2-1 若い女の子の血って美容にいいらしいよ
「若い女の子の血って美容にいいらしいよ」
「なに、藪から棒に」
まだまだ梅雨の明けない七月の初旬、まどかはいつにも増して生き生きとした顔で話しかけてきた。ここまで楽しそうなのは先月の肉屋の娘さんの事件以来だ。悪い予感しかしない。
「殺されたの、二十代半ばの女の人だったんだって。今回も前と同じで袈裟懸けにばっさり。怨恨の線は薄くて、また通り魔らしいって話。血を浴びたくてやってるんじゃないかなあ」
「わたしだったら雨の日は避けるけど。シャワー浴びながら化粧水つけないでしょ」
「うわ、その発想はなかった。さっちゃんこわっ」
昨日の昼過ぎ、市営体育館に程近い用水路で女性の遺体が見つかった。
警察の発表によれば殺害されたのは一昨日の夜らしく、用水路の葦に隠れて発見が遅れたのだという。死因は出血性ショックとのことだが、まどかによれば袈裟懸けに斬り殺されていたのだという。
「ちなみに、まどかってどこからそんな話を聞いてくるの」
「お兄ちゃんが警察官だから。あ、でも違うんだよ。お兄ちゃんはこういうことを誰にでも言ったりしないし」
「あなたに言った時点でみんなに言ってるようなものだからね?」
とはいえ、まどかが喋らなかったところで情報はすぐに知れ渡るだろう。先月の事件に続けて、またもや雨の夜の通り魔。ついでに殺し方まで似ているとなれば、噂好きたちが放っておくわけがない。
「にしても、なんで夜中に出歩いたりするんだろ。九時過ぎたら駅前のお店もほとんど閉まってるのにさ。夜の街ってなにが出てくるかわかんなくて不気味だし」
「わたしは、歩くなら昼よりも夜の方が好きだよ」
「なんで? 怖くない?」
歩くなら夜がいいと思ったものの、いざ理由を聞かれると言葉に詰まった。夜は静かで、冷たくて。それからなにより――。
「怖いとか、怖くないっていうんじゃなくて、例えばトンネルの中って歩いたことある? 照明の間隔が広いところだと、地面がぜんぜん見えなくなるところがあるの。足を踏み外したらどこまでも落ちていきそうで、でも歩いてみれば確かに地面はあって。つまり、不安と安心との落差が大きいんだよ。夜に歩くのが好きなのは、たぶんそういうこと」
「んー、わっかんないけど、あたしジェットコースターとか嫌いなんだよね。遅くなったり速くなったり上がったり下がったり、なんか煮え切らないなーって。そういう話?」
「まあ、大体そんな感じかな」
うまく伝わっていないような気がするが、個人の感覚なんてそんなものだ。感覚とか感情には計量可能な部分とそうでない部分がある。わたしたちがわかりあえるのは量れる部分だけで、量れない部分のことはわかりあえないし、その必要もないのだろう。そう考えていた方が幾分気楽に生きていられる。
まどかとジェットコースターとの十年以上に渡る因縁――三歳のころ、木造ジェットコースターがぎりぎりと軋んでいるのに戦慄したのが因縁のはじまりらしい――の話が終わったところで、彼女は思い出したように言った。
「そういえば、さっちゃんのとこに日本刀なかったっけ? なんか、みやびな名前のやつ」
「ああ、花散里のこと? 話したことあったっけ」
「お兄ちゃんが」
「うん、もうわかった……で、あれがどうかしたの? おばあちゃんが趣味の居合に使ってるだけの、普通の刀だよ」
県の文化財に指定されている刀剣を振り回すのはあまり褒められた行為ではないのだけれど、祖母はとにかくあの刀に魅せられていて、たまに振らないと生きている心地がしないらしい。
「それ、盗まれたりしてない?」
「盗まれるって、どうして」
「例の通り魔の凶器、日本刀らしいんだって。真剣を持ってるひとってあんまりいないでしょ? だから、さっちゃんにもそれとなく確かめとけって言われて」
それとなく、という言葉の意味をそれとなく教えたいところだったが、それよりも花散里のことが心に引っ掛かる。
あの刀が飾ってある祖母の部屋は庭に面していて、ガラス戸はいつも施錠していない。玄関の鍵も開けっ放しで、誰かの悪意が入り込むことなんて想像だにしていないのだ。この街ではどの家も同じようなものだが、だからこそ不安は一気に膨らんでいく。
ちょうど今週のはじめから祖母は二泊三日の京都旅行に出かけていて、あの刀はしばらく誰の目にも触れていないはずだ。父は出張中で最近仕事を辞めた母もそれに付き添っているし、いまあの家にいるのはわたしだけ。わたしは塾通いで帰りが遅いし、盗みに入ろうと思えば造作もない。
確かめてみるよ、と軽くまどかに応えながら、わたしの心中は気味悪くざわついていた。
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