13
翌朝。
HRの開始時間を告げるブザーが鳴り、クラスメイトたちは自席についた。全員が座ったくらいのタイミングで、教室内にひとりの人物が入ってくる。担任の音無先生ではない。研修出張に出た彼女のかわりにHRを行う、このクラスの副担任だ。恰幅のよい中年男性教師で、つかつかと教壇を歩いていく。
「起立」「礼」といつもどおりの儀礼的な朝のあいさつが終わり、全員が着席すると、どうやら副担任の様子がおかしいことに気づく。口許をきつく引き締め、教室全体を睨みつけるように見渡している。教室内がさざめきたつ。「どうしたんだ」「HRは?」「始まらないのかな」「先生具合わるいの」「奥さんに逃げられたんじゃねえの」「ついにか」しかし副担任は眉ひとつ動かさない。
僕は怜未の方を見る。彼女も僕の方を振り返り、小さくかぶりを振った。彼女も事情を知らないようだ。
「おまえら静かにしろ」
低く唸るような副担任の声に、にわかに教室内が静まり返った。その瞬間に教室内の全員が、これはただごとではない、と悟っただろう。腹の底から響かせるような低い声を、いままでこの先生の口から聞いたことがなかったからだ。
生徒たちの視線は副担任に一点注がれている。誰もが彼の次の句をおそるおそる待っている。
そこへまた、彼の低い声が教室に響いた。
「昨日の放課後、これがこの教卓の中にあった」
先生はばんと大きな音を立てて、教卓の上になにかを置いた。僕ら全員に見えるよう、縦に置いてくれたようだ。そのおかげで、僕は彼の言っている「これ」がなんなのかすぐにわかった。
CDだ。
CDの入っているプラスチックケース。四人組の男女の写真に、「MES CHERIS」と書かれた文字が浮かんでいる。
「誰のものだ。正直に言え」
僕の視界はかすんだ。全身の血液が一気に凍りついていくのを感じる。どうして僕は気付かなかったんだろう。あんな大事なもの、どうして忘れてしまったんだろう。再び教室内がざわつく。「なにあれ」「音楽聴くやつじゃない」「音楽だって?」「マジかよ」「それって禁止されてるんでしょ?」「誰だよあんなの持ってるの」「ありえねえ」
音楽が禁止されていることは、誰でも知っている。それを聴くことだって、聴くためのものを持っていることだって、やってはいけないことだ。じゃあ、これがばれたらどうなるんだ。停学になるのか? 逮捕されるのか? ただCDを持ってただけなのに?
「この中にいるの? やだぁ」
「誰だよ! 正直に言えよ!」
クラスメイトたちの熱が昂ぶる。皆が口々に囃し立てている。鳥の巣頭の鳥巣と黒渕メガネの黒渕もその輪の中に加わっている。怜未の方に目をやると、なにかを必死で我慢するような沈痛な表情で座っている。肩が小刻みに震えている。振り向くと、ソラはなんの感情も読み取れないような無表情で、先生の持っているCDを見つめている。
僕はなにも声を発することができない。これ以上なにも見えないよう、ぎゅっと両目を閉じた。怖かった。あのCDが、僕の所持物だということが露見して、取り返しのつかないようなことになるのが怖かった。
「静かにしろ!」
副担任の怒声で教室は水を打ったように静かになる。誰もが口を噤み、きまりが悪そうに副担任を注視している。彼は環視のなかで乱雑にケースからCDを取り出した。プラスチックが軋めき合う音がぎいぎいと響き渡る。その音に合わせて、息苦しさにきつく心臓が締め付けられるみたいな感覚に、僕はひどく目眩を覚える。副担任は取り出したCDを両手で持ち、目の前に掲げた。
「こんな野蛮なものっ!」
CDが真っ二つに割れた。
副担任が両手に力を込めると、CDはいともたやすく破壊されてしまった。
教室にはどよめきすら起こらない。実際は驚いたクラスメイトたちがささやきあっているのかもしれないが、もはや僕の耳にはその物音すらも届かない。僕は唖然として、副担任が床に打ち捨てたCDを踏みつけている様子を、ただじっと眺めている。
CDが割られてしまった。
僕のCDが、僕の音楽が、大人に破壊され、一擲され、蹂躙されている。それなのに僕の身体は少しも動こうとしない。怖くてたまらない。この期に及んで、僕は恐怖に打ち震え、椅子の上で縮こまっている。
視界の隅で、怜未がたまりかねたように腰を上げるのが見えた。しかしそれより先に、がたりと大きな音を立てて誰かの椅子が倒されたかと思うと、教室から走り去っていく足音が聞こえた。振り返ると、後部のドアから飛び出した人影が見えた。
ソラだ。
長い黒髪を振り乱して走り去っていくのが見える。
「宇田越っ!」
副担任が鋭く怒鳴る。しかし彼女の姿はもう見えない。
今度は考えるより先に身体が動いた。
「先生、宇田越さんの様子を見てきます」
そう言って立ちあがり、ソラが出ていった教室後方のドアから廊下に出る。副担任がなにか言うのが聞こえた気がしたが、もはや彼の言うことなんか耳に入らなかった。廊下で辺りを見回す。しかしソラの姿はもうない。どこ行ったんだ。どうして出て行ったんだ。いろんな想いを必死に飲みこみ、僕は床を蹴って走り出した。
彼女はきっとあの場所にいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます