第25話 第六章・決意(3)

 それに、幸せの黄色い鳥って……なんだかちょっと間違えている気もしたが、ラーラは黙っていた。

「聞いて。ロクェにとっても、やりがいのあることだと思う」

 その言葉に、ようやくロクェは顔をあげた。

「つまらないことを言ったら容赦しないぞ」

 ぞくり、と背中が冷たくなる。ロクェは平気で女の子を実験台にする人だ。ラーラのせいでバニラがまたああいう目にあうのは辛いが……でも本人が喜んでいるようだからいいのか。

「ラーラ」

 振り返り、後ろで小さくなっているラーラを促す。

 ロクェが薬を作ってくれるかわからないけれど、聞いてもらうしかない。

 バニラは「泉のところで待ってる」と小屋を後にした。

 椅子なんかない部屋なので、立ち話しとなった。手に短剣を握り締める。

 時間をかけ、ラーラは今までのことを話した。ロクェはまったく口を挟まず、ただ、真剣に話をするラーラを見つめる。

 緊張はしたが、恋心が表れる様子はなかった。ロクェがどんなに美形で、どれだけ真剣なまなざしでラーラを見つめても、心は揺れ動かなかった。

 ヴィックだから。ヴィックだったから、瞬間恋に落ちてしまったのだ。

 誰彼構わず、というわけではないとわかり、ラーラは安堵しながらも熱心に話した。

 それに、心配していたような、差異に対しての恐怖心もロクェには見られなかった。彼にとっては、さして不思議なものでもないのだろうか。

「お金なら、いくらでも用意します。私たちのために、薬を作ってもらえませんか」

 最後にそういって、話を閉めた。

 汗をかいていた。緊張と興奮のせいか。ラーラはゆっくり息をした。あまり吸いたくない空気ではあったが。

 ロクェは、ずっと真剣なまなざしで話を聞いてくれた。それだけでも嬉しかった。

長い前髪からのぞく深い緑色の瞳は、ラーラの第一印象とは違い、真面目だった。

「ちょっと、腕を貸せ」

 ロクェは口を開くと、小さなナイフを手に取り、ラーラの腕をぐい、とひっぱった。そして、その表面に軽く傷をつける。

 痛かったが、ラーラは黙っていた。ロクェが真剣なのだから、ラーラもそれに従うしかない。

 その血を透明な皿に乗せる。

「ほう、ちゃんと赤いんだな」

 感心したように言う。

「そんなの、聞けば分かるでしょう」

「うるさい」

 その血液を光にかざす。一方ラーラは、傷口に清潔『そう』なガーゼを当てた。ロクェの部屋にあるものだから、信用は全然出来ないが、浅い傷のはずなのに、血が止まらなかった。毒を飲む前は傷なんてすぐに治ったのに。『普通』の人になったのだろうか、とガーゼに染み込む赤い血液を見ながら思った。それでも血が止まらない。やっぱり、自分は特異だったのだ。

「それで、薬は作れそうですか?」

 ラーラは傷口を押さえながら問いかける。

「……私はな、人を救いたいから科学者になった」

 血を眺めながらそう呟いた。ラーラは思わず目を丸くする。こっちの話を無視して、いきなり身の上話か。

「けれど、若くして天才的な私は、悪に利用されることになってしまった。それが嫌で、人里離れたここに来た……」

 別に聞いていませんけど、というのをこらえた。結構な自信家であることはわかった。そして、意外と普通の思考の持ち主であるということも。

「普通なんですね」

 ラーラが言うと、なぜか睨まれた。あまり普通というのは嬉しくないらしい。ラーラとしては褒め言葉なのだが。

 ロクェはゆっくりと、芝居じみた足取りで窓をあけた。新鮮な空気が流れ込んでくる。ラーラはほっと息をつく。

「もしかしたら、私がやるべきことはこれなのかもしれない」

 わざわざ外の太陽を眺め、眩しそうに手をかざした。普通じゃない、というのをアピールしたいのか、いちいち変な人だ。

「オマエ、アファレトの根を食べたんだな」

「あの、なんです? それ」

 一年かけて調べものをしたが、初めて聞く単語だった。

「アファレトという花の根だ。それには特殊な毒がある」

「特殊、というと?」

 すると、ロクェは棚からビンをとってきた。透明なビンの中には、見覚えのある根があった。思わず気分が悪くなってしまう。

「これは、腐ることの無い植物だ。その特質ゆえ、食べたものは大概死んでしまうが、そうでない人間もいる」

 そう言うと、ラーラを見た。

「特質、というと?」

「腐らない植物は、己の中で常に浄化作業が行われている。腐敗することなく姿を保つのはその作用のおかげだ。普通、人間が食べるとその浄化作業で体内に何もなくなってしまう」

「何も?」

 思わず胴回りを押さえる。

「何も、というのは比喩だが、本来人間にあるはずの細菌がすべてなくなる。そうなると、人間は生きてはいけない。細菌や免疫のバランスが崩れてしまうからだ。簡単なところで言うと、排泄物の臭いが変わったり、血が止まらなくなったりということがあるだろう。アファルトの根を食べて生き残ったとしても、多少の発熱で死に至るくらい、体の中はぼろぼろになる。もっともオマエは、さほど影響がなさそうだが」

 しかし、ラーラにはロクェの言っていることの半分も理解できなかった。細菌がどうの、ってどういう意味だろう。

「あの、えーと、じゃあ、私が平気なのは……」

 ロクェは得意そうに頷いた。

「特殊な血だけ、浄化されたということだ。そういう種族はいる」

 ラーラは顔を輝かせた。

「じゃあ、みんなこの根を食べれば……!」

 しかし、ロクェは首を振る。

「言っただろう。これは危険なものなのだ。オマエが生きているのは、よほど図太い神経と頑丈な体があるからだ。この根に勝てるものはそういない。とある血族は全員でこの根を食べたせいで、全滅した」

 思わず口を押さえる。と、いうことは、ラーラとマヤはよほど図太く頑丈……特にラーラは、マヤのように頻繁な体調不良はない。彼女は、一度寝込むとなかなか治らないことが多い。

「じゃあ……どうすれば……」

「それを、私に頼みに来たのだろう?」

 不敵な笑みを見せ、そして、ぎらついた顔でラーラを見た。

「よし、薬を作ってやってもいい」

「本当ですか」

 思わず笑顔がこぼれるが、ロクェは渋い顔のまま首を振った。

「しかし、これは簡単なことではない。人の体をあまり痛めずに変えるというのは、難しい話だ。不可能に近い」

 不可能。その言葉に体が重くなる。けれど、ロクェは自信たっぷりの口調で言った。

「不可能を可能にする、それがこの私。憂色するな」

 不安はあるが、とにかく、やる気になってくれた。ラーラは光明がさすのを感じた。

「薬を調合して、それが合うか人で試して、成功したら初めてこのプロジェクトは完遂したことになる」

 しかし、『普通』ではない、変わった種族の本能を抑えることなんて本当に出来るだろうか。誰も死ぬことなく。

 落ち込みそうになるが、今頼れるのはロクェしかいない。

「それでも構いません。私、実験体でもなんでもやります」

 よし、とロクェはうなずいた。しかし、すぐに首を捻る。

「一度食べたのだから、相当体は弱っている。危険だ。まずは浄化した血を元に戻す」

「元に?」

 せっかく、死ぬ思いで普通の体を手に入れたのに。しかし、そうしなければいけないと言うのであれば、やるしかないのだけれど。

「解毒薬は簡単だ。だいたいああいうものは万能だからな」

 ずいぶんいい加減な発言だな、と思ったが、口を挟まなかった。

「そうすれば、普通に子を宿すことも出来るようになるぞ」

「本当!? それで、浄化薬の方は……?」

「アファレトの根をベースにすれば、すぐに薬は作れるだろう」

「よかった」

 安堵のため息を漏らす。まさか、自分が飲んだ毒が助けの薬になるとは。しかし、それだけではなかった。

「それから、愛する者同士の血が必要になる。用意しておけ」

「……は?」

 ラーラは耳を疑う。何を言っているのだ、この科学者は。

「わからないやつだな。オマエと、相手の血が必要なんだ。万人に効く薬を作るのは不可能だからな。個人個人に調合する必要がある」

「どういうこと? 完全には治らないの?」

 喜びから、一気に冷静になる。

「そう簡単にはな。時間が欲しいし、おそらくここにある薬だけでは足りないであろう。でも、それで十分だ。血を集めるのは自分達で頑張れ」

「愛するもの同士って、親子でもいいんですか?」

「馬鹿か、同じ血族で薬を作っても意味が無いだろう。ついでに言うと、愛するというのは、そういうことではないだろうが。それは、オマエが一番よくわかっているだろう?」

 家族への愛と、ヴィックへの愛。同じ愛だけど、まったく種類は違う。

 ラーラは気落ちしそうになったが、それでも前進だ。ゼフィラに、愛する人へもう一度会わせてあげることが出来る。

「それでもいい。お願いします」

 唇をひきしめて尋ねると、ロクェはにやにやと笑みを浮かべた。

「よし、オマエの血を解毒する薬と、新たに浄化する薬、両方作っておこう。オマエは血を持ってこい。新鮮なものがいいから、本人を連れて来い」

「本人を、ですか」

 それは気乗りがしない。一度体を元に戻してしまうと、ヴィックに会うことは出来ない。次こそは自信がない。

 ラーラが黙ってしまうと、ふん、とロクェは鼻を鳴らした。

「その短剣をさんざん握り締めておいて、今更及び腰か」

 かちん、ときた。まるで、たいした決意もなしに来たみたいではないか。

「わかりました。やります」

 語気を荒げると、ロクェはまた鼻で笑った。

「その意気だ」

 すると、もう話は終わったとばかりに小屋の中をせわしなく動き始めた。

「あの、もう……」

「話は終わりだ。とっとと出て行って、明日には男を連れてこい」

 冷たい言葉だ。男を連れて来いだなんて人聞きの悪い。

「明日には、もう出来るの?」

「あたりまえだ。私は天才なのだから」

 それ以上は話さない、という雰囲気だったので、そのまま小屋を後にすることにした。任せるしかない。

「それでは、よろしくお願いします」

 日も暮れた夜、ようやく小屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る