第29話 第七章・愛の色(3)
その夜、バニラはラーラから離れようとはしてくれず、結局、同じベッドで寝ることとなった。
「今日で最後だから、精一杯甘えとくもん」
と言って狭いベッドに無理やりもぐりこまれてしまった。
やれやれ、と思う反面、ラーラも寂しい気持ちで一杯だった。
「たった二泊しかしていないのにね……」
それだけなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。
「時間じゃないよ、なんだって。一瞬で恋に落ちることもあれば、時間をかけて恋をすることもある。人との出会いってそういうものだよ」
妙に大人びた口調で言うバニラに、ラーラは苦笑いをした。しっかり者なのかちゃっかり者なのか。バニラは面白い子だった。
「その言葉、聞いたことある。私の大好きな人から」
ヴィックのことを思い出す。
「そうだよ。出会いってそういうもの」
ラーラは金色の髪をすきながら、頭を撫でた。こうするのも最後だ。
「あたし、ずっとお姉ちゃんが欲しかったの。下はあんなにたくさんいるから、いつもしっかりしてなきゃいけなくて。でもあたしのタイプじゃないんだ、しっかりするなんて。本当は誰かに頼って、甘えてみたかった。だからラーラはこれからもあたしのお姉ちゃん。もう決まりなの」
そういって、ラーラをぎゅっと抱きしめた。顔を胸にうずめる。
「さっきも思ったけど、ラーラ、意外と胸おっきいね」
「そうでもないよ」
すると突然、バニラが体を離した。
「何、このにおい」
なんのことだろうと、バニラの目線を追う。そこには、ラーラの首に下がるマゼンタ色のビン。
「そういえば、ずっとつけていたよね、それ」
ラーラはそれを握り締めた。けれど、眠るときまでつけていたら壊してしまう。そっとはずして、ベッドサイドに置いてあるザックに入れた。
そして、ベッドに戻って天井を見上げた。この汚れた天井を見るのも、今日で最後。
「バニラは、海って見たことある?」
「ないよ」
「あのビンには、海があった。小さな小さな海。今は結晶しか残っていないけれど、確かに私たちの海はあった」
不思議なことを言い出すラーラに、バニラは首をかしげた。暗闇で目を見開いている。必死で何かを見ようとしているかのように。
「私たち、って、もう一人はヴィックさんだね」
「そうよ」
顔にかかった髪を書き上げてやる。丸顔は、やっぱりゼフィラに似ているかもしれない。
「いつか、バニラも一緒に海を見に行こう。すべて、終わったら」
バニラはうん、とうなずいた。それがどれほど先になるか、実現できるのかどうかさえわからない。それくらい、バニラにだってわかっていると思う。けれど、何も言わなかった。
始めこそ、ゼフィラの代わりのように可愛がっていたバニラだけれど、今は違う。
「バニラ、ありがとう。あなたと出会えてよかった」
ベッドの上、波打つ金髪が月明かりのほのかな白い光で輝いている。そういえば、あの暗い森でも輝いていたっけ。不思議だと感じたが、それ以上に綺麗な色だな、と思った。
「ラーラ」
「なぁに、真剣な声で」
苦笑いで答えたが、バニラは茶化さなかった。
「恋すること、諦めないでね」
心臓が止まったかと思うほど、胸を激しく突かれたような気がした。
そんなもの、とっくに諦めている。今の旅は自分のためでなく、これからを生きる人のため。村のため。そしてゼフィラのためだとずっと思っていた。
何も言えなくて、ラーラは思わず涙を流した。ずっとずっと耐えてきたものなのに。
「ごめん」
「いいじゃん、泣いたって。ラーラだけが辛いんじゃない。誰だって、辛かったら泣く権利はあるんだよ」
お姉さんだな、まるで。そう思ったけれど、口に出せなかった。涙するラーラを、バニラは抱きしめてくれた。
でもこれは、悲しい涙じゃない。優しさに包まれた、暖かい涙。そして、優しい涙だった。
けれど、飽きるほど、涙は流れた。ラーラは何度も涙を拭う。そして明るい声で言った。
「そうだ、バニラにも絵本を読んであげる」
「絵本?」
「私の宝物よ」
ラーラはザックから絵本を取り出し、ページを開いた。夜目がきくとはいえ、さすがに暗闇で文字は追えないが、空で朗読できるほど読み込んでいた。
恋をして、でもうまくいかなくて、最後は海に出て、ふたりの世界を拓いていくという物語。
いつか、この物語のようにヴィックと旅をすることが出来るのだろうか。
読み聞かせをしている最中も、バニラはずっとラーラに寄り添っていた。座っているラーラの膝の上に頭を乗せているからしびれてきた。
しばらくその状態だったが、バニラの頭がころん、とベッドに落ちた。眠っちゃったか。ちょうど、物語が終わったところだった。
手で涙をぬぐう。すごくベタついた顔だ。とんでもないことになっていると思うと、つい笑ってしまった。
隣で健やかな寝息を立てるバニラを、愛しい思いで見る。
バニラに抱きつき、そのつややかな髪を撫でる。今日はいつもにくらべて夜更かしをさせてしまった。
「ありがとう、バニラ」
ラーラは、その輝く金髪に口付けた。
*
朝、バニラはどこかへ出掛けた。
「ちょっとね、忙しいの」
と、慌ただしい。朝から元気だなぁと、ラーラは二度寝をしてしまった頭で思う。
それから用意された朝食をとり、バニラの家族にも別れの挨拶をした。子供たちはたいして交流が無かったにもかかわらず、みんな激しく泣きながら別れを惜しんでくれ、ラーラは涙ぐんだ。ロクェにも挨拶を、と思ったが、研究小屋の側まで行くと、とんでもないいびきが聞こえてきたのでやめた。ロクェは、自分が寝ている間に獣のようないびきをかいていると知ったら落ち込むだろうな。ラーラは思わずほくそ笑む。
それから小屋に戻り、帰路の準備をしているうちにバニラは帰ってきた。
「もう、帰らないと」
バニラは寂しそうに唇を結んだが、うなずいた。
帰りは、森の出口までバニラが案内してくれた。おかげで、『ちょっと』迷うだけですんだ。
「なんで、こんなに迷うんだか」
呆れて言うと、バニラは首を捻る。
「さぁ。森の神様の気まぐれじゃない?」
とぼけたもの言いに、ラーラは苦笑いをする。
「バニラって能天気だね」
「バカにして」
そう言いながらも笑顔だった。
「それじゃ」
「絶対、また会おうね! 約束だからね」
その言葉に、ラーラはうなずいた。
「それと、帰りは寄り道せずに橋を通ってね」
不思議なことを言う。ラーラはいぶかしんだ。
「言われなくてもそうするつもりだけど、何で?」
顔をそらし、バニラは首を振る。
「なんでもなーい。あ、そうそう、ひとつ言い忘れ」
何事かとバニラを見ると、またニヤニヤと笑っている。
「あたし、ロクェに嘘をついてもらったんだ。じゃなきゃ、ラーラが納得しないと思って」
「どういうこと?」
不安になるが、バニラはまだニヤニヤしている。
「すぐ真相はわかるって。薬はちゃんと効いたんだからいいじゃない」
「なんか変。私に隠し事して」
ふくれて言うが、笑顔を返されるだけだった。まあ、薬が効くのならいいけれど。
何かあったときのために、口頭でラーラたちの村を教えた。バニラならば、森で極端に迷うことも無いだろう。
さわさわと、森がざわめく。風に、二人の髪が流される。それがやむのを待って、ラーラは口を開いた。
「じゃあ、本当に、もう行くね」
「うん。元気でね」
二人は抱き合い、頬を寄せた。顔を見合せる。バニラは目に涙を溜めていた。それを見て、ラーラも涙が出そうになる。
「ありがとう、バニラ」
そして、ラーラは闇の森に背を向けた。目尻をぬぐう。
大切なビンを手に入れた。
素敵な人に会えた。
ラーラは意気揚々と、生まれ育った村へ帰る。
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