく使命があると考えている。


糸を紡ぎ、それを以て織物を作るがごとく、無地の時の流れの上に歴史というものが描かれていく。その帯の上に己の色を塗ろうと思う者、生地を食い破ろうとする者、残念ながらそんな不自然な王と呼ぶべきではない者たちにしか私は生きてきた中で出会ったことがない。王は、王となる。国は血肉を確かに持った肉体であり、ただそれを率いるもの自体が国というわけではない。その事を理解せずに己の血を流し、その一部だけに栄養を送り手足を壊死させようとしている者にしかまだ出会えていないのだ。私はこの流浪の旅をいつまで続ければよいのだろうか。


そんな宛てのない旅はこの国で終えることができるのだろうか。思えば、人が生きることそれ自体がそうだとも言えるのだが、心の旅は身体が朽ちて大地になるまで続くとしても、身体には住処があるはずだ。眼前に広がるのは旅人を威圧する城壁。兵に招かれて中に入れば、どこまでも続く直線で区切られた道。それは王の住まいまで口を広げて私を招いており、脇にそれる道が生物の身体のように曲がっている場所など少なくとも私の目では見つけることができない。青い空から直線で切り抜かれた白亜の家が整然と立ち並んでいる。この地が豊かな土地であることを差し引いてもそこには餓えた民などおらず―――もしかしたらこの国のほかの街にまで足を延ばせばいるのかもしれないのではあるが、それを否定させるような画一的な街並み、つまりは過度に大きすぎる邸宅もないのだ。兵に聞けば、この国では美しい王の下、富はすべて分配されているというのだ。しかしながらそのような夢物語なのあるのだろうか、あまりにも絵画的で、乱れのない街並みはもはや人が作ったものとは思えない、むしろただの創作の中に迷い込んでしまったような作り物であるというよう感じさえ受けるのだ。街を歩く民の笑顔、それすらも人形が生を受けて民のふりをしているようにさえ感じてしまう。人々の笑顔は確かに暖かいのだが、私の心はどこか寒風に吹かれている感覚であり、得体の知れない恐怖、それこそ姿のない肉食獣に睨まれているようなそんな感覚であった。


王宮の門が開き私を出迎えてくれたのは、王と呼ぶにはあまりに若すぎる、そして王と呼ぶにはあまりにも艶めかしい少年だった。白磁の肌、額、頬、首、そしてはだけた胸元には確かに少女ではなく少年であることを示す硬い骨の上に筋肉を鎧っているが、その最も外側の肌はそれこそむき出しの大地である無骨な岩の上に滑石の粉を撒きその感触を指先で遊び、感じるのと同等の喜びを触れたものに与えるだろうということが、目を通して私の頭に直接理解させてくる。紅を指しているのか、赤くそしてうるんだ唇は王と呼ぶにはあまりにも娼婦じみているのではあるが、切れ長の人を鋭く貫く瞳、凛々しい鼻筋、そして画家が幾年かかっても描くことができないであろう風と戯れる金色の髪は確かに私に、目の前の存在が王である事を、この国の民に上に立つものであるということを示している。脳裏をよぎる言葉、それは不自然な調和。男であること、女であること、そんなことには何一つ意味がないという人間として生きていてはその境地にたどり着くことができないであろう一つ上の階層の真実を、美を寄せ集めながらも、それぞれの間で調和が取れている彼が示しているのだ。不自然な調和、おそらくそれは彼を人間であると認識していればそうなのであるが、機械だと思ってしまえばそうではないのかもしれない。優れた技術を寄せ集めて作られた機械はそれだけで美しい、余計なものはそぎ落とされ、形状がある目的に向かって収斂しているからだ。だがそんな美しさを人間である彼から感じてしまうのはやはり不自然だ。それこそ、この王宮までの街並みのように。

「賢者殿、お待ちしておりました」

湿った唇が動き私を歓迎する言葉を彼は発した。その精緻な石造のような顔に薄く浮かべられた笑顔、それは彼が本心から笑っていないからなのか、それ以上の動きができないからそうなのか、そんなことはわからなかった。いや、彼が作り物であるなんてことはないのだから、本心から笑っているわけではなくあくまで礼儀として笑顔を浮かべただけなのだろう。そういったことを考えていると、ふと彼は本来の笑顔を浮かべたように見えた。あまりにも煽情的なその表情はすぐさま消え去ってしまうのだが、その極彩色の顔料を瞳に塗りたくられた私は目を閉じてもその笑顔を消し去ることができないだろう。彼の容姿に衝撃を受け、戸惑いながら思案に耽っていた私がそんなに面白かったのだろうか。その理由を掴むことさえ私にはできなかった。


彼が王になってから多くのことが変わったらしい。先代の王が病に倒れた時にはまだ彼は齢十であったが、そのことはこの国にとって大きな不幸とはならなかった。歴史を鑑みるに、常にそういった事は国の指導者を決める際に複数の勢力が争いあい、国に不幸を齎してしまうのだが、この国はそのような破滅の系譜を乗り越えた。幼くして聡明で、そして美しい彼に、先代の王を慕って仕えていた者たちはすぐに従ったそうだ。

「この国は、どこにも餓えた民はいないのですか?」

 私は早速疑問を彼にぶつける。

「……戸籍で把握している民についてはそれで間違いはない。もっとも国の力を把握することはこの時代においてはとても重要だ、抜けはほとんどないだろう。付け加えるとすれば、余の国の大地は豊かであり、また農業も効率的に行っているというのも大きいだろう」

「貴方は、過剰に富を持つものからは多く税を取り立て、貧しいものに分配をしているようですが、そんな貴方に敵意を持つものはいないのですか?」

「……何故だと思う?」

彼は少し気を抜いたような少年らしい色合いを孕んだ笑みを私に見せた。無邪気なようにも見えるその笑顔、その瞳の奥には手をどこまで伸ばしても最も深いところにあるであろう壁にたどり着くことができそうにもない闇があった。いや、そういう表情を見せているだけかもしれない、私をからかうために作られたある種の罠だ。私を誘惑しようとしているようにも感じた、何しろその闇へ至る道の側壁からは多くの手が私を引きずり込むために伸びており、一歩でも立ち入れば逃さないようにしている。結局のところ、賢者をからかってみたいという少年らしい遊びなのだろう、私はそう思い込むことにした。

「それは貴方が民に慕われているからでしょうか?」

そう私が言うと、眼前に広がる庭に一人の男が投げ込まれた。王に敵意をむき出しにしたその男に彼は付き人から受け取った剣を投げて渡すと私の顔を見る。

「もちろん、そうではないものは数多くいるさ」

先ほどの男に目を遣ると、彼は激しい憎悪を被り剣を構え王を睨みつけている。そんな彼に帯刀してはいるものの、無防備に王は近づいていく。

「何をなさるつもりで?」

私は彼の背に声をかけても返事を得ることはできなかった。どちらも何を考えているか、先ほどこの街に来た私にはまったくもってわからない、それ以上に無防備に近づいていく王と、そして彼を信頼しきって瞳で見つめる付き人や兵の気持ちを理解することなど今の私には到底できなかった。

「余が憎ければ殺そうとしてみればいい、そのための剣はお前の手の中にあるだろう」

しかしその剣はいくら振れども彼の身体に、それはおろか、衣服にも髪にも触れることは叶わない。彼は剣を抜き控えめに男の身体に赤い線を引いてはいくのだが一思いに殺すこともしない。一方的な蹂躙は続く、男が剣を振るたびに少しずつ赤い線は増えてゆき、体中から血を滲ませる。やがて少しずつ肉が削がれるようになり、血の匂いがこちらまで漂ってくるのだが彼はまだ殺さない。彼がやろうとしていることはわかる、それは一方的に男の心を削るという行為だ。そしてそれは彼の快楽のためにあるのだろう、肉体とともに細く細く削っていった男の心をその者自身が自らの意思でそれを折る瞬間を心待ちにしている。血を失えば、男の心も長くはもたない。男はそうなる前に王をその刃で斬り伏せなければならない、そしてその強い意志も感じる。だがそれ以上に、あまりにも彼は剣技にも優れているのだ、そしてその差を嬉々として見せつけている。心の凌辱が終わるときはあっけなくやってくる。男がひざを折り剣を投げ出し何か言葉にならない獣のような声をあげると、彼はすぐにその首を刎ねた。やはりその瞬間を心待ちにしていたのだろう。そして私のほうを見ると先ほど私に見せた笑顔をもう一度浮かべた、血だらけになった男の遺骸とは正反対にまったく汚れていない美しい姿のまま。

「この様に余に従うつもりのないものを殺していけば、美しい国ができあがる。それが当然のことであり、自然の摂理に則っているとは思わないかい、賢者殿?」

何が不満であの男が、彼に楯突いたのか、その答えを私に教えようともしない一方的な凌辱劇。私の心を揺さぶるために作られた笑えない喜劇。彼が誰かに騙されてこの国を乱したのか、純粋な悪意を持って彼を排除しようとしたのか、それともこの国の、これまで見てきた街並みはすべて作られたものであり、実際は数多くの餓えた者たちがおり、国の富を貪る王を排除しようとしたのか、そんな理由をまったく漏らすことなく、この目の前の惨劇だけ見せられても何と答えてよいのかすらわからない。

「せめて、一思いに殺すということはなさらないのですか?」

「賢者殿は質問に答えるつもりはないようだね」

気が付けば彼はすぐ私の隣にいた、背伸びをして耳元でそう囁くと耳に息を吹きかけられ、股間を優しく触られた。夜になったら余の部屋にくるように、そう彼は言いのこすと蠱惑的な笑顔、先ほどまでの笑顔よりもより強く人の心を淫らに誘惑する笑みを浮かべて、その美しい瞳で私を一度射貫いてから付き人を伴って去っていった。


彼に言われた通りの時間に、彼の部屋に向かうとその部屋から出てきた美しい二人の青年とすれ違う。どちらも筋骨隆々とした偉丈夫であり、その雰囲気から確かに彼らは猛者であるということがわかるのだが、猛将と呼ぶには顔が優しすぎるような青年だった。部屋に入ると一糸まとわぬ彼がいた。彼から目が離せない―――いや目を逸らせば彼の術中にはまってしまうという強い警告を私の脳が発した。体の線は細くはあるもののしっかりと筋肉の詰まったしなやかな肉体、そしてさながら鞘のように、その暴力性を隠すようにそれを優しく包む瑞々しい白い肌。下半身に目を遣れば、幼子のように陰毛はそられており恥じらうこともなく強く硬く彼の性器がそり立ちながらその存在感を示している。ゆっくりと近づいてくる彼からは杏の果実のような芳香が漂っており、一歩ずつ私に近づくたびに私はそれを強く感じるようになる。

「先ほど二人とすれ違っただろう?彼らは我が国の将であり、また武勇に優れ頭も切れ眉目麗しいから子女からも人気がある。そんな彼らが余の部屋に来て、何をしていたと思う?」

この問いには答えてはいけない、それは確かなのだろう。何をしていたか、などということは明らかではあるが、それを答えたということは彼の情事を想像したことになり彼に付け込まれることになる。答えてはいけない、というのは正しくなく気づいてはいけないのだ、その暴力性に、美しさという暴力に気づいてはいけないのだ。いやもうすでに私は気づいてしまっているのだが、それを認めてはいけないのだ。

「昼間のあの者はどのような罪を犯したのですか?」

私が話をそらすと彼は自分から目を逸らす事は許さない、それは肉体が目を逸らすことだけではなく、精神が目を逸らすことを許さない強さを持った目で私の目を射抜く。その表情はどこか険しかった、私が従わないことに腹を立てているようにも見えるのだが、すぐに何度も私に見せる無邪気で愛らしい笑顔に戻る。

「余に逆らった、ただそれだけだ」

「あれほどまでに怒るのですから、貴方の政にはなんらかの悪いところがあるのではありませんか?」

「本当にそう思うのかい?」

それは自分にはなにも間違ったところがないという強い意志を持った声だった。彼は椅子に腰かけている私の膝の上にまたがると首の後ろに腕を回し、耳許に顔を近づける。

「貴方は余を疑う、その気持ちはわかる。こんな国を見たことがないからだろう?」

彼のつぶやく言葉は、距離が近いからなのか、直接私の頭の中に響いているように感じる。いや、そうなる事を狙ってこうしているのだろう。狡猾―――いや頭で考えるよりも先に彼はよく理解をしていて、どこに価値があるのかを理解していて、その剣で心に纏った冷たい理性の鎧を切り崩し私を篭絡しようしているだけなのだ。だがそんなときでも私はそれに抗い、心ではなく頭で考えなくてはならないのだ。

「この国は豊かだ、そして他国はこの国の土地を狙っている。戦というものが剣を交えるだけではないということは貴方も重々承知だろう?こんな若く、頼りなさそうに見える王が国を治めているのだ、何か世迷言を民に吹き込んでくる間諜が少なくないわけがないだろう?」

彼はそう言って私の首筋を舐めあげた。

「何も盲目のふりをする必要はないでしょう?貴方は既に気づいているはずだ、こんな誰もが思い描く理想郷がなぜ出来上がっているのか、何が人々の心を縛っているのかを。別に余は民に何かを強制しているわけではない、ただ誰もが心から余を慕っているだけなのだということを」

彼は私に接吻をするとそのまま顔を私の股間に近づけた。私はすぐに彼の顔を撥ね退けた。それで国をまとめてはいけないのだ、理念、理想、国の正しさ、それが民の心をまとめる柱であるべきで、このような色欲に依った個人への崇拝で国をまとめることなどあってはならないのだ。私に撥ね退けられ立ち上がった彼は不満そうに、舌なめずりをしながら私を見下ろし言葉を紡ぐ。

「……貴方も容姿が優れていて名声も高い、男女問わず貴方に求愛してきたものは多いのでは?それともくだらない腐って錆びついた鎖の枷を自分に課しているのかい?快楽のない世界にどれほどの価値があるのかい?美を知らない、その灰色の世界に」

彼はそう言うと拳を握り私に見せつける。王である威厳、いやそれすらも超えて美しいということが正しいということを力強く私に示すように。

「真実、それは理性を逆撫でするような腹立たしいもの、それは貴方もよく知っているだろう?貴方の思う論理学としての正しさではない処に依って動物たちの群れを率いている余を見て苛立つのだろう?でも人なんて動物さ、そんな群れを率いてよい国を作っていく武器を、余はよく理解している。正しさよりも正しい、どんな論理よりも鋭い刃を余が持っていることをね。そして誰よりも余はそれを正しく理解している」

彼はそう言ってこの部屋を後にした、他にも彼のための部屋はいくらでもあるのだろう。私はため息をついた。


寝台に仰向けになり彼のことを想う。なぜ心の底から彼に従ってはいけないという声が聞こえてくるのだろうか。論理から導かれる彼への強い否定の理由は明らかだった、彼は今に生き過ぎている、言うなれば彼には今この時以外が存在していないのだ。彼の人という存在を超えた者としてこの国を導いていく力、この大地に縛られた人がいくら手を伸ばしても届かないこの蒼穹を行くためのその翼は、今も刻々と、決して消すことのできない炎に少しずつ焼かれているのだ。時が彼の翼を焼き尽くし彼が地に堕ちた後のこの国はどうなるのだろうか。確かに、この地は誰もが衣食住に困らない最も不幸が少ないであろうことは疑いようもなく、人の欲というものを考えなければ最も正しい国だと言うことができるだろう。その美しき肢体で優雅に大地に道筋を描き川を作り、欲はどこかへと流れていく、いや彼という海へと流れていく今は問題はない。しかし、彼のその力が失われたら?そして、光と闇を幾度も翔け抜けて行くうちに逃れることのできない手によってその羽毛を少しずつ毟られ地に堕ちた彼に、民はどのような思いを向けるのか。その先には必ず不幸が待ち受けている。彼は後ろから背を押されながら夜へと歩んでいるのだ。思考から導かれたのは、この国には何代にも渡ってこの地を穏やかに治めていく力がないということだ。しかし、彼はそんな先のことは何も考えていないのだ。そして一切の妥協も嘘も、人を守るための優しい虚偽であっても認めていないのだ。現在、彼が持つこの世にある全てのものを二つに分かつことのできる究極の剣で暗闇を切り裂いて進んでいるに過ぎないのだ、その剣はやがて錆びて朽ちるにも関わらず。それを全く恐れず、正しさを振りかざす彼が、私はあまりにも恐ろしい。それはあまりにも人では無さすぎるのだ、一切後ろを振り返らず、そして空を仰ぎ何かを想うこともない、ただひたすら眼前にあるものを鋭く見つめ続ける彼は人では無いのだ。そして彼にそう信じ込ませる、その美があまりにも恐ろしいのだ。目を閉じれば暗闇の中に彼の美しい肢体が浮かび上がる。闇を照らす光、それは人では無く夜空に輝く星々そのものだ、私たちの大地を照らし恵みを与える太陽そのものなのだ。民がそんな彼を信じずにはいられようか、服わずにはいられるだろうか、たとえその太陽が空を赤く染めたのちに人々に別れを告げ夜を齎すとしても。王の中の王であることを示す光り輝く威厳をまとい、その海よりも深い吸い込まれるような瞳を私に向けて、彼は妖艶な笑みを浮かべている。その姿は私の瞼の裏から消えそうにもない。


彼は血を見るのが好きらしい。今日は他国の間諜と共謀して汚職をしていた官僚で遊んでいる。容易に想像ができることではあるのだが、王が強権を持ち富を分配しようとすればそれに反発をする者たちが現れる。初めの頃は特に多かったようだが今は自発的に行うものは減ってきているという。彼が民を率いる旗は恐怖であるのか、それとも彼自身が持つ美しさなのか、そんなことはもはや分からない。むしろ美しいということ自体が何よりも鋭い刃であり、その切っ先が放つ美しさにあるものは見惚れ、あるものは恐怖するのだろう。今回は初めから付き添いの兵から罪状を伝えられてはいるものの、それであっても残虐である事には変わりはない。剣を持ったこともないであろう文官を彼は少しずつ時間をかけて膾にしていく。苦痛が続くように、快楽が続くように。彼は確かに血を見ることに快楽を得ている、彼は薄い布しかまとっていないため、彼の下半身にあるそれは強い存在感を示しているのだ。彫刻家が作り上げるどのような石像よりも、それこそ美の女神や、美しい英雄を思い物言わぬ石にその憧憬を描いていったものよりもさらに美しい彼の顔、表情、肢体。そして微かに見える空を舞うその汗ですら、彼は何かをするたびに芸術品と化すのだ。そんな彼を見て、覆い隠されていても透けて見える美しい肌を見て、そして強く興奮しているであろう薄い布の先にある性器を想像し私は生唾を飲んでいた。気づいたことがある、中庭で起こる惨劇、たとえ無残に腹を割られ臓物が飛び出ていて酸えた臭いが漂っていても、通りがかる宮仕えの者たちは男女問わず彼を見ているのだ、熱に浮かされたような虚ろな瞳で、しかしながら力強い崇拝を伴った視線を彼に向けているのだ。彼を正しいと思ってよいのだろうか、昨晩、私に向けて力強く宣言した、美しさという武器は人を率いることができるということを。もしかしたら彼はその美しさを以てして、いや、その何もかもを包み込む美しさで人の心の中にある業を一手に引き受け国を導いていけるかもしれないかもしれないという、理性を苛つかせる真実を。でも彼は確かに私の目の前にいる。今この場で、彼に崇拝の視線を向ける異常な人々の一員に私は成り下がってしまっている。彼は正しいのだろうか。目の前に出来上がった生命だったものの残骸、それと対照的な完全なる美。私は盲目になりたい、そうすればそれを目にしなくて済むから。だけれども私はもうすでに気づいてしまっており、そしてそのことを隠すことも無駄なことなのではないのかという諦めが心を支配していた。


今宵も彼に呼び出される。

「せめて人を辱めるような殺し方だけはやめませんか?」

私がそういうと、彼は笑いながら昨日と同じように、その美しい身体を私に見せつけながら膝の上に跨る。

「真実に苛つくこともなくなって、それを受け入れられるようになったのかい?鎖は腐り落ちたかい?」

彼はそう言って私に接吻をする。もはや彼に抗おうとする気持などなく、彼の舌による侵略を素直に受け止めていた。舌が交わり、唾液が交わり、息が苦しくなり意識を保つことが難しくなるたびに少しずつ壁は崩れていき光が見え始める。それはこれまで見たことがない楽園の光だった。

「そうだね、あれは余興としてやっているだけさ、別にやらなくたってもいい、賢者殿がいうのであればね。だけれども一つの確認のための行為なのさ」

何を言わんとするかが分かってしまう。それは時が経つと神にどこかへと持ち去られてしまうからだ、だけれども彼はそれを受け入れるのだろう。

「余が余でいられる時間を測っているだけの行為さ。いずれ余のこの全てを斬り捨てることができる刃は錆びつき、崩れ落ちてしまう。考えてみれば人はどこまでいっても動物であるのだから、それは余も例外ではなくこの輝きを失いやがて醜く朽ちて土にかえるのだろう、それは病か、戦か、それとも民の刃か。それは早いほうがいいかもしれない、頭のどこかでこのような暴虐を働くことによって美しいまま死ねるのではないのかと思っているのさ」

余りにも悲しく、そしてあまりにも愛しいその言葉。私は自分からすすんで彼の唇を貪る。たとえ彼が命を落としても、彼の国が存在したという事実はこの世界に残っていてほしいとさえ思った。美しい彼が率いるこの国が。彼を一目見た時から私はもうすでに気づいていた、彼の刃は私の心に傷跡を残していたのだ。血ではなく蜜が溢れ出る甘い傷跡を。そんな私の想いに気づいてか、彼は小瓶を手に取り香油を私たちの間に溢れさせていた。強く香る果実の匂いの先に確かに感じる彼の光。

「願わくば、私が貴方を終わらせる人でありたい。そしてそんな事が起きないことも同時に願っている」


私が彼と繋がるとそこに宇宙があった。私の身体は大地から解き放たれ遥か空の彼方にいた。漆黒の夜空の遠くから星々がその光を私へと届ける。その光に暖かさはない、だけれども彼という宇宙は私をしっかりと、確かに感じる暖かさで包んでいてくれる。頭の中で星々が煌めき、そしてはじけ飛んでいく、そのたびに彼から何かを感じる。その光に暖かさはなくても、私の目を眩いまでに輝く織物で愉しませてくれ、そして私の中に彼という存在が刻まれていく。下腹部に広がる香油ではない暖かな何か、彼はそれを手で掬い集め私に味合わせてくれる。生命の起源、人を形作る素となるそれは私をさらに高いところへと羽ばたかせる。彼自身の生命の素といえるその味わいは私をこれまで見ることができなかった世界へと持ち上げて行ってくれるのだ。人々が小さく感じる、結局のところ人と人の間には隔絶された壁がある、その壁の先を覗き見ることなどできやしない。それこそが個が個である要因であるのだろうけれども、たった今、彼自身を味わった私には、そしてその味わいを二人で共有する私たちの間には壁などはない。人は恐らく生まれた時から死ぬまで壁に囲まれて生きている。その壁を、彼は打ち砕き暗い牢獄の中から解き放ってくれた。なんと美というものは力強いものか、大地に縛り付けられた矮小な人間をその鎖から解き放ち大空へと羽ばたかせ、そして新しい世界へと旅立たせてくれる。私はその多幸感に包まれながら、彼の中を染め上げた。いくつもの星が新しく生まれ、この世界を照らす。夜空を賑わす新しく生まれた星々。彼と抱き合いながらその世界の美しさをあるがままに感じることの幸福感。盲目に生まれ、色のない世界を歩いていた私を力強く照らし豊かな色彩で道を描いてくれる。肌と肌で感じあう真実、それは余りにも尊く輝く生命の輝きで、そして冷たさのない暖かい真実を私に見せてくれた。あるがままを受け入れ、あるがままを貪り、あるがままのその暖かさに飲み込まれていく。彼こそがこの世界に存在する唯一の真実なのだ。






      ◯






私の主君を求める旅は終わった。何しろ、自分自身がこれまで学んできた何よりも正しいものに出会うことができたからだ。私は彼を変えることはできないだろう、そしてその必要などない。彼はあるがままで美しく、そして美しいからこそなによりも正しいのだ。この国のどこかに不満が生まれようとも、それは動物がそう感じただけに過ぎない。そんなものは感情もなく一つ一つ処理をしていけばよい、動物を躾けるように。思えば人はどれだけ時が経ち、その手で大地を耕し、家畜を飼ったとしても採集者に過ぎないのだろう。美しいものを集め、そしてそれを愛でる。あるがままの美しさを、あるがままの正しさを拾い上げ、頬擦りをして、暖かさを愛しさを、その眼で、その鼻で、その耳で、その舌で、その手で感じて。光も差さない昏い森の奥でも私たちは美しさを探し求めて歩いていく。心の旅はまだ終わらないようだ、それは命を終える時まで続く。しかしながら私はその道程を確かに力強く照らしてくれる光に出会った。どれだけ昏い森の中でも、険しい谷の底でも、その光は私を導いてくれる。

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星々 姫百合しふぉん @Chiffon_Himeyuri

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