15
ソラの気分が落ち着いてから、僕と怜未は彼女を教室に連れて行った。教室の中を覗くと、鳥巣と黒渕が駆け寄ってきて僕に機関銃のように質問をぶつけてくる。「おい、宇田越さんどうしたんだよ」「倉城さんも出ってたけど」「大丈夫か」「体調悪いのか」「俺が保健室まで連れていって差し上げよう」「俺が付きっきりで介抱して差し上げよう」「いや俺がこの手で体温を測って」「いや俺がこの手で汗を拭って」「いや俺が」「いや俺が」
僕はそれを全部無視して、教室の黒板に目を向ける。そこには白いチョークで「自習」と、副担任のクセのある大きな文字で書かれている。そしてその文字の下には、「宇田越 赤穂 倉城 以上三名は戻り次第職員室に来ること」とある。
クラスメイトの女子たちも駆け寄ってきて、怜未と言葉を交わす。
「怜未、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ごめんね、私まで飛び出して行っちゃったりして」
「いいよいいよ。先生も、三人が飛び出したあとで冷静になったみたい。呼び出しも少しの小言で済むんじゃないのかな」
「そうかな。ありがと」
クラスメイトたちが席に戻ったあと、僕は怜未に向き直る。
「じゃあさっさと行っちゃおうか」
怜未は小さくうなずく。
クラスメイトの言葉通り、副担任の怒りはすでに収まっているようだった。
僕たちが職員室にある彼の机に歩み寄ると、彼は「おお、おまえらか」と拍子抜けするような軽い声で応えた。
「なんだ、急に飛び出して行ったりして」
彼は訝しげに僕たちを順々ににらむ。「倉城に限ってまさかとは思うが……あれはおまえらのものか?」
その視線に僕はたじろぐ。言葉に詰まってうつむいてしまう。そこへ怜未が「ちがいます」と答える。
「あれが誰のものかは、私たちは知りません」
「じゃあなんで出て行ったんだ」
「それは……ちょっと言いにくいので」
珍しく怜未が言いよどむ。副担任は怪訝な顔をして、「いいから、言ってみろ」と言葉の先を促してくる。少し心配になって怜未の顔を覗きこむ。すると、彼女は「赤穂くんがいると言いにくいので、彼には外してもらってもいいですか」と言った。なんだ、僕がいると言いにくいことって? 副担任も解せないという顔つきを隠さないが、怜未が端然とした態度を崩さないので、観念したように片手を挙げた。「いいだろう。赤穂、少し外していてくれ」
僕は怜未たちから少し離れたとこに移動する。彼女たちの会話はほとんど聞き取れないが、会話の最中にぐるぐる変化する副担任の表情は見て取れた。怜未がなにか事情を話すにつれ、彼はなにかばつの悪いような顔をしたかと思えば、怜未のとなりに立つソラに申し訳なさそうな顔を向ける。頭痛に顔をしかめるみたいに片手で顔を覆ったあとには、大きな声で「わ、わかった、それ以上はいい。わかったから、もう教室に戻れ」と大声で呻いた。心なしか副担任がやや内股になっていることに僕は気づいた。どうしたんだろう。
副担任の許から解放されて戻ってきた怜未とソラと合流し、連れ立って職員室を出た。教室への帰り道、気になっていた僕はおそるおそる怜未に訊ねてみた。
「ねえ、どうやって先生を説得したの」
すると、怜未はいたずらな笑みを向けてくる。
「知りたい?」
「……うん」
僕が答えると、彼女はちょろっと舌を見せた。
「詠人にはまだ早いよ」
彼女はそう言って早足に行ってしまう。二つ結びの黒髪がふわふわと風に踊っている。
僕はその後ろ姿をじっと見つめながら、となりを歩くソラにそうっと訊いてみた。
「……どうやったの」
「オンナノコの日」
「……え?」
「レミが言ってた」
女の子の日? ひな祭りのことだろうか。
「詠人にはまだ早いわ」
ソラはそう言って口を噤んでしまう。なんだよ、ソラまで。
前を歩いていた怜未がくるりと振り返った。
「詠人、私も入ることにしたから」
「入るって?」
「部活よ」
なんの部活に、とそう一言で訊くのはたやすいことだ。怜未も小言を垂れながらも教えてくれるだろう。相変わらず詠人は飲みこみが遅いわね、長良川の川鵜ですらもっと飲みこみ早いわよ、とかなんとか言いながら。でもそれは野暮っていうんだ。僕は彼女に問いかけるかわりに、ゆっくりと頷く。
「なんて言えばいいのかな……『いらっしゃい』?」
僕がうんうん唸りながら考えていると、怜未はくすっと微笑を漏らした。
「なにも言わなくていいのよ」
彼女は右手を丸め、その拳を僕とソラの間に突き出す。僕も同じように、丸めた右の拳を怜未のそれに突き合わせる。僕と怜未はソラの方を見やる。彼女は無言で、僕らと同じように拳を突き出してくる。言葉はいらない。突き合わせた拳から、ふたりの心臓のビートが伝わってくるのを感じる。
ここが僕らの出発点だ。いずれ世界を変える僕らの、ささやかな出発点。
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