2-2 夕暮れの冷たい空気を引き裂いて花散里が閃く。

 夕暮れの冷たい空気を引き裂いて花散里が閃く。


 刃鳴りはほとんどなく、気づいた時にはもう刀身が現れていた。素人のわたしにはなにが起きたのかもわからないのだが、祖母は刀を収めてから釈然としない顔をしていた。


 「孫娘にいいところを見せたかったけれど、こういう時に限って上手くいかないもんだねえ」

 「ううん、かっこよかったよ」


 祖母の部屋は庭から差し込む光だけでほの暗く、かすかに線香の香りが漂っている。祖母はわたしと畳一枚分を隔てて向かいに座り、ゆっくりと花散里を鞘から抜いて見せた。重花丁子じゅうかちょうじと呼ばれる、花弁が折り重なるように華やかな姿の刃紋。金属が光を通すわけもないのに、刀身はまるで水面のように澄み切っている。刀の厚み――重ねは薄く、武器らしい無骨さは感じられない。


 「笹音は刀が好きかい?」

 「嫌いじゃないよ。なんか、余計なものがないところがいいなって」

 「じゃあ、刀が怖いとも思わない?」

 「とくには。ありきたりだけど、危ないのは武器じゃなくて使う人間だと思うから」

 「笹音には辻斬りの素養があるのかもしれないねえ」


 ふんふんと頷きながら、祖母がとんでもないことを言い出した。


 「あたしゃね、どんな人間だろうと、状況に迫られれば人を斬ることができると思う。でも二人目、三人目は難しい。人を斬ることそのものへの抵抗よりも、刃物への恐れが大きくなるのさ。そこの割り切りができていれば何人でも斬れるんだろうね」

 「おばあちゃん、経験あるの……?」

 「筐の姫の話だよ。あたしが辻斬りに見えるのかい」


 祖母はあからさまに不機嫌そうな顔をして、わたしをにらむ。

 このひと――父方の祖母と一緒に暮らすようになったのは、高校生になってからのこと。このひとは出張がちな両親にも増して家におらず、暇さえあればどこかへ旅に出てしまっていたので、幼いわたしの養育係としてはまったくもって不適格だった。代わりに母方の祖父母と伯母が面倒を見てくれていたが、家族の実感が持てるのは父方の祖母だけだ。血は水よりも濃いというやつで、一緒に過ごした時間以上のものがわたしたちの間には流れている。


 「きっと、賢くて落ち着いた姫君だったんだろうねえ。そうでなきゃ辻斬りは続かない」

 「なんか、辻斬りってもっと直情的なひとがやってるイメージだけど」

 「人間の感情っていうのは冷めるもんなんだ。いっときの激情で人を斬れたとしても、二度目も同じだけ感情を昂らせることはできない。だから勢い任せの人斬りは続きっこないのさ」

 「熱量を保てなくなるってこと?」

 「そうさね。でも、理屈を立てて人を斬る辻斬りには元から熱がないから、冷めることも熱することもない。噂話だけれども、昔は病気平癒の願掛けのために千人斬りを目指す辻斬りもいたらしいよ。お百度参りみたいなもんだ。そういうやつは目的を果たすまで同じように斬り続けるんだろうねえ」


 辻斬りの話をしているのに、祖母はどこか昔を懐かしむような表情をしていた。さすがに自分の手でひとを斬ったわけではないだろうが、なにか思うところがあるのだろう。


 「で、なんでわたしに素養があるの?」

 「笹音はものごとをそろばん勘定で考えるだろう? そういうとこさ」

 「そろばん勘定って言葉、昭和っぽいよ」

 「言うようになったねこの子は」


 祖母は上機嫌そうに笑い、ふっと真剣な顔になる。


 「……あたしゃね、人斬りそのものが悪いとは言わないよ。人間には宿世ってものがあるから、人斬りをしなきゃならない人生もあるだろうね。もしもその時が来たなら、まずは自分の理性に従うことだよ。何百人斬り殺そうと、筋が一本通ってるならあたしはあんたを信じるからさ」

 「わたしは人を斬らないよ。刀とか振れないし」

 「まあ、話半分に聞いときな」


 そうやって軽く流して、今度は京都旅行の思い出話がはじまる。


 どんな目的のためなら人間はひとを斬ることができるのだろう。

 いのちを奪うことに相応の意味はあるのだろうか?

 それから、今度の辻斬りは二人目を斬るのだろうか?


 答えなど出るわけもなく夜は更けていき、その日もまた夜半過ぎから叩きつけるような雨が降った。

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