02

 この世に偶然なんてものは存在しない。

 あるのは選択の積み重ねと、その結果だけだ。

 たとえば朝の登校時、通学路で幼馴染とばったり出会ったとする。ふつうであれば「偶然だね、一緒に学校行く?」なんてあいさつを交わす場面である。でも、ここでひとつ考えてみてほしい。その「偶然」とは、道端で出会ったふたりがとった、いくつもの選択の結果であるということを。

 その日の朝、学校へ行くという選択をし、その時間に家を出るという選択をし、その道を通るという選択をふたりがとったからこそ、そこに出会いが生まれたんだ。偶然というのはつまり、人が積み重ねてきた選択が、くもの糸のように巡りめぐって繋がりあったことの結果なのである。

 人生において、僕たちはたくさんの「選択」をする。それはその日の洋服選びなどのささやかな選択だったり、大学選びや就職活動など人生の岐路ともいえる重大な選択だったりもするであろう。その一つひとつの選択が、自分の積み重ねてきた過去であり、これから進んでゆく未来でもあるのだ。

 僕がそんなことをつらつら言っていると、となりを並んで歩いていた幼馴染が、僕を変人でも見るような目で睨んできた。

「ちょっと……朝からいきなり意味わかんないんだけど」

 朝の通学路は、学校へと向かう高校生で溢れている。気だるげな表情を浮かべた生徒たちが、みな同じ制服に身を包み、学校の校門に吸い寄せられるように入っていく。

「私たち家近いんだから、授業に間に合うようにしようとするとだいたい同じ時間に出ることになるのは当然でしょ。入学してから一ヶ月も経てばその時間に家を出るのが習慣になってくるし。通学路だって、家が近いなら同じような道を通るのが普通じゃん。人通りがなるべく多くて、なるべく短距離で通える道。まだ私たち学校のまわりの道あんまり知らないし、日によってわざわざ違う道を通るのは変」

 そこまで言って、幼馴染の怜未れみは小さなあくびをした。僕がその一部始終をじっと見つめていると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめながらそっぽを向いてしまった。そして今までよりももっととがった口調で話を続ける。

「そもそも『学校へ行くという選択』ってなに。授業があるなら学校行くでしょ」

「行きたくない日だって誰にでもあるだろ」

「宿題を忘れた日、とか?」

「宿題の存在を自分だけ知らされていなかったことに気づいた日、だ」

「それただ寝てて聞いてないだけじゃん!」

 怜未はあからさまに溜息をついた。それに、と前置きを入れる。

「『選択の積み重ねが巡りめぐって繋がりあった結果』って、なんだかそれ、運命みたいじゃない。登校がたまたま一緒だったくらいで運命感じられるなんて迷惑だし。ただでさえ幼馴染なんていう面倒くさいポジションなのに」

「え、面倒くさいポジションってなに」

「なんで私が詠人えいとの世話係やらないといけないのかってこと」

 世話係ってなんだ。僕は怜未のペットでもなんでもないぞ。

 そう反論しようとしたが、僕の口からは違う言葉が出てくる。「いやなの?」

「いやって言うか……小学校低学年のおトイレ掃除を押し付けられた感じ」

 それをいやって言うんだろ。ひでぇやつだな。「流し忘れとかあるし、高学年より手ごわいよね」わざわざ補足解説入れなくていいよ……。

「まあ、詠人のおばさんからもよろしくねって頼まれてるし、仕方ないかな」

「うちのトイレも掃除してくれんの?」

「しないわよ。自分のお尻くらい自分で拭きなさい」

「尻の掃除の話はしてねえだろ」

「そもそも掃除の話じゃないわ」

「怜未が始めたんだよ」

 僕がそう苦言を呈すると、彼女は「そうだったっけ?」と言ってぺろりと舌を出した。

 生徒たちの波に乗って、僕たちも学校の校門をくぐった。生徒指導の先生が校門のそばに立ち、生徒たちに暑苦しいあいさつを押し付けている。怜未がみごとな八方美人スマイルで「おはようございます!」とあいさつを返すと、生活指導の先生は「倉城くらぎ、今日も元気だな!」とそれに応える。どちらもまぶしい満面の笑顔だ。ふたりともご苦労。君たちのような太陽みたいな人たちが朝からやかましいおかげで、今日も世界は光に満ちて平和だ。そして君たちのような人たちが輝けば輝くほど、できた日陰に僕みたいな日陰者が逃げ込んで安息を得ることができるんだ。輝ける太陽に感謝。僕が目をつぶって黙祷を捧げていると、怜未が「ほら、詠人も歩きながら寝てないであいさつして!」と僕の尻をかばんで殴った。僕は億劫になりながらも「おあーっす」と適当に返す。

「さっきの話だけど」

 下駄箱に入ると、また怜未が話を始めた。登校してきたクラスメイトのあいさつに応えながら、僕との会話を続けようとしている。器用なやつだ。

「あんまりおばさんたちに心配かけないようにね」

 そう言われて僕の息は詰まった。なんのことだ、と返そうとするが、それに先んじて怜未が次の言葉を継いだ。

「今日もまた行くんでしょ? 音楽室」

 今度こそ、僕はなにも言えなくなった。

 もうすぐ朝のHRが始まる時間だ。生徒たちが廊下を足早に歩き去っていく。僕はそれを横目で追いながら必死に考えを巡らせるが、しかし返す言葉は出てこない。校門をくぐったときには太陽のように輝いていた怜未の表情も、いまは湿気を孕んだ雨雲のように沈痛だ。見知った顔のクラスメイトたちが、僕たちの方へなにやら悪戯な目線を向けている。また痴話喧嘩だと思われているのだろうか。

「正式には視聴覚室っていうんだよね。放課後いつもあの部屋に行ってるんでしょ?」

「………」

「まだ音楽なんてやってるの」

「……そんな言い方すんなよ」

「でも、音楽は、もう」

「大丈夫だって、ちょっと触ってるだけだから。母さんたちにはまだ知られてないし、これからも知られるつもりもないよ」僕は怜未をなだめるように言った。「大丈夫だって」

「でも――」

 彼女が言葉を返そうと口を開いたとき、ちょうど校内にブザーが鳴った。生活指導の先生が戻ってきて「ホームルーム始まるぞー。早く教室入れ」と声をあげている。遅れてきた生徒たちも小走りで廊下を通り抜けていく。僕はブザーに救われた思いがしてほっと溜息をついた。

「もう話はいいだろ。行くぞ」

 怜未はどこか不満そうにうつむきながら、それでも頷いてくれた。僕はそのとき気づいてしまった。クラスメイトたちが向けていた視線の先にはこれがあったのか。僕はこれまでの重苦しい空気を飛ばすように、それを指先でぴんと弾いた。

「お前寝癖ついてるぞ」

 弾かれたように怜未が顔を上げた。その表情は驚きの朱に染まっている。右手を後頭部にもっていき、美しいまでに直立している髪をなでると、みるみるうちに驚きの朱が羞恥の朱に変化していく。

「なんでもっと早く言ってくれないの!」

「しょうがないだろ。今気付いたんだから。早く直して来い」

 彼女は頬を膨らませながら激しく地団駄を踏んでいたが、僕が化粧室を指差すと、僕に恨めしげな視線を寄越して、僕の指差す方向へ走っていった。

 さっき鳴ったブザーは予鈴だ。HR開始までまだ五分はある。

 僕は思わず笑い出しそうになるのを必死にこらえながら、

「早くしないと遅刻するぞ」

 と言い残し、教室へと向かった。

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