回想 城山にて
台風が過ぎ去ったあとの、気味が悪いほど晴れた夜。
天守閣から少し下った城山の展望台で、わたしたちはベンチに座ってポテトチップスを食べていた。ぱりぱりと、乾いた音だけが暗闇に響く。
眼下の街ではあちらこちらで赤い回転灯が回っていて、次第にわたしたちのいる城山にも迫り始めていた。身を隠すのに気を遣ったわけでもないし、見つかるのは時間の問題だろう。とはいえわたし自身の家出ではないのだから、焦燥に駆られることもない。学校へのそれらしい言い訳を考えながら、また一枚ポテトチップスをかじる。
「ねえ、家出と飛び降り自殺って似てる気がしない?」
「似てない」
「や、聞いてよ」
当の家出人にも焦った様子はぜんぜんなくて、さっきからこんな話ばかりしている。
「つまるところ爆発力のはなし。これをしたら危ないなーとか、取り返しがつかないなーとか、そういう理性的な判断をぶっ飛ばすくらいの爆発力がないと、家出も飛び降りもできないよね」
「それ、なんにでも言えそうだけど。他にはどこが似てるの」
「飛び出したら、落ちるのを待つしかないところ」
そのときの蓮江は、これまでで最高の笑顔だったと思う。
「この空にある星も全部、ずっと落ち続けてるんだよ。星の上にいるわたしたちも巻き込んで、みんなが自由落下の最中にいる。それって、なんだかすごく素敵なことじゃない?」
「でも、いつか落ち切る時が来たら、全部壊れておしまいだよ?」
「そんな終わり方ができるなら、やっぱり素敵だと思うんだよなあ」
たぶん、それは幼い破滅への衝動だったのだと思う。
死にたいとか、逃げたいとか、そういう言葉としての形相を取る以前の、未分化な衝動。どうしていいかわからないから、どうしようもない気持ち。いま思えばいかにも思春期の子供らしい。
「落ちることって、前に進むよりも単純な運動だと思うんだ。わかりやすくて、ブレようがない。いらないこと、考えなくて済むよね」
「それは、考えることを放棄してるんだから、そうだろうね」
わたしは、蓮江ほど簡単に物事を投げ出せない。人間は意志によって動いているし、進んでいる。それを捨ててただ落ちるに任せるなんて、生きているとは到底言えない。
「ほんと真面目だなあ。生きることって、そんなに難しいのかな? みんな、まるで正しい生き方があるみたいに言うけど、結局のところ押しつけだよね。正しいっていうか、正しくあってほしいだけで」
「もしかして、愛されるのがうっとうしいの?」
「愛されてるわけじゃないよ。あの人たちは、愛してる自分と、愛に対して返ってくる想像通りの反応に自己満足してるだけ。わたしの立ち位置が愛の対象として好都合なだけで、わたしの人格とか想いは関係なくて。そんなの、ものに抱く愛着と変わらないよ」
蓮江は感情の昂るままに、強い語調で吐き捨てる。感情をはっきりと示す子ではあったけれど、ここまでの怒りを見せることは珍しかった。そのあまりの剣幕に気圧されながらも、わたしは落ち着いて言葉を選ぶ。
「理想が高すぎるんじゃないかな。感情なんて、そもそもみんな一方通行なの。分かり合った気になることは簡単だけど、本当に分かり合えているかどうか確かめる術なんてないんだから。人の心は覗き込めないから、ある程度は理解を諦めなきゃいけないと、思う」
わたしの言葉の終わりをかき消すように、秋風が強く吹き抜けた。
「冷たいね」
「うん」
風のことか、わたしの心のことか、それともその両方か。あるいは蓮江の孤独な心持ちのことか。いやきっと、そのすべてに対してこぼれた言葉だったのだろう。
コンビニの袋から生温くなった缶コーヒーを取り出して、気休め程度の温かさで指先をほぐし、木製の柵に近づいて街を見下ろす。遠く高速道路のナトリウム灯のオレンジ色だけが温かく、眼下の街は青白い光に満たされて、凍り付いているようだ。先ほどまで見えていた赤い回転灯も見えなくなって、動くものはほとんど視界に入らない。
「さっき、空の星も、わたしたちも、なにもかも落下の途中だって言ってたけど」
頭上を覆う真っ黒な夜空には、無数の星が瞬いている。星の光は強い風で揺れ瞬くのだと、いつか聞いたことがあったっけ。
「落ちる先はどこなんだろうね」
たぶん、と蓮江が言いかけたところで、わたしたちを捜す人々の声が間近に聞こえた。
彼女は一度言葉を止めて、わたしの隣まで歩いてくると、崖下にくろぐろと広がる闇を指した。
「どんな場所よりも、ずっと低くて、ずっと暗い場所だよ」
もしもこの夜に底があるならば、そんな場所だろう。他人事のようにぼんやり考えながら、わたしはコーヒーを口に含み、次第に近づいてくる足音を聞いていた。
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