Other Format Hero~ルビンの壺2
場所も支度も取材をする側がするものではなかったか。そのために予算を確約させたしホテルくらいは覚悟していた。しかし、連絡し通された場所は事務所の応接室だった。
ドアを開けて、まず笑顔に目が吸い寄せられた。華やかで、けれど自然なイメージのままの彼女の笑顔だ。そして傍らのメイクセットに目に止まる。モデルらしい一抱えもあるメイクボックスも可愛らしくデコレーションされている。ボックスの蓋の裏らしい大きな鏡が取り外されて、覗き込むのに丁度良い位置に据えられている。鏡の前にはタブレットとキーボード、そして化粧品らしからぬシャーレやらピンセットやら。
メイクの練習、というのでもなさそうな。
「カヨコ、おはよう」
「おはよう、アンヘラ。今日はよろしくね」
早速と加世子は取材メモをタブレットに表示させる。
十二歳で今の事務所の立ち上げに参加。スカウトやコンテストなどの来歴なし。十三歳でジュニアファッションモデルとしてデビュー。十四歳、昨年、ショウモデルデビュー。デビュー以来、駆け足でトップへの階段を登っていく様子が伺える。
「まずは改めて。先日のショウは素晴らしかった。日本でも高画質動画のダウンロード回数がミリオンを超えた。これは凄いことよ」
「嬉しい。電書魔術(マギウス)ファッションが知られるのはとても素敵」
アンヘラは実に楽しそうに笑む。加世子は思わずしげしげと眺め、訝しがられる前にと逸らした。
アンヘラはにこにこと笑んでいる。
本当に電書魔術が好きなんだな。改めて加世子は思う。
「アンヘラはなぜモデルに?」
「基本的なところからだね。いいよ」
アンヘラは足を組んだ。まだ成長の始まっていないらしい肉付きの乏しい細い足だ。
「ぼくはね」
ざらりとした声にアンヘラはわずかに眉値を寄せて、一度喉を鳴らした。
そして何事もなかったかのように言葉を続ける。
「綺麗なもの、可愛いものが好きなんだ。大好きなものでお金を稼げたら最高じゃない?」
綺麗なもの、可愛いものが大好き。お金稼ぎ。メモして加世子は顔を上げる。
「お金稼ぎなの?」
「そうだよ。手っ取り早いでしょう?」
「じゃあ、将来は」
「綺麗で可愛いままではいられないでしょ。だから、魔術師になりたいんだ」
楽屋で見せた通りの笑顔でアンヘラは笑む。
魔術師。電書魔術の魔術書のライターを俗称でそう呼ぶ。小さな電書魔術であれば個人で趣味の範囲で作ったり公開したりも可能だ。しかし、出力やMANAの使用量に制限がある。
大きな魔術になれば登録が必要になるし、プロジェクトが組まれることも少なくない。
魔術師になるということは、それを仕事にすると言うことと、とても近しい。
「モデルと兼業するの?」
アンヘラは、笑んだままだ。全く同じ笑みを浮かべ続けている。
加世子はアンヘラを観察する。結局、加世子は質問を変えた。
「十二歳でこの事務所の立ち上げに参加していたそうだけど、その前って公開されてないのよね」
「ぼくは構わないんだけど、イメージが良くないって社長が言うんだよね」
「公開しないって前提で教えてもらうことは?」
アンヘラは肩をすくめる。構わないよ、と言うかのように口を開く。
「ぼくはストリートチルドレンだったんだ。七歳くらいだったかな。たまたまePUGを手に入れた。魔術書の書き方はホームレスのおじさんとか、年長のチルドレン仲間に教わった。そのうち魔術書を書いて仲間を助けたりするようになって、パパに拾われた」
「パパ」
アンヘラは軽く肯いた。その様子は文字通りのパパ――保護者の意味だと加世子は思う。
「パパはチルドレン狩り……」
アンヘラは言葉を切る。少し考える素振りを見せて、言い直した。
「……保護活動をしていたんだ。ある時『一斉保護』があって、年長者もチルドレンに加わったばかりの子達もみんな捕まってしまった。施設に入れられてふるいにかけるときにぼくの才能に目を止めたってわけさ」
加世子はメモを、取れなかった。ICレコーダーには音声は残っているだろう。けれど、確かに公開できる話ではなかった。
「ぼくは魔術書を書ける。そして可愛いものが好き。パパはぼくを可愛くするための知識と技術があった。ぼくはパパに魔術書を提供するし、パパはぼくを可愛くする方法を考えてくれる。利害が一致した。ぼくは可愛くなれた」
アンヘラは手を伸ばす。肉付きの薄い、柔らかな筋肉の透ける腕だ。アンヘラは足を伸ばす。まっすぐな、けれどまだまだ子供足だ。
アンヘラはてのひらを満足そうに開閉させる。
「可愛く、なった?」
加世子はアンヘラの顔をじっと見つめる。……ナチュラルすぎて気付かなかった。
「アンヘラ、あなたは今もメイクをしているの?」
もちろん。アンヘラは肯いた。
「してるよ。カヨコだってしているでしょ」
「私は仮にも成人女性だし、もう肌もつやつやとは言えないし、化粧くらいしないと」
「同じだよ。ぼくだって、メイクしないととても人前には出られない」
アンヘラは肩をすくめてみせる。
加世子は思わず、苦笑いを浮かべていた。
「だとしたら、相当メイクが上手いのね。気付かなかった」
アンヘラは笑う。嬉しそうに。
「ぼくのメイクの腕なんて酷いもんさ。電書魔術なんだ」
へぇ、そうなんだ。凄いね、言おうとして。
「え?」
加世子は聞き返した。
「電書魔術?」
アンヘラは大きく肯く。メイクボックスからケースを取り出し、中のクリームを手に取った。アンヘラの肌に合いそうな濃いめのベージュ。加世子にはリキッドファンデーションにしか見えない。
「MANAをファンデーションに混ぜ込む。魔術をかけると肌色に合った色に変わる」
アンヘラの空いた手がタブレットを操作する。幾度かタップ。フリック入力。そしてタップ。
指先のファンデーションが淡いベージュへと色を変えた。
「え、なんで」
「MANAで光の反射率を変える。黄色味を強くしたいなら580nm~600nmあたりをよく反射するようにする。逆に青系の400nm~500nmの吸収率を上げることもある」
「……え、と?」
アンヘラは明後日を見る。少し考える素振りをしたあと、加世子へと視線を戻した。
「試してみる?」
*
インタビュアーとしてこの事態はどうなのだろう、と頭の片隅では確かに思ったような気がしないでもなかったが、加世子はそんな事務的な思いつきを努めて、正確には考えるのをやめようと思った時点で跡形もなく脳裏から消し去っていた。
アンヘラはタブレットをちょこちょこといじった後で。よりモンゴロイドの肌色に近い黄色みの強いクリームを取り出した。
アンヘラのしなやかな指が頬を滑る。少しだけ冷えたクリームが染みこむように肌に馴染む。
「クリームは地色によって何色かあって、細かい調節はMANAでやるんだ」
頬骨の上、頬の下から上にかけて。鼻筋に沿って。上まぶた、小鼻、そして、フェイスライン。丁寧に、丁寧に。ゆっくりと、確かめるように。
「魔術の基本形は出来てるんだ。でも、効率とか精度とかが実用レベルとは言えなくて、調整が上手くいかなくて」
「難しいのね」
「繊細と言うべきかな。気付かないくらいほんの少し違うだけでダメになってしまうんだ」
見てみて。言われて加世子は目を開けた。鏡の中にはのっぺりとファンデーションを塗りつけただけの自分がいる。顔が平坦であることを嫌でも意識させられる、そんな顔だ。
いつもならここにチークを入れハイライトを入れできる限りの立体感を醸しだし、アイシャドウやらルージュやらで、見せたいパーツを強調するのだ。
「いい?」
アンヘラは一度鏡を伏せる。
「魔術をかけるよ」
とん、とタブレットをタップする。そして、リズミカルに、二回目が叩かれた。
カヨコの目の前に図形が浮かび上がる。円と線。見覚えのある図形だった。
「セフィロトの樹……?」
アンヘラは二度、三度と瞬きする。
「よく知ってるね」
――スタンダードになれなかった電書魔術のフォーマットさ。
声が浮かんだ。
そんなマニアな知識、関わることもなければ知ることもなかっただろう。
「知人に詳しい人がいるの。アンヘラもよく知ってるね」
「まぁね。さ、見てみて」
アンヘラは鏡を再び向けてくる。加世子は一度目を閉じ鏡に向き合う。
鏡の中には。
「え?」
目を閉じ、開いた。右を向いた。左を向いた。上目遣いで、顎を見せるように。
瞬きした。鏡の中でも瞬きした。
「私、よね?」
加世子自身の顔だった。別に仮面を被された訳ではない。けれど、肌の透明感が増していた。目が少し大きく見えた。血の気がよく健康そうな頬だった。どうしても取れないくすみも隈も、ぼちぼち気になり始めたシミもそこには全く見当たらなかった。
「もちろん。カヨコ自身だよ。反射率を一定にする。それだけで隈もシミも見えなくなる。肌が綺麗になれば、何もしなくても表情は明るくなるし、綺麗になる」
「すごい。メイクの常識がまるっきり変わってしまう」
アンヘラは嬉しそうにくすぐったそうに笑んだ。
「ね、カヨコ。きっと良い記事を書いてね」
*
インタビューらしい発言は予定ページ数に足りなかった。日本とアンヘラの事務所と何度もやりとりしたあげく、『最先端の
ただ、セフィロトの樹についての記載は、原稿提出の直前になって削除した。
日本側は不自然になった文章に赤を入れただけだった。アンヘラからはコメントはなかった。
準備に二月を要して、強気の部数を用意した『ウィークリー新東』はついに発行され、過去最高益をたたき出した。
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