1-1 落ち武者がさ、出るんだって

 「落ち武者がさ、出るんだって」


 いかにも怖がって欲しそうな顔でまどかが迫ってきたのは、六月の終わりの放課後のことだった。

 わたしは帰宅部で教室には長居しない主義なのだが、目の前の席にいるまどかからはさすがに逃げ切れず、毎日のようにくだらない噂話を聞かされている。聞かせるだけならいいのだが、反応を求めてくるからたちが悪い。


 「へえ、怖いね」

 「あーもう、さっちゃんさー求めてるのはそういうリアクションじゃあないんだよなあ」

 「ふりでも怖がってあげたんだから感謝してよ。だいたい、城下町に落ち武者は出ないんじゃないの」


 わたしたちの暮らす街は狭く平らな盆地の中にあって、とくに交通の要衝というわけでもなく、これと言って栄えていたわけでもない。戦国時代にこのあたりを支配していた大名が城を建ててみたものの、一度の戦も経験せずに二十一世紀を迎えてしまった、そんな感じの土地。窓の外を見れば、人口のわりに広い道路と背の低い建物がちらほらと見えて、遠くの方にまんまるとした城山が鎮座している。


 「みんなが落ち武者って呼んでるんだから仕方ないじゃん。なんでも、『包丁さま』の家臣の霊らしいよ。東通りの真ん中を刀片手に歩いてるんだってさ」

 「そんなに珍しい怪談話でもないでしょ。小学生の頃から聞いてたよ」


 『包丁さま』というのはこの地を支配していた大名の四代目だか五代目のこと。刃物好きが高じて城下の鍛冶師を支援し、包丁をこの街の名産としたことで知られている――というのは表向きの話。彼はどうやら日本刀を偏愛していて、金に糸目をつけず古今東西の名刀を蒐集していたらしい。さらに集めるだけでは飽き足らず、夜中に辻斬りを装い、趣味を同じくする家臣を伴って町人を斬り殺したという噂があるのだ。刃物が好きだと異常者扱いされるという、よくある偏見である。不憫。


 「でも、今回はひとり死んでるんだってば」

 「こないだの通り魔の話? あれって犯人捕まったんじゃなかったっけ。あの、ほら」

 「肉屋の娘さんね」

 「言わないようにしてるの、察してよ……」

 「みんな知ってるんだから別にいいじゃん」


 先月の通り魔事件は、この街にしてはかなりセンセーショナルな事件だった。二十代の普通の女性が、同じ年映えの女性を無目的に殺害するというのは、まっとうな精神を毒すほど異常だ。校内では事件のことについて暗黙の箝口令が布かれている。犯人と被害者がどちらもこの学校の卒業生だっただけでなく、遺体を発見したのが現役の生徒だったのだから無理もない話だが。


 「で、その手口が問題でね、なんと左肩から右脇腹にかけてざっくりいってたんだって。いわゆる袈裟懸けってやつ? 凶器は長めの牛刀だったらしいけど、ちょっと普通じゃないよね」

 「『包丁さま』の家臣がとり憑いたって言いたいの? 肉屋の娘さんなんだから、大きめの肉塊を切るなら力任せに叩き切るのが効率的だって知ってたんでしょ、きっと」

 「お、大きめの肉塊……さっちゃんってたまにとてつもなく怖い言い回しするよね」

 「わたしじゃなくて、犯人にとってはそうだったんじゃないかって話。ただの想像だよ。自分から話振ってきて変なところで引かないでくれる?」


 そんな話をしていたところで、教室の入り口に見知った顔が現れた。

 染め損ねたような色のくすんだ茶髪に、やたら茶目っ気のある瞳。背はわたしよりもずっと高くて、顔かたちもそれなりに整っているのに、なぜだか中学生のような子供らしさを感じる。

 蓮江はわたしの視線に気づくと、控えめに手を振った。なんだか犬にしっぽを振られているみたいだな、と思いながら手を振り返す。愛想よくしているつもりはないのだが、わたしが手を振ると蓮江はいつも嬉しそうに笑う。こちらが与えた以上のものを返そうとしてくるから、動物は嫌いだ。

 対して、目の前のまどかは先ほどまでの冗談めかした笑顔を失い、不安そうにわたしを見つめていた。


 「大丈夫。とくに変わったことはないよ」


 蓮江に聞こえないようにつぶやくと、まどかは苦い顔で視線を反らした。


 「だからそれが大丈夫じゃないの、わかってるかなあ……」

 「まどかは想像力が旺盛すぎるの。人間って意外と図太い生き物だから、ちょっと人死にを見たくらいで壊れたりしないよ」

 「みんながそこまで図太くないよ」

 「わたしは図太い方だけど」

 「しってる」


 それきり、まどかは机に突っ伏して返事もしない。またね、と声を掛けると、彼女の指がわずかに動いて応えた。

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