Other Format Hero~ルビンの壺1
現代ファッション業界の最先端を行くコレクションだった。電書魔術をファッションに取り入れるという大胆なコンセプトは、若者を中心に流行の兆しを見せ始めている。Webマガジンの創刊、若いデザイナーを中心とした個人ブランドの乱立、大手ブランドもまた準備を進めていると聞く。
そして。
加世子はスマートフォンをタップ、ドラッグ。今、若手No1と噂される美少女モデル『アンヘラ』のミステリアスな笑みが映し出される。
ヒスパニック系の小麦の肌にダークブラウンの瞳。ショートにまとめられた髪は黒く艷やかに輝いている。
静止画でももちろん美しいが、
その彼女を間近で見られる。しかも取材として、だ。
日本からの指示待ちでなく、自分から取材し売り込んでいく。理想とは思っていても現実はなかなか上手くはいかず、たとえ首尾良く記事を書けても他のネタに埋もれるばかりだ。
この記事なら。アンヘラなら。彼女は必ず世界に出ていく。加世子は根拠などあるはずもないがそう確信しており。その彼女をおそらく日本へ初めて紹介するのだ。
列車が駅へ滑り込む。白々と浮かび上がるホームに降り立ち、取材カバンの位置を直す。デリを調達して行こう。酒ではなくコーラにしよう。いつもは重い身体を引き摺るようにたどる道を、軽やかな足取りで加世子は進む。
*
なんてことはない白いワンピースで登場したモデルの少女は音楽に合わせて舞台中央でくるりと回る。それだけでふわりとフレアが広がり七色に煌めくワンピースドレスが現れた。次の少女は革の質感確かなタイトスカートにロングブーツ。次は襟口に打たれたメタルが挑戦的に光を返すパンクロック。透け感が愛らしいフェミニンスタイルに、まるで透明になったかのように背後を透かす電書魔術らしいギミックファッション。
ランウェイの突端で衣装を変える少女もいた。春先に着込むジャケットを脱いで翻す。ジャケットは帽子になり傘になり、初夏を思い起こさせる強いライトを柔らかく遮った。
シャッター音が響き渡る。大型カメラが少女達の姿を追う。レコーダーに吹き込む姿やアナログメモを書き込む姿がそこかしこで見受けられる。
加世子も負けず劣らずパットにペンを走らせる。公開用というよりメモの延長の動画を記録し、自ら受けた印象をメモに取る。時折自らもカメラを構える。堪能などする余裕もなく、記録することに集中する。
空気が揺らいで加世子は書きつける手を止めた。顔を上げ周囲の視線の先を辿る。舞台の中央へと巡らせて、知らず息を飲んでいた。
小柄な少女が中央のスポットライトを浴びていた。首元のチョーカーだけが黒く沈み、白いシャツにゆるい線のショートパンツを纏っている。小麦色の肌、黒く耀くショートカット。挑むように微笑む瞳のその強さ。流れるようにくるりと回る。光がこぼれる。錯覚か。幾人もの記者が目をこすり、数多のカメラが音を立てる。
妖精だった。そうとしか見えなかった。薄い羽をライトに透かし、肩から流れる淡色のチュールはMANAの煌めきを振りまいて。腰から下の薄物は流れるたびに揺らめくたびに形の良い足を見せて隠して、不透明とも半透明ともどちらとも言える相を見せる。
どこからともなくため息が聞こえてくる。少女はランウェイを歩み来る。体重などないのではないか。思うほども軽やかに足音一つ立てることなく。MANAを纒い、MANAを振りまき、そんな衣装を從え着こなし観客を取材陣を微笑みを浮かべたままで一瞥する。
『まほう』
加世子はノートを見ずに書きつける。これはもう電書魔術という既知技術などではない。魔法だ。魅惑の魔法だ。そう直感する。
妖精はランウェイの先端までやってくる。加世子の目の前(と言っても数人越しのその向こう側)でMANAの輝きを振りまきながら踵を返し、舞台へと戻っていく。
あぁ。再びため息が辺りを埋める。憧れをこの手に掴めるかと思った矢先に、すり抜けて消えてしまったように。
あぁ。加世子もまた、撮影も忘れ去っていく妖精の後ろ姿を見送った。
妖精の衣装の少女、アンヘラはその後も天使となり、悪魔となり、女神にまでなり幾度もランウェイを沸かせた。
ショーの最後、デザイナーたちを囲いながら舞台の中心で煌めくような笑顔を見せる。シャッター音が響く中、加世子はついついアンヘラの姿ばかりを追ってしまう。
煌々と灯るライトの中でもスポットライト飛び交う中でも彼女の姿はまるでそこだけ輝いているかのようだった。
作り物のように整った美貌、作り物ではありえない存在感。どんな奇抜な衣装も着こなす度胸、器用さ。衆人の前で臆すことのないメンタル。
それをすべて持っているのだ。若干十五歳の少女が。
「すごい」
ようやく声を出した頃には、舞台の照明はすべて落とされ幕が深く下ろされていた。客席が柔らかく照らされて、加世子と同じく魂を抜かれかけた同業者たちはため息を零しつつ荷物を纏める。
夢の終わり。祭の後。もう一度と幕の降ろされた舞台を仰ぎ、加世子は肩を叩かれた。
「日本のウィークリー新東のミズ・オオムラ?」
制服姿の女性だった。頷くとわずかに緊張していたらしい頬を緩める。
「――が日本の皆様に、是非ご挨拶したいと」
接客に慣れている風の綺麗な発音で努めて小さく用件を告げる。
「今、なんて」
聞き取れなかった。いや、辛うじて聞き取った音が信じられない。
女性は『誰が』を繰り返したりはしなかった。
「楽屋口まで来てほしいと申しております」
「い、行きます!」
客席に残っていた人々の視線など気にしている余裕もなく、加世子は慌てて荷物を抱えた。
*
あれ誰。邪魔。なんで楽屋に? そんな声が聞こえてきそうで加世子は肩を小さくする。呼びつけた張本人は、舞台のままの白いシャツとパンツルックでメイクも落とさず部屋の隅で待っていた。
あぁ、本当にあれは全て魔術だった。
年若いモデル達はメイクを落とし、白い衣装から着替えている。楽屋には華やかな衣装は一つも無い。そこかしこに脱ぎ捨てられたシャツやスカートが色味も乏しく凝っているくらいだった。
「ごめんなさい。ぼくが外に行くと騒ぎになっちゃうから」
こんなところじゃ取材も何もなかったねと、普通の少女にしか見えないアンヘラは少し困ったように笑う。空いている椅子を勧めてくる。
加世子は勧められるままに、というより目立つことを恐れるように、ありがたく椅子に腰掛けた。
「取材っていつも一人なんですか?」
「お恥ずかしながら、あまり予算がないので」
「カメラも? 記事も?」
「写真も、記事も、です」
へぇ、すごい。そんな表情が浮かんでいる。
「綺麗に撮ってくれました?」
「カメラは修行中なんですが、綺麗に取れていたら良いと思っています」
「そう! 綺麗に撮れていますように」
ニコニコと笑む。
素直な子だなと、加世子は思う。トップモデルと言えば、全てを下に見るようなそんなイメージを偏見として抱いていたが、アンヘラは他のモデルを下に見るような風でもない。大部屋を使い、隅に寄り、帰宅していく同僚達にも気軽に挨拶を返している。
「今日のショウはどうでした?」
そして、アンヘラは加世子に向き直った。まだざわつく楽屋の中、ほんの少しだけ身を寄せる。声が届くようにと。
合せて加世子も身を寄せる。アンヘラのメイクなど必要のなさそうなキメの揃った肌が近い。大きな印象の強い目がじっと加世子を見つめてくる。
加世子は息を呑む。息を呑み、言葉を紡ぐ。
「素敵なショウでした。衣装が変わる度にみんなで息を呑んでいました。そしてアンヘラの……アンヘラさんの最初の衣装は、本当に妖精が現れたみたいで、誰もが目を疑いました。でも、アンヘラさんはそこにて確かにいて、幻なんかじゃないんだって。素晴らしかったです」
「ぼくも、あの衣装が一番好きなんです」
アンヘラはぱっと笑んだ。
「
少しはにかむように、けれど『うれしい』を全開にしてアンヘラは笑う。
「電書魔術は好きなんですか?」
「もちろん! ぼくは将来、電書魔術をもっと発展させるような仕事をしたいんです」
アンヘラは無防備な笑顔になった。目を輝かせて前のめりで。これだけモデルとして活躍しているのだから、その道を目指すのかと思ったけれど。
いい顔だな。加世子は思う。
「写真、撮っても良いかな」
加世子はカメラに手を伸ばす。取材用のしまい切れていない一眼レフだ。
「ここは、楽屋だから」
まだ鏡の前にはモデルを務めた少女が数人、日常に戻りきれずにいた。振り返れば世話役だろうか、地味なシャツにパンツルックの動きやすさに重点を置いた服装の女性が、緩く首を振っている。
「そうね。残念だわ」
「ねぇ。えっと、ミズ・オオムラ?」
伺うような声音に、加世子は振り返る。アンヘラは小首を傾げておねだりでもするかのように上目遣いで見つめている。黒いチョーカーに付けられたアクセサリーがさらりと揺れた。
「カヨコで良いわ。ファーストネームよ」
「じゃぁ、カヨコ。今度、ぼくを取材してよ」
「え」
アンヘラはカヨコの後ろへ手を上げた。カヨコへ名刺が差し出される。
ゴシック調のデザインに、名前とメールアドレスと電話番号が印字されていた。
「電話もメールも事務所に繋がってしまうけど、申し込んでくれたらきっと応じるから」
「あ、え、あの、私の名刺も!」
慌てて鞄に押し込んだ名刺入れを探し出す。勇んで作ったものの上手く減ってもくれない名刺を取り出し、日本で教えられた通りに両手で持って差し出した。
アンヘラは、きょとんとして、そして、笑い出した。
最後のモデルの去って行く足音が聞こえてくる。女性がそろそろとアンヘラに声をかける。アンヘラは加世子の名刺を取り上げる。
「日本人は面白いなぁ!」
それじゃぁ、きっとね。目に涙を浮かべたままで、促されて退室する加世子へ手を振った。
*
アンヘラと間近で会えた。
それだけで踊り出しそうな事だった。
取材許可は確約された。
こんな幸運はないと思った。
編集長へと連絡した。
最初は信じてもらえずに、やがて何やら褒めちぎったメールが返ってきた。
『大村、俺はお前を信じていた。やってくれると信じていた。米国滞在許可はそれを見込んでのことだ。かならず良い記事を取ってこい。次の時代を作るモデルの我が誌だけの独占インタビューだ。期待している』
訂正したい表現がいくつもあったが、加世子は幸せすぎてそれら全部を気にしないことにした。
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