第24話 第六章・決意(2)
ラーラは懐からナイフを取り出した。一度水没したせいか、なかなか鞘から抜けなくなってしまった代物。それを、バニラに渡す。目を丸くして、そのナイフとラーラの顔を見比べる。
「でも、ついてきて欲しいの」
「なんで?」
「私の黒い瞳が、マゼンタ色の輪で覆われたときは、迷わず、そのナイフで私を殺して欲しい。あなたと、ロクェさんのために」
「どうして」
さすがに、バニラも椅子から立ち上がる。
「それしかない。大丈夫だとは思うけれど、私自身が不安だから」
けれど、バニラはそのナイフをラーラにつき返した。
「ロクェを助けるために、どうしてラーラを殺さなくちゃいけないの。嫌だよ、あたし」
「でも、そうしないとロクェは死んでしまうのよ」
「なんで? 意味わかんない!」
「お願い。深くは考えないで。大切な人を守るためだと思ってくれればいい」
バニラはうーん、とうつむいた。
嫌なことを頼んでいるのは分かっている。けれど、そうでもしてくれないと、過ちを犯してしまう。
「だから、お願いよ」
すると、バニラはぽたり、と涙を落とした。
「どうしてそんなこと言うの。あたしには分からないけど、ラーラだって大切な人なんだよ? それが、いきなり殺せ、だなんて……。約束してよ。そんなことさせないで」
言いたいことはわかるけれど、そう単純な話ではないのだ。ラーラは困ってしまった。けれど、バニラは前傾姿勢になりラーラの瞳を覗き込む。
「約束しなさい!」
「無理だよ……」
「ダメ、やくそくぅ!!」
泣きわめくバニラ。ラーラはわかった、と諦めた。ナイフを手の中に戻す。でないと、このやり取りの繰り返しで終わってしまう。本当のことを話していないのだから仕方ない。
「バニラとの約束を、このナイフに誓って」
「ホント? 約束だからね」
「わかりました」
とはいっても、約束は出来ない。いざとなったら、自分でやるしかない。間に合ううちに。
「よかった」
ラーラの思惑を知らないバニラは、にぱ、と笑顔になる。
バニラはナイフをしげしげと、不思議そうに見つめた。装飾もなにもない黒い鞘。
「なんで、ナイフに誓うの?」
「これは……」
ゼフィラから託されたもの。
けれど、ラーラは首を振った。バニラに話をする必要はない。
「なんでもないわ」
ふうん、とそれ以上つっこむこともなく、よし、とバニラは立ち上がる。
「今からロクェのとこに行こう。一刻も早いほうがいい」
「今から?」
午後からまだ畑仕事の手伝いがあったし、洗濯物をとりこんだり布団を取り込んだり、やることはたくさんあるのに。
「今日はこれが最優先事項。ラーラ、わかってるの? 畑仕事してる場合じゃないって」
バニラの言葉には、どうにも「サボれる」という前提があるような気がしてならない。それでも、明るく受け止めてくれたことに関してはありがたいと思っている。
深刻じゃなく、軽く受け止められたことは、肩透かしのような気もするし、そうしてもらいたかったという気もする。
バニラがいればなんでもうまくいく、そう感じさせてくれる子だ。
ラーラの手を握り、バニラは率先して小屋を出た。ひとりでいいと申し出たが、ロクェ相手にラーラでは無理だと言われた。確かにそうかも、と思い、話は聞かない、という約束でついてきてもらうことに。
正直、あの人苦手なんだよな。
心の中で肩を落とす。どうも、うまく話が出来ない。もっとも、その方が妙な気持ちにならなくていいといえばいいのだが。
あんなのが好きって……バニラって変わり者。ラーラは楽しそうに歩くバニラをこっそりと見やった。
ロクェの小屋につくと、ラーラは深呼吸をした。こんな話をしても大丈夫そうな人ではあるけれど、「そんな薬は作れない」と言われたら、また一からやり直しだ。
もちろん、一回であきらめたりはしない。都合よく薬ができるわけがないと、心のどこかで思っていないと、後で大きく落胆してしまいそうだから。
ほんの少しの、希望。そして大きな不安を抱え、小屋のドアをノックした。木製のドアは乾いた音をたてる。
「邪魔をするな!」
中から絶叫が聞こえてきた。びっくりしたラーラは思わずバニラの顔を見た。すると、バニラはドアをあけてしまった。
「ちょっと、いいの?」
「あんなの毎日だし、待ってたら何年かかるか」
さっさと小屋の中に入っていく。その後を慌ててついて行った。
「実験中だ。邪魔するな」
狭い小屋の中、薬品に埋もれるようにして作業をしている。怪しげなビンの中の妙な色の液体を混ぜるロクェ。目は血走っていて怖い。
「聞いてよ、ロクェ」
しかし、ロクェはまるで反応しない。
「待ってて」
バニラはいったん外に出ると、何かを掴んで戻ってきた。それを、ロクェの足元で手を離した。
「あ、ゴキブリ」
バニラが呟くと同時に、さささ、とロクェの足元を駆け抜けていく。
「きゃー! ゴキブリ!」
ロクェは甲高い声を出し飛び上がった。コン、と天井からぶら下がるランプに頭をぶつける。ラーラは唖然とした。あんなにかっこつけていた人が、「きゃー!」って。
「やだやだ、バニラなんとかしろ!」
悲鳴なんだか命令なんだかよくわからない言葉を吐く。あちこち走りながらぶつかりながらゴキブリから逃げ惑う。
それをバニラはもう一度掴むと、外に逃がしてやった。黒光りするヤツは、御役御免といわんばかりに羽をばたつかせて飛び立っていった。
「ロクェはあの家の前の住人だからね。楽しかったよー、リアクション。ラーラと違ってね」
なるほど。これじゃあねずみとゴキブリの併走なんて楽しく見られるわけがない。バニラ母子も、そして併走するあの二匹も、ラーラがこうなってくれることを期待したわけか。
「この人、よく森を彷徨えたね」
「すぐ失神してたよ」
なるほど、と納得した。
「おかしい。この小屋に入れないように薬をまいたはずなのに……」
話の当事者であるロクェはぶつぶつと文句を言う。ラーラは苦笑いを浮かべるのみだった。
それにしても、汚い部屋だ。
天井には蜘蛛の巣が張っているし、部屋の中には大小のビンが転がっている。部屋の中央に大きな机があるが、その上も妙な液体とビンで埋め尽くされていた。空気も悪く、ここ最近窓も開けていないようだ。
「ロクェ、お願いがあるんだけど」
バニラの言葉に、ロクェは眉をしかめた。
「私は忙しいんだ。今は〝幸せの黄色い鳥の羽〟を探している最中なのだ」
ロクェはこちらに目も向けず、きょろきょろと机の上の何かを探していた。これだけ汚いと見つかるものも見つからないのではにか。カットしていなそうな金髪も邪魔そうだった。肩に付きそうなくらいの散切りは、時折適当に自分で切っているのだろう。顔は結構綺麗なのに、もったいない。
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