Other Format Hero

Other Format Hero~セフィロトの樹

 1


 配られたカードを開き、加世子は息を呑んだ。手が震える。息を止め、努めて、努めて無表情を装う。

 スペードの十。キング、クイーン。クラブの六。そして、ダイヤの六。

 カードが配られる。ディーラーの、他の参加者の視線が、刺さってくるかのようで。

 ドロー。コール。レイズ。ドロー。そして、加世子の番。

 三枚を取り。迷う。

 掛け金はもうない。この勝負に負けたら、無一文だ。日本に帰ることすらままならない。

 編集長の鬼のような顔が目に浮かぶ。母は父は、泣くだろうか。

 ディーラーを伺えば、見る度に色を変える虹彩が早くしろとばかりに加世子を一瞥した。

 三枚を取る。


 ――Command Clear.


「え?」

「強気で行けば」

 男の声で、日本語だった。振り返れば、まだ若い……加世子とそう変わらないだろう歳の男がにやりと笑んだ。

 加世子は息を吸い、ゆっくりと吐く。無意識に胸元のアクセサリーへ手を伸ばし。カードを二枚、ドローした。

「レイズ」

 腹に力を入れる。ここぞとばかりにポーカーフェイスを装う。努めて、努めて。

 ちらりと参加者達を伺う。難しい顔。余裕の顔、眉間に力を入れて、フォールトの声。

 レイズ、コール、フォールト。加世子は、レイズ。

 ディーラーを伺う。柔和だった表情が、妙に硬い?

 そして、カードをオープンする。


 あの人は。

 戻ったチップを手にして、加世子は人混みへ目を向けた。

 金にシルクに、プラチナに。コーカソイドの華やかな髪色も、ネグロイドのつややかな肌も、ドレスの輝きもタキシードの光沢も、加世子にはどれもみな眩しく映る。

 ドレスコードのある一流カジノは、客も調度もウェイターも、みな一流だった。時折混じって見える旅行者でございと言わんばかりの同郷人らしき姿を見つけると、その貧相さに嫌気がさす。とはいえ、自分も同じようにきっと見えているのだろう。カジノで遊ぶその理由が、旅行先でのお遊び、というわけでなかったとしても。

 しかし。

 あの人は違った。加世子は思う。

 日本語だった。日本人に見えた。黒い髪も、黒い目も、モンゴロイドの肌も。

 慣れている風だった。立ち振る舞いも自然で、上等なスーツも着慣れているように見えた。一瞬ではあったけれど。

 助けてくれた。そう、思った。

 加世子は男を捜しながらフロアを回る。男も女も背の高いヨーロッパ系、アフリカ系の客の合間、日本人らしき姿を追いつつ。

 ふと。出口の近くで足を止めた。幾人かの客がちらりちらりと伺っている方へと顔を向ける。

 ウェイターというよりは少しばかりがたいの良い男が三人、何かを囲っている。何か。いや、人だ。しかも。

「あ、ねぇ、あなた……!」

 目が合った男は、あからさまにしまったという、顔を、した。


 2


「どういうこと?」

「どういうことだと思う?」

 男は久瀬と名乗った。中肉中背、少しばかり長めの黒い髪に黒い目。見慣れた日本人だった。

 加世子は思わず大きく安堵の息を漏らす。乱雑に置かれたパイプ椅子に腰掛ける久瀬を見習い、椅子を引きちょこんとかけた。

 胸元のアクセサリーをいじる。ひやりとした感触の中、指先だけに確かにわずかな振動を感じた。

 改めて見回してみても、調度の類いの無い部屋だった。端に寄せられた飾りのない事務机、散らばった椅子。天井にはこれまた飾り気の無い蛍光灯。

 時計を見ようとして、慣れないブレスレットをしゃらりと鳴らし。愛用のスマートウォッチが沈黙していることに気付いた。

 カジノに入る時に、電子機器は全て電源を切らされていたことを思い出す。電源を入れようとして、手が遮られた。見れば久瀬が、緩く首を振っていた。

「電源は入れない方が良い。センサーが生きてる」

 あぁそうか。加世子は入店時の注意事項を思い出す。

 ――当店では、電書魔術を禁止しております。タブレット、スマートホン、スマートウォッチなど、電書魔術を読み込むことが出来る媒体の電源について、電源を切らせて頂いております。

 電書魔術が広がりを見せ始め世界的に対応が求められる中、一般スポーツ会場、カジノ等の賭博場、選挙会場・開票所など、特に公正性を求められる場所では、いち早く自主規制が進んでいた。アメリカの誇る一大カジノなど、真っ先に禁止を掲げ、電子機器の電源OFFを徹底、フロアにセンサーを巡らせるなど公言している。客ももちろん、機器の持ち込みを禁じられた。もしくは、電源のOFFを。

 加世子のスマートウォッチも、入り口で自分で電源を切ったのだ。……鞄の中のデジタルカメラも。

 タブレットを取り出し、沈黙した画面に嘆息する。

 ちらりと久瀬を伺えば、緩く首を振られた。……止めた方がいい。

 困った。加世子は顔に出すほども思う。

 社と、連絡が取れない。

 入る時にも思った事ではあったが、メモ帳とペンで乗り切れると思ったのだ。メモ帳もペンもある。取り上げられたりはしていない。しかし。

 幸いなことに持ち金が五十倍ほどになってはいたが、結局何も手がかりすら掴んでいないのだ。

 助けてくれた妙な男と二人、こんな場所で……どうなるのか。どうすればいいのか。

 いや。

 そもそもなんで、こんな場所へ?

「あんたさ。ライターでしょ」

 顔を上げた。久瀬は口を片端だけ上げて、笑みのような形を作っている。

 加世子は目を瞬いた。何度も、何度も。

 目を逸らす。何を言うか。どう言うか。

「な、なんのこと」

「潜入して、イカサマの噂でも暴こうと思った?」

 にこり。目が三日月の形を描く。……全く笑ったようには見えない笑みだった。

 加世子は久瀬を見て、目を逸らし、また見て、愛想笑いを浮かべた。

 図星だった。

「無謀」

 ぼそりと言われた。

「無茶」

 ぐさりと刺さった。

「それとも」

 そろりと見る。久瀬は小首を傾げて、そして。

「使い捨て?」

「う」

 何も、言い返せなかった。


 ――一流カジノでイカサマが行われていると言う噂があった。

 ――尻尾を掴めば、専属ライターとして雇ってやる、と。


「人が悪いね、君の雇い主」

 溜息のように久瀬は言って、立ち上がった。

「でも、ちょっとだけ感謝かな」

 久瀬は加世子の肩に手を置き、入り口を見やった。

 ドアが音を立てて、開いた。

「つっ」

 静電気? 加世子は顔を上げる。見上げた久瀬の相変わらずの笑みは、少しばかり硬くなったように見えた。

「お客様、このような狭いところにお越し頂き申し訳ございません。少しばかり込み入ったお話をさせて頂こうと思いまして」

 ドアを開けて入ってきたのは、柔和な笑顔の男性だった。格好はウェイターと同様だったが、年齢も様子も落ち着いていた。もっと立場は上に見えた。

「何なんですか、一体」

 加世子は立ち上がろうとして、押さえられた。がたりと椅子が大きく鳴った。抗議しようと見上げると、久瀬は加世子の前に出ていた。

「こちらもお伺いしたかったんです」

「なんでしょう? お答えできることでしたら」

「Sephirothic Tree Language」

 せふぃ?

 聞き慣れない単語に加世子は久瀬を見上げる。久瀬の顔は見えない。

 入り口に立つ男を見る。……柔和だった顔が、強ばって見えた。

「顔色が変わりましたね」

「……何のことでしょう」

 何のことだ。

 加世子は久瀬のジャケットをひく。黙っていてとばかりに、ぽんぽんと加世子の手が叩かれる。

 黙っていても判らない。

 加世子は再びジャケットをひく。がしゃりとベルトに下げられたケースを引っかけた。財布と言うには随分と大きな。

 久瀬の手が、加世子の頭を探し、押さえつける。

 もがいても。手は外れない。

「標準電書魔術の記述とは異なる、スタンダードにならなかった記述方法。起動時の周波数も違うから、イカサマするにはもってこいですよね」

 例えば。久瀬は続ける。加世子は声の調子に、ふと、もがくのを止めた。

「特殊レンズで見た時だけ、カードの裏からマークと数字が見えるような」

 思い当たることはあった。

 ディーラーの不思議な目の色。加世子のカードが良い時には何故か降りていく参加者達。逆に厳しい時には、遠慮無くレイズを。

「……なんの、ことですかな……?」

「心当たりが無いなら無いで……」

 久瀬が何かを呟いた後の、ディーラーの。加世子には、駆け引きに自信があるわけではなかったが。

 あれが、全部。

「イカサマだったって言うのね!?」

 久瀬の手を撥ねのけた。撥ねのけて、立ち上がる。たたらを踏んだ久瀬に構わず、加世子は男をねめつける。

「やっぱり、噂は本当だったんだ……!」

 胸元に手をかける。アクセサリーを、いじり。

 指の腹に触れる、微かな凹凸を。

「何をしているんです、お客様」

 加世子は息を呑んだ。何も。言うとアクセサリーを離し、大きく頭を振った。

 胸元で女性向けにしては大きな意匠のシルバークロスがころりきらりと揺れていた。正面に付いたカボションカットの石が光る。

「……黙ってお帰り頂く訳にはいかなくなりました」

 溜息が聞こえる。久瀬がやれやれと息をつく。

 加世子はクロスを握りしめた。コレを、取られるわけには、いかない。

「コレだから世間知らずの小娘は」

 もう一度、盛大に。

「なによ! アンタだって似たような歳でしょう!?」

 クロスの形の小型レコーダーを握りしめる。電書魔術全盛の中、苦労して手に入れ仕込んだICレコーダー。低画質ながら、広角で写真を撮ることも出来るシロモノだった。ただ、スクープをとるために。

「渡して頂けますかな? さもないと」

「と?」

 久瀬が合いの手のように言葉を挟む。

 男は全く笑んだ様子もなく、笑みの形をつくってみせた。

「少々手荒な事をさせて頂く事になります」

 男が手を上げる。ドアが開く。

「え、うそ」

 加世子は何度も瞬いた。

 ドアから男が入ってくる。一人、二人。

 カジノの入り口に立つガードマンのような体躯。その手には――銃。

「困るなぁ。俺、もうそろそろ帰りたいんだけど」

「残念ですが」

 久瀬ののんびりとした声が。男のおっとりとした言葉遣いが。

 加世子の耳を通り抜けた。

 嘘でしょう……?

 加世子は久瀬のジャケットを掴んだまま、椅子へと崩れた。


 *


 スクープを持って帰国するはずだった。

 正式にライターとして採用されるはずだった。

 雑誌社のライターを足がかりに、事件記者を目指したかった。

 ゆくゆくはジャーナリストに。


 *


 加世子の目の前、久瀬の向こう、男がゆっくりと手を上げる。

 男の手に合わせてか、銃口が上がっていく。


 *


 危険な仕事と確かに言われた。マフィアの絡む仕事だと。

 大丈夫ですよ。確かに加世子は言い切った。

 そんな、映画じゃないんですから。


 *


 久瀬の背が縮んだ。いや。

 腰を鎮めた久瀬を銃口が焦って追う。


 ――Command Make Knife.


 掌を天井に向けた久瀬の左手、淡い光が、幾つもの円を描く。

 円は組み合い、枝を伸ばし、一つの図形を形作る。

 図形は見る間に輝きを増し、ナイフの形を描いて消える。

「それは!」

 焦った男の声だった。

 振り下ろされた手に怯えたような発砲音が二発続いた。

 加世子は思わず目を閉じる。金臭い硝煙の匂いが届く――。

「ごめんね、俺、このくらいじゃ死ねないんだ」

 加世子はそろりと目を上げた。

 久瀬が男を壁に押しつけていた。男の首元に光るのは、多分。

 ガードマン風の男達は、久瀬に狙いを付けていた。が。震えているのが、加世子からもわかった。

 久瀬は。

 一張羅と言ってもおかしくないジャケットに大きく爆ぜたような穴が開いていた。穴からは。ジャケットの下からは。

 拍動と共に赤い。

「久瀬さん!?」

「おっと、動かないでね。あなたに死んで貰っても困るんだ」

 男は頷くこともしなかった。頷けば、鋭利な刃物の餌食になる。

「判ってると思うけど、君らも動かないでね。ボスの首がさようならしちゃう」

 ガードマン達は、どうして良いか判らないように見えた。ゾンビでも見るような目で久瀬へと銃口を向け続ける。

「加世子ちゃんも下手に動かないで。大丈夫、直ぐに迎えが……来ちゃうからさ」

 言われなくとも、加世子は椅子から動けずにいた。

 ただ目を向けるその先で、どくりどくりと血が流れ、久瀬の足元には血だまりが出来ていく。人が死ぬ。その過程を、流れていく血液を、ただ加世子は見ていた。

 と。

「え?」

 光った。いや。光って、消えた。

 飛び散った血液から。ついで、血だまりが淡く輝いていく。

 この光は知っている。加世子は思う。

 MANAにかかった電書魔術が解けて消えていく時の。

 程なくして、穴の開いたジャケットを残し。痕跡は一切、消えていた。

「久瀬さん、あなた……」

「ダディ! どこ!?」

 唐突に場違いな甲高い女性の声が響いたかと思えば。

 突然開いた扉に。

「あっ」

「えっ」

 久瀬は見事、ノックアウトされた。


 3


 加世子はキーを叩く手を止めた。大きく息を吐く。

 一心不乱に打ち続けていた画面をスクロールして戻す。斜めに読み、そして、緩く頭を振った。

 骨董無形するぎる。打ち込んだ本人でさえ、そう思う。

 無事持ち帰ったICレコーダーは夢で無いことを物語ってはいたけれど。

 ……胴体を打ち抜かれても立ち上がる人間など。

 背筋を伸ばし、勢いを付けて立ち上がる。カーテンを引き開ければ、道の向こうのビルの上から、天にそびえる幾本もの光の柱が見て取れた。夢の中にそびえ立つような。

 加世子はそんな光輝く夜景を背にし、胸元からカードを取り出した。薄明かりの中、『Dr.ナツミ・リンガーソン』と読めた。


 *


「ダディ!」

 久瀬をノックアウトしたドアからは、スーツの女性と、銃を構えるガードマンより屈強そうな男達がなだれ込んできた。

 久瀬を『ダディ』と呼んだ女性は、不惑を超えているように見えた。キャリアウーマンといった雰囲気の、目つきの鋭さが印象に残った。

 女性は久瀬を目にするとここぞとばかり男達に指示を出す。屈強そうな男達は、久瀬を担ぎ上げ、何処かへと去っていった。

「騒がしくしてごめんなさい。もう大丈夫」

 女はカードと共にナツミ・リンガーソンと名乗った。久瀬との関係には触れず、あなたたちを助けに来た、と繰り返した。

「……正確には、私は付いてきただけだけれど」


 *


 かくして加世子の潜入スクープは、日の目を見る前に『スクープ』ではなくなった。

 翌朝には全米各地の新聞で、カジノの賭博の真実が語られ、程なく日本にも伝わるだろう。

 加世子はICレコーダを手に取った。ひやりと重く冷たい銀の感触が程なく手になじんでいく。


 ――セフィロトの樹。

 ――撃たれても死なない人間。

 ――規制出来ない、電書魔術。


 加世子は自身のタブレットをタップする。検索結果が電書魔術でふわりとタブレット上に立体化する。十の円と円を繋ぐ枝からなる図形が。

 立体化した図形を弄んだ加世子は。

 一つ、頷いた。

「決めた」

 そして、メーラーを立ち上げる。

『拝啓、編集長様。大村です。しばらく、こちらに留まります』


 幸い、資金はあった。


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初出:第23回東京文学フリマにて無料配布

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