フェイズ4:その劇、終えるべからず

 バヅンッ!

 廃教会に、奇妙な破裂音が轟いた。

 それが悪名高きヴィラン〈グルームトゥース〉の最期だと、誰が知ろうか。

 彼の骸も断末魔も、この地上から忽然と消え去り、もはや存在しないのだ。


「あははっ、楽勝……。あれ? でも、なんか違う。こいつじゃなくない? “先生”からのメッセージ、何か来てないかにゃ〜?」


『すまない、今回の敵は勘違いだった。だが、次こそ本物の、“キミの敵”のはずだよ。次の場所に急ごう』


「やった♪ありがとう、ありがとう“先生”」


 スマートフォンを仕舞う。

 その直後、吐き気がこみ上げてきた。そのまま、嘔吐する。

 胃液と、血。それだけだった。

 ズキズキと目が痛む。心臓が悲鳴を上げている。明らかに、“力”の使い過ぎだ。

 だけど……まだ、いける。いかないと。

 顔を上げると、ボロボロの十字架が見えた。あとひと押しで崩れそうなところを、か細い蔦が巻き付き、保っている。


 無性に、苛立った。


 ベタベタと締め上げ縛って、見るからに鬱陶しい。千切ってしまえば、楽になるはずだ。結果、崩れたとしても、それはそれで、なるようになっただけのこと。

 ネコは蔦を睨みつけ―――ふっと微笑んだ。


「放っておいたって、勝手に千切れるよね、あんな弱っちいの」

「いや、そうでもねぇぞ? 案外としぶといもンだぜ、ああいうのは」

「ッ!?」


 廃教会の扉にもたれかかるように、少年が立っていた。

 その横に、小柄な少女。

 いずれも見覚えがあった。


「むっ、迎えにっ、来ましたっ!」

「……迎え? 何言ってんの? ウチはまだ、やることあるし」

「あの、でも、それは……そのっ……」

「いもしねぇ仇を、勝手にそこらのヴィランに重ねて始末するのが、あンたの“やること”かい。笑わせるぜ。マジうける」

「何を言ってるか、わかりませんにゃー。ムカつくことだけは、わかるけど」

「Vネットは覗けなくてもよ、その周りで起こってることを調べ上げりゃあ、結構カタチは見えてくるンだぜ。ま、やったのは俺じゃねぇけどな」


 墓守が、少女の頭をぽんぽんと叩く。

 その様が、ネコの胸の奥に不快な疼きをもたらした。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 仇をとらないと。殺さないと。

 殺すのを邪魔するやつは、きっと、きっと……。


「そっか。あんたたちは偽物ですにゃ〜。そんなのは……消えろっ!」


 ネコの瞳孔が、大きく開がってゆく。

 黒い虚は広がり、広がり、広がり、そして。


「くっ、空間歪曲、来ますっ!」

「おぅよっ!」


 チビを抱えて、墓守が跳んだ。

 直後、それまで立っていた位置が大きく歪む。

 空間が渦を巻き、虚空の一点へと内向きに激しく流れ込み―――

 バヅンッ!

 扉と石壁が、文字通り消失した。

 空間ごと消え去ったのだ。奇妙な破裂音は、周囲の大気が真空を埋める音だった。


「消えろっ! 消えろ消えろ消えろっ! ウチの光を、両目を抉ったように! 暗い虚に消し落とせっ! 〈メイルストロム・ゼロ〉!!」


 に向け、すべてを引き裂き飲み込む災厄の大渦。

 それが、彼女の能力〈メイルストロム・ゼロ〉。

 直撃すれば、墓守の不死身も意味をなさないだろう。

 なにしろ、この世から消え去るのだから。


「なるほど、バロールシンドローム……両目が“魔眼”ってワケか。それにしたって、この破壊力は異常だぜ」

「ヴィ、ヴィランにやられちゃったんです。その時に覚醒して……」

「憎いヴィランは、その場でお陀仏か。皮肉なもんだ。力を手にした時にゃあ、もう仇はいないってな」


 バヅンッ! バヅンッ! バヅンッ!

 柱が、壁が、椅子が、次々と消失していく。

 しかし、そのいずれもが当たらない。


「つ、次は……ステンドグラスの真下の柱、ですっ!」

「おぅよっ!」


 空間情報を走査し、書き換える。

 それが、このチビが言うところの“”能力のすべてだった。

 か細い光の立方格子は建物内部を覆い尽くし、いかなる空間の微細な歪みも即座に捉える。

 〈ヴァーチャル・ライト〉。

 空間を歪める〈メイルストロム・ゼロ〉にとっては天敵とも言える能力だった。

 そして―――


「〈エピタフ〉ッッッ!」


 空間から、突如、白い槍が伸びた。

 墓守の〈槍〉、エピタフだ。〈ヴァーチャル・ライト〉が隠蔽していた。穂先から八つに裂け、意志持つ鎖のように伸び動く。

 四つは魔眼が生み出す渦に飲まれて消えた。

 だが、残る四つが、手足の柔肌を貫き、壁に縫い止めた。


「うああっ……!」


 悲痛な声を上げたのは、それを見ているチビのほうだった。

 ネコは、ぜいぜいと荒く凶暴な息をつく。だが―――


(あの子、どうして泣いてるの……? 誰だっけ……そうだ、施設でウチの後ろをついてきた……あの子。ウチの、妹。泣かせたのは……ウチ、か……)


 漆黒の眼球から、涙が溢れた。血の色をしていた。


「ヒーローになンじゃねぇのかよ、あンた」

「ぐう、う……? ヒーロー……そう、だ……ヴィランを、殺す、ヒーローに……」

「ち、違います……! 守るって……みんなを守りたいって、ネコの人は、言ってたじゃないですか!」

「あ、れ……? ウチ、何をして……」

「一度、なるって決めたンだろ。目的があンだろ。だったら、簡単に途中で降りるンじゃねぇよ」

「あ……」


 嗚咽が、廃教会に響いた。



 * * *



 降り出した雨は、早くも裏路地に泥濘と水たまりを作り始めていた。

 跳ねる水も気にせず、歩を進める者がいる。

 D.U.S.T地区で小さな診療所を開いていた医者だ。正確には、その医者を殺して成り代わった男。〈デリリウム〉の名で知られるヴィランだ。

 

(〈ワイルドウィーゼル〉については、まぁまぁの結果でしたね。あの小娘……〈メイルストロム・ゼロ〉は傑作に仕上がると踏んでいたのですが……UGNの手に落ちたのであれば仕方ありません)


 彼は、ジャームの研究をしていた。

 なぜ、精神が不可逆的変化をするのか。本当に不可逆的なのか。

 Vネットを介した精神操作は、その研究の一端に過ぎない。

 “診療所”……自分の拠点を失うのは痛手だが、どこであろうと、人間がいる、オーヴァードがいる、そしてジャームがいる。なら、研究はできる。

 この暗い裏路地の先に行けば、新しい生活が―――


「……よぅ、“先生”。お引っ越しかい?」


 柄の悪い男が立っていた。

 歳は若そうだが、逆光で素顔がよく見えない。

 コートの襟とニット帽の間に見える両目は、いかにも凶暴そうな光を放っている。


「あの……どこかで、お会いしましたか?」

「そうだな。前に、世話になったことがある。まったく別の用件だったけどよ」

「そうでしたか。これは申し訳ない。どうも、研究バカというやつでして……データはよく覚えてるんですが、人様の顔はどうにも苦手で困ります」

「そうだな。モルモットの区別なンざつかねぇわな。なぁ、“先生”?」

「………………」

「………………」


 くるりと背を向け、駆け出した。明らかに、「」奴だ。

 だとしたら、交渉など無意味だろう。

 走って、走って、走って……異変に気づいた。

 この裏路地は、こんなに長かったか? そもそも、この光は何だ?

 糸のように細い輝きが、グリッド線のように走っている。


「〈ヴァーチャル・ライト〉だとよ。いい名前だろ。効果も、申し分なし」

「なっ!? ど、どうして目の前に……!? ちっ!」


 〈デリリウム〉は目の前に手をかざした。

 その掌から放たれるのは、可聴領域を超えた信号。人の脳に作用し、文字通り譫妄状態デリリウムを引き起こし、幻覚を見せる能力だった。

 目の前の少年―――墓守清正の眼前に広がった光景は……。


【苦しいぃぃぃぃ!】

     【殺してくれぇぇぇ!】  【殺サセロォォォォ!】

  【助けて、助けて】【許サナイっ!】

               【死にたくない……】【ごめんなさい!】


 ジャーム同士が殺し合う地獄絵図だった。

 これが、墓守清正の原風景。

 これより前の記憶は、一切存在しない。

 ジャームがジャームに堕ち果てる前、なんらかの結びつきがあったような気もする。だが、もう覚えていない。

 同時に、焼け付く妄執が心を締め付ける。異質に変容したジャームの精神は、それ自体が凶悪な兵器と言える。


 〈デリリウム〉が勝利の笑みを浮かべた瞬間、その胸板を、何かが貫いた。

 槍だ。

 墓守の手に握られた槍が、胸板を貫いている。


「え……?」

「ったく……うるせえなぁ、バケモノども。黙ってろ」

「な……ぜ……? 正気を保っていられる、はずが……ない……。異質な存在の囁きに晒されて、いるのですよ……」

「ケッ。カスらしい、本当にくだらねぇカス能力だな。異質な存在? 俺ン中にはなァ、そのバケモノどもがよッ!」


 そして、槍が蠢いた。

 己が墓碑銘エピタフに、新たな死者を加えるために。

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