第三章 君と僕の第三次世界大戦的音楽革命

16

 放課後、僕ら三人は楽器室に集まった。

 ソラ、怜未、そして僕の三人である。ソラと怜未はそれぞれ椅子に座り、僕は机の上に腰掛けて、お互い顔を向かい合わせている。机に座るのは少し行儀が悪いと思うし、となりの視聴覚室からもうひとつ椅子を運び込めばいい話ではあるが、この机が僕の尻になじむようになってしまったんだから仕方ない。僕は机上から、満員御礼となった楽器室を見渡す。楽器室にこんな大人数が集まるのをこれまで見たことがなかったので、なんだか感慨深い。

 僕ら三人がなんでお互い見つめ合っているのか。それは、いまや部員数三人という大所帯となった文化研究部の、今後の活動方針会議を執り行っているのである。

 とりあえず、三人の各パートは以下のとおりに決まった。怜未がドラム、ソラがベース、そしてなんと、ソラのたっての希望で、僕がギターを持つことになったのだ。

「ライブをやろう」

 僕はふたりにそう進言する。ライブとはつまり、大勢の観客の前でリアルタイムで楽曲を演奏するイベントのことだ。聴衆に対してただ一方的に音楽を供給するだけのCDとはちがい、ライブは観客の反応、「生の声」を聴くことができる。音楽の受け手が目の前にいるからだ。バンドとかアーティストというのは、CDを販売して人々に音楽を提示し、ライブによってその観客と「対話」することができる。だから、音楽がまだ生きていたころには、ライブはかなりポピュラーな娯楽だったそうだ。

 しかし、音楽が禁止されてしまった今、ライブもやはり非合法化されている。娯楽としてのライブはすっかり廃れてしまっているのだ。ライブというもの自体、知らないと言われてもおかしくはない。実際、僕の発言に対するふたりの反応は、打てば響く、というわけにはいかなかった。

「詠人、なに? もう一回言って?」

「ライブをしよう、って言ったの」

「ダイブ?」しねえよ。普段さんざん突っ込んでるのにこれ以上体当たりダイブでなにに突っ込めって言うんだよ。「そうね、この部屋四階だし、高さは申し分ないんじゃないかしら」僕に窓からダイブしろと申すか。怜未さん目が笑ってないんですけど?

「ソラは? ライブ知らない?」

「……アイブ?」しねえよ! 部活となんの関係があるんだよ! 「詠人っ、ソラを活動時間中ずっと愛撫しようだなんてはしたないっ! 私がこの部に入ったからには今後いっさい変態禁止!」もともとそんな部活じゃねえから。

「ライブだよ、ライブ」

 僕があわてて訂正しようとすると、怜未が「ああ、ライブね。バンドを組むからにはやっぱりライブはやりたいよね」と冷静に受け答えた。知ってんじゃねえか。まあそれはそうか。もとはといえば、怜未は音楽一家に生まれたわけだから、ライブというものの存在は幼少のころから馴染みがあってもおかしくない。

「でも、ライブができるところなんて、今あるのかしら」

 確かにそれはひとつの問題だ。ライブハウスやコンサートホールといった、音楽を演奏するための場所というものが、昔はいたるところに存在していたという。ところが、音楽が禁止されておおやけに音楽を演奏することができない現在、ライブを行う場所が残っているかどうかは疑問である。

 僕は頭を抱えてしまった。場所がないというのは不覚だった。まさか学校内でやるわけにもいかないし、公営体育館を借り切っても音漏れを聞かれて通報されてしまうだろう。そもそもどんな理由付けで借りるんだ。そのうえ体育館を一日借り切れるようなお金もない。観客を何十人も収容できるようなスペースがあり、ある程度大きな音響を出しても周囲に漏れないような防音設備を備えた建物……そんな、音楽をやるために造られたような建物があるんだろうか。いや参った、ないから困っているんじゃないか。

 ソラに視線を送っても、彼女は僕の視線に対して首をちょこんと横に傾けるだけだ。あんまりそういうの知らなそうだしなあ。訊いてみるだけ無駄だろう。

 僕がうんうん唸りながら頭を捻っていると、むずかしい顔をしていた怜未がふと声を漏らす。

「……あるわ。心当たり」

 思いもよらない言葉に僕は思わず立ち上がった。

「どこに?」

 しかし彼女はむずかしい顔を崩さないうえに、なかなか言葉を継ごうとしない。僕が話の続きを辛抱強く待っていると、しばらく経ってから彼女は口を開いた。

「下北沢」

 ああ、そうか。

 そこで僕もようやく思い至る。

 下北沢。怜未の姉・世羽せいはさんの住んでいる街。そこに今もライブをやれる場所がある。

 世羽さんが勤めているんだから間違いない。


   ○


 その週の休日。

 京王井の頭線の電車に揺られながら、僕は下北沢へと向かっていた。

 太陽が梅雨入りの前にうんと輝いておこうとでもしているような、うららかな五月晴れ。初夏の日差しというにはまだ陽光が柔らかい。休日の日曜日、昼下がりと言っても差し支えないような時間になろうとしている頃合いだ。平日は人いきれ渦巻く井の頭線の車両は、今日はゆったりと優雅な雰囲気を湛え、のどかに世田谷の住宅街を走り抜けていく。

「………」

「………」

 そんなのどかな景色の中に、なんだかすっきりしない表情の少女がひとり、そしてそもそもどういう心持ちなのかわからないような無表情の少女がひとり。怜未とソラだ。ふたりとも電車に揺られながら一言も発しない。ソラはこれがいつも通りなのだが、怜未はなんだか様子がちがう。なにかぼんやりと頭の中で考えているようだ。

「……世羽さんのこと?」

 僕はそっと怜未に訊いてみる。彼女は少し意表を突かれたような顔をしたあと、やや相好を崩してうなずく。

「うん。お姉ちゃん、どう思うかなあ、って」

「どう思う、って?」

「私が音楽やるって言ったら」

「……どう思うんだろうね」

 どう思うんだろう。

 よくぞ言ってくれた、険しいいばらの道だが臆することはない、ただひたすら突き進め! とかなんとか言ってくれるんだろうか。

「応援してくれるかなあ」

 怜未が不安げにつぶやく。僕はその横顔をただ見つめるしかない。

 僕にはなんとなくわかる。そんなわけがない。世羽さんはぜったいに反対する。彼女は実際に音楽の中に身を置いており、そのことの危険性をその身で理解しているはずだ。理解しているからこそ、同じことをしようとしている妹を応援しようとは思わないだろう。是が非でも止めようと思うだろう。

「……どうだろうね」

 僕は頼りない言葉を怜未に返す。怜未はそれでも、気丈に笑顔を向けてくる。

 電車はただひたすら、僕らを目的の街まで運んでいく。

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