第28話 第七章・愛の色(2)

 翌日、まずはラーラが一人、ロクェの元へ向かった。

「薬、出来ましたか?」

 そう声をかけると、ロクェはあきらかに眠っていない充血した瞳を向けた。

「せっかちなヤツだ」

「あら、天才はすぐにでも出来るんじゃないの?」

 緊張を皮肉で返す。笑顔は強ばっていた。

「当然だ。一晩で作ってやったぞ」

 そう低い声で呟くと、二つのビンを乱雑なテーブルの上からラーラの前に出す。

「赤いビンが、解毒薬。青いビンが、浄化薬だ。解毒薬は完成品だが、浄化薬は未完成だ」

「愛するもの同士の血を入れて、初めて完成ですよね」

ラーラが言うと、ロクェはうなずく。

「片思いの場合は、どうなのでしょう」

呟くように言うと、ロクェは鼻をならした。視線を上に向ける。

「別に、どちらか一方でも恋心を抱けば構わん。ただし、同じ薬を他人に飲ませても無意味だ。ひとりひとり、同じ作業をしろ」

「面倒なんですね」

 血を集めるほうが苦労しそうだ。特に、相手方は。

 その思いをため息と共に言うと、ロクェは眉をひそめる。

「ここではそれが限界だ。それだけでもありがたいと思え」

「はい」

それでも大進歩だ。ラーラは皮肉もそこそこに、まずは解毒薬を飲むことにした。

「これ、昔にアファレトの根を飲んだ人にも効きますか?」

「大丈夫だ」

 では、マヤにも飲ませてあげよう。彼女のおかげでここまで来ることが出来たのだから。

 ビンから、小さなコップに少量を注ぐ。色は、乳白色だった。それをロクェから渡される。

「味は不味いが、文句言うな。副作用はないように苦心したのだから感謝しろ」

「味くらい、我慢できます」

 どんな副作用があるのか恐怖ではあったが、それなら大丈夫であろう。

 ラーラは、とろみのある液体を飲み下す。舌が初めての味にひきつる。

「不味いだろ」

 なぜか嬉しそうに、ロクェはニヤニヤとしている。苦いとか辛いとか、甘いとか無味とか、とにかく混乱するほどいろんな味がした。なんとも胸がもやつく。

「全然、不味くはないです」

 顔をしかめながら言う。ロクェは面白くなさそうにラーラの瞳を覗き込んだ。

「瞳に、マゼンタ色の輪が出来るんだったな」

「ええ、そうです」

だんだんと、瞳が熱くなる。懐かしい感覚だった。

「本当に、出てきた」

 ロクェが感嘆の声をもらす。

 体が、だんだんと軽くなる。毒に冒された体が戻っていくのだと感じた。

「本当に、戻った……?」

 あれだけ苦しい思いをしたのに、元に戻るのは一瞬だった。

 ラーラはガラス窓に近付くと、自分の顔を覗き込んだ。また、あの瞳になっている。

「すごい……」

 その言葉に、ロクェは満足げにうなずいた。

「さぁ、次は血だ。手を貸せ」

 言われたとおり、ロクェに手を差し出す。小指の先をナイフで傷つけられる。しかし、前とは違いすぐに傷がふさがった。それを、ロクェは興味深げに見る。

「ほう、ちょっとやそっとじゃ血は流れないのか」

「私、これが普通だと思っていました……」

 傷が治りやすい。それもまた、一族の特徴であった。

「たいして量はいらないが、もう少し、深く傷つけるぞ」

 痛みとともに、小指の先に赤い溜まりが出来る。それを、先ほど口にしたコップに垂らし入れる。

「さっきと一緒のコップ?」

 怪訝な声で言うが、ロクェはさして気にする素振りもない。

「胃に入れば一緒だ」

 大丈夫かなぁと不安だったが、任せるしかない。

「さぁ、男を呼んでこい」

「はい。でも、私は来れません。バニラが付き添ってくれると思います」

「どっちでもいい。完成したら、またこっちにこい」

「わかりました」

 小屋に戻り、バニラに後のことを託した。

「ヴィックさんは拒否するかもしれないけど、説得してね。お願いよ」

「え? ああ、まぁ任せて」

 軽い口調で言うと、バニラは家を出て行く。

 窓の外を、バニラが歩いている。日光に金髪があたって綺麗だ。

 そこで、ふと気付く。もしかして、ロクェの小屋へ行くにはこの道を通るのか?

 それは困る。顔を見てしまったら……。

 ラーラはベッドにもぐりこんだ。頭からシーツをかぶる。

 すると、話し声がしたあと小屋の扉が開く。

「バニラ、忘れ物?」

 そそっかしいバニラのことだ、何を忘れても不思議ではない。けれど、ロクェのところへ行くのに、物を持っていく必要があるだろうか。

 不審に思っていると、足音はラーラのベッド脇まで近づき、止まった。

「バニラ……?」

 違う、と思った。でも相手を確認するのが怖くて、シーツを取り除くことが出来ない。

 相手は、ラーラの頭をシーツ越しに軽くなでた。

 瞳が熱い。体の中から何かが湧き上がってきそうだ。相手はバニラなのだと言い聞かせ、ぎゅっと瞳を閉じる。その人物は軽くぽん、と頭を叩くと、そのまま足音を遠ざけた。静かに、扉が閉まる。

 体が揺れるほど高鳴った心臓は、なかなか元に戻らなかった。

 どうして、あんなに優しく触れるの?

 私の側に来るのは、怖く無いの?

 ヴィックの温かい掌を思い出さずにはいられない、同じぬくもりだった。


「終わったよー」

 それからしばらくして、バニラは戻ってきた。もちろん一人で。

 先ほどのことは、白昼夢が見せた幻なのだろうか。まだ夢心地だった。

「ヴィックさんは?」

 シーツをはぎ、落ち着きなく髪を整える。

「顔を合わせないように、もう小屋に戻ってもらったよ」

 妙に、にたにたと笑顔を見せる。

「じゃあ、私はもう一回ロクェさんのところに行くね」

「あたしも行く!」

 断ってもついてくるだろう。一緒に行くことにした。

 ロクェの小屋では、あのコップに赤い血がたまっていた。ラーラと、ヴィックの血が混ざり合っている。

「来たな。では、ここに赤いビンの中身を入れる」

 透明な液体は、血によってマゼンタ色となる。まるで、ラーラの瞳と同じように。

「こうして、二人分の血にこの浄化薬を少量混ぜる。それだけでいい。他の人間に飲ませるときもこうしろ」

 ロクェはそう言いながら、コップをラーラに差し出した。

「副作用の保障はない。味もな」

 今度は、どんな副作用かもわからない。

 しかし、もう後戻りは出来ない。

 ラーラは一気に中身をあおった。

 それから、猛烈なめまいに襲われる。

「ラーラ!」

 バニラの悲鳴が聞こえる。

 しまった、こんなところで倒れたらロクェに足で蹴飛ばされてしまう。せめて、自分たちの小屋で飲めばよかった。

 そう思いながら、ラーラは意識を失った。



 揺れている。

 誰かの暖かい肌に触れながら。


 目が覚めると、そこはいつもの小屋の中だった。

「よかった。目が覚めた。どこか変じゃない? 大丈夫?」

 バニラが側にいた。小屋の中は薄暗い。

「私、どのくらい……?」

「そんなに時間はたってないよ。薬を飲んだのが昼過ぎだから」

 何日も寝込んだ訳ではなかったようで、安堵した。

「変なところで倒れちゃったな……」

 ふと、疑問に思う。

 いくら近いとはいえ、ここまで誰が運んでくれたのだろう。バニラには無理だろうし、ロクェはやらないだろう。しかし、今はそんなことは問題ではない。

「バニラ、私の瞳にマゼンタ色の輪はある?」

 ラーラの言葉に、バニラは身を乗り出して覗き込む。

「大丈夫。ないよ」

「本当に?」

「うん、本当」

 そう笑顔で言う。ラーラは安心した。特に、体に異変は感じられない。毒を飲んだ時みたいに苦痛もない。起きて確かめたかったが、どうにも体が気だるい。しかし、それ以外に不調はなかった。

「ロクェって、凄いね」

「でしょ」

 自分が誉められたみたいに、誇らしそうに胸を張る。

「ビンを預かってきた。赤いのと、青いの。使い方はわかるよね」

 ラーラはうなずく。ゆっくりと、ベッドから体を起こした。

「じゃあ、私帰らないと」

「え、もう?」

 甲高い声をあげるバニラに、ラーラはためらう。

「そんな声出さないで。帰りにくくなるじゃない。早く帰って、解毒薬を飲ませたい人もいるし、みんな薬を待っているの」

 すると、バニラは落ち着きをなくす。

「でも……」

「それに、これは万能薬ではないから、また探さないといけないし」

「でもでも! ラーラはしばらく休むべきだよ。薬もあれこれ飲んだし。とりあえず今日は泊まって。ね。寂しいよ、急に帰るなんて」

 早く帰らなければいけない思いと、まだバニラと一緒にいたいという望みが交錯する。

「……じゃあ、一晩だけね」

 やったー、と喜ぶバニラに、ラーラはこそばゆい気持ちになった。

「お母さんに、夕食の人数増やしてもらおっと」

 足取りも軽く、小屋を出ていく。ラーラは再びベッドに横になる。

 ヴィックは、どこにいるんだろう。

 もう、会っても大丈夫なのだろうか。しかし、会ったところで悲しい言葉を浴びせられるかもしれない。

 なぜ彼が血を提供してくれたのか。ケガをさせられた復讐のため?

 そこで、ラーラは考える。

 では、頭を撫でてくれたのは誰?

 あんなに優しい掌は、一人しか知らない。そんなはず、無いのに。

 不安を抱えたまま、ラーラは目を閉じる。投薬を続けた体は疲れはて、また眠りについた。


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