3-3 何千万年もの時間が、頭上で目まぐるしく回転していく。

 何千万年もの時間が、頭上で目まぐるしく回転していく。


 隣の蓮江は無邪気に楽しんでいるようだが、わたしはプラネタリウムというやつがあまり好きになれない。なんだか、見えないはずのものが見えすぎているような、都合がよすぎるような、そんな感覚がするのだ。


 「昔さ、城山で一緒に星を見たことあったよね。こんな風に」

 「蓮江が家出したときの話?」

 「一緒に家出したときでしょ」


 蓮江はそう言うけれど、わたしとしては家出したつもりはさらさらなくて。ただ、家出したがっていた蓮江に付き合ってあげただけの話だと思っている。実際、大騒ぎしていたのは蓮江の両親だけで、我が家ではわたしがいないことにすら気づいていなかった。決してぞんざいに扱われていたわけではないが、祖父母と伯母はあまりわたしに干渉しようとしなかった。わたしの方も過度な干渉を拒んでいたから、わたしたちの間には完全な平衡があったのだと思う。


――ひとが行動を起こすときには、必ずなにかの平衡が崩れている。


 そういう意味で、わたしは行動らしい行動を起こすこともなく、釣り合った台の上で生きている。対して、蓮江はいつも揺れ動く天秤の上にいるようで、傍から見ていても危なっかしいほど感情の振幅が激しい。

 だからこそ、わたしは昔からずっとこの子といるのかもしれない。気を抜くと止まってしまいそうなほど刺激のない、絶望的なほど均整のとれた現実に、不安定で予測のできない動きが欲しくて。


 「あの頃のささねはなんか怖かったよね。なにを考えてるのかわからなかったっていうか」

 「それ、こっちのセリフなんだけど……わたしは素直だったでしょ、誰かに逆らうようなこともなかったし」

 「よく言えば素直だけど、悪く言えば他人指向って感じだったよね。今だから言うけど、そういうのが一番怖いよ? 他人指向のひとって、誰かの姿で身を隠してるだけで、自分がいないわけじゃないんだから。それが見えないってことは、近くにいてもそのひとの本音がわからないってことだから」

 「もしかして、偽善が許せないタイプ?」

 「それは考えたことなかったけど……そうかも。感情と行動がちぐはぐなのって、おかしいよ」


 気づけば空の時間は現代まで進んでいて、見覚えのある配置の星が頭上を巡っていた。一息つく間に百年が過ぎ、千年が過ぎて、今や遠い未来の夜空が映し出されている。


 「でも、善人だろうと偽善者だろうと、やってることは同じじゃない? 結果が同じなら、感情はべつにどうでもいいと思うけど。募金だってみんな金額しか見ないでしょ」

 「そういう即物的なとこあるよね……」

 「見えないものを信じるのって、リスキーだから」

 「友情とか絆は見えないけど」

 試すような蓮江の言葉に、わたしはきっぱりと答える。

 「人間は目に見えるよ」


 そんなもんかなあ、と呟いて蓮江はプラネタリウムに意識を戻した。


――嘘だよ。


 人間を構成するものは見えないものが大半で、だからわたしは人間の大半を信じない。

 蓮江ならそんな考え方をわかってくれるだろうか? 可能性はたぶん、ゼロではなくて。でも、見えないから信じられない。信じられないから、嘘をつく。

 ごめんね、と口の形だけで謝って空に目を戻すと、星の光はすべて消え失せて、そこにはただ空ろな天井があるだけだった。


 「……今度さ、ほんとの星を見に行かない? あのときみたいに、城山で」

 「辻斬りもまだ捕まってないみたいだし、夜中に出歩くのは危ないんじゃない」

 「言うほど気にしてないでしょ」


 言われてしまえばその通りだ。単純に正しい言葉を言ってみただけで、わたしの中に『危ない』という実感は欠片もない。


 「まあ、そうだけど。蓮江は怖くないの?」

 「怖いよ、怖いけど、なにもかも律儀に怖がってたら身動きできなくなるよ。いまこうしてる瞬間にも、隕石とか落ちてくるかもしれないし」

 「世の中には確率ってものがあるんだけど」


 まだ捕まっていない辻斬りに遭遇する確率と隕石に命中する確率なら、確実に前者の方が起こりやすいはずだ。


 「ああ、あるある、隕石に当たる確率は宝くじに当たる確率より高いとか、そういうやつ。でもさ、そんなの当たった人にとっては100パーセントだし、当たらなかった人にとっては0パーセントだと思うんだよね。1と0の間の数字なんて考える意味ある?」


 こんなことを言っているやつの数学の成績がいいのだから、やりきれない。

 1と0しかない蓮江の世界には、きっと善か悪しかない。白から黒しかない。灰色の言葉は撹拌され、分離されて、純粋な白と黒に選り分けられる。信じるべきものはあらかじめ定められていて、絶対悪は決して善性を持たない。限りなく整えられた現実。

 自分には到底受け容れられないけれど、そんな風に世界を心から信じられる蓮江には、諦めに似た憧れを覚えていた。

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