第23話 第六章・決意(1)

 昼下がり、二人は小屋でぼんやりしていた。食後のお茶を飲んでいる最中で、リビングのテーブルについていることは同じ。ただ、表情は正反対だった。

 すべての紅茶を飲み終え、少し眠そうなバニラに対し、ラーラは真剣な面持ち。

 バニラは早寝早起きの大原則を守っているので、もう眠たそうだ。朝から畑仕事に部屋の掃除をして、すっかり気だるくなってしまったみたいだ。

 しかし、ラーラの頭はけしてぼんやりしない。

 今、言うべきだろうか。そうじゃないと、いつまでたっても先に進めない。冷め切った紅茶には手をつけず、ラーラは声を出した。

「バニラ」

「んー?」

 とろんとした目でラーラを見る。どうしよう。ラーラの鼓動は早くなる。

 嫌われたっていい。言うしかない。それはわかっているのに。

「森の神様って、何?」

 ……意気地なし、とラーラは自らをののしった。

「あ、あれのこと」

 顔を上げて、ラーラの顔をみつめる。そして、ふと窓の外に目をやった。

「たいしたことじゃないんだけどさ、おかーさんがそういうこと言うと、村の人と仲良く出来なくなるよ、っていうから、もう言わないようにしていたの」

 ラーラが黙っていると、バニラは苦笑いした。

「森の神様とはいうけど、そんなにたいしたことじゃないの。ただ、あの森に誰かが入ってくるとなんとなくわかるっていうだけ。こう、なんていうかね、一人っきりの家に誰かが入ってきたような、でも姿は見えない。違和感があるだけなの」

「そう。だから、私が来たって分かったんだね」

「うん。半年前は、ロクェがね」

「ロクェは、一人目だったのね」

「そう。詳しいことは知らないけど、いろいろあって、人間嫌いになったから、この人里離れた村のことを聞きつけて来たの。で、あそこでひとり、怪しい実験をしているわけです」

 色々な過去。それがどんなものかはわからないけれど、気持ちは分かる気がした。

 それにしても、ここはラーラの住んでいた村とは大きく違う。初めは同じように、森に閉ざされた村だと思っていた。

 けれど、この村の人たちは普通だ。ここにきて、改めてラーラの村が常に影に覆われ、ぎすぎすしていたかがわかる。

 ここは、バニラの可愛らしい能力ですらも受け付けない、普通の村。

「どうしてこんなに不便なところに住んでいるの?」

「さあ。生まれたときからここだし、特に都会に行ってみたいとも思わないな。人が多くて疲れるし。どうしてか、あの森は外からの人を惑わすけど、ここから街へは普通にいけるしね」

「わかる」

 うんうん、とラーラはうなずいた。

 似通った村なのに、こんなに明るくて、朗らかな村。わざわざ出て行く必要もないだろう。不思議な気持ちだった。

 いつかあの村も、こんな風になれるだろうか。

 その時、視界の端を何かが通り抜けた。床を走るそれに目を凝らすと、なんとねずみとゴキブリが並走している。お互いがスピードを調整しつつ、楽しんでいるようにすら見えた。

「あら、凄い」

 ラーラが呟くと、バニラもその様子を見る。

「あれ、びっくりしない?」

「何が?」

「いや、こういうの見ると、きゃーって叫ぶもんじゃないの?」

「別に……掃除したから出てきちゃったんでしょう?」

 お互いの間を沈黙が抜けてゆく。するとバニラは、あーあ、と伸びをした。

「つまんなーい。驚いてくれると思ったのになぁ。だって、ねずみとゴキブリの二大巨頭だよ? 怖がってくれるの期待してたのに」

 二大巨頭って。ラーラはこめかみを押さえる。

「……まさか、ここに来る前にさんざん脅かしていたのって、これのこと」

 うん、とバニラはうなずいた。

「くだらない……」

 眉間にシワを寄せ、呆れたように呟くラーラに対し、バニラは頬を膨らませた。

「ノリ悪いなーもう」

 あれで驚いていたら、森の中で野宿なんか出来るものか。サバイバルに関して、ラーラには妙な自信が生まれていた。

「すいませんね、びっくりするようなか弱き乙女じゃなくて。できゃ、あんな森で野宿なんて出来ません」

 二人は笑いあうと、話を元に戻した。

「でも、どうして私には森の神様の話をしてくれたの?」

 え、とバニラは目を大きく開く。そして、うーんと天井を見上げた。

「どうしてだろう。わかんないけど、ラーラはこれくらいのことじゃなんとも思わないかな、と思って」

 確かに、それぐらいどうってことはない。誰に迷惑をかけるわけでもないし、特殊能力と言うほどのものでもないだろう。

 けれど……。

 ラーラは紅茶の揺らぎを見つめていた。

 じゃあ、バニラはラーラの話を理解してくれるだろうか。拒否するんじゃないだろうか。

 わからない。話してみないことにはなにも。けれど、話して真実を知るのは怖い。

 それに、バニラに話さなくたって、直接ロクェの元に行けばいいじゃないか。その方が、ここで平和に過ごし、そして楽しい思い出のまま帰ることが出来る。

 もう、拒絶されるのは怖い。誰かが目の前からいなくなるのは嫌だ。バニラに、畏怖の目を向けられるのは耐えられない。

 話さない。そう思ったとき。

「ラーラも、なんかあるからここに来たんでしょ?」

 ふと、バニラが優しい瞳で見つめてくれた。その時、もしかしたらバニラは何もかも知っていて、分からないふりをしてくれているだけのようにも思えた。そんなことはないけれど。

 でも、バニラなら分かってくれるかもしれない。彼女には、理解してもらえる、そんな気がした。

 勇気を出してもいいかもしれない。怖がって何もしないのはだめだと、旅立つ前に決意した。別れが待っていようが、拒絶されようが、歩み寄らないことには何も進まない。

 ラーラは意を決した。

 ごくり、とぬるい紅茶を飲む。そして、大きく息を吐いた。

「バニラ、あなたには本当の私のこと、知ってほしいの」

 大丈夫だろうか。緊張は頂点にまで達する。手が震えてカップがまともに口に届かない。仕方ないから、飲むのを諦めてテーブルに置いた。

 もう一度、息を吸って、吐いた。顔を伏せる。

「いいよ、言わなくて」

 言われたことに驚き、バニラの様子を伺う。

「え……なんで?」

「そんな青い顔をしなきゃ言えないようなこと、無理に聞き出したくないよ」

 傾いた日差しが、窓から小屋の中に入ってくる。その光が、バニラの髪を金色に輝かせた。ラーラの顔は逆光となり、金色の縁取りをまとう黒いシルエットとなっていた。

「でも、私はロクェさんに話をしなくちゃいけないの。だからバニラには言わないと」

「別に、いいんじゃない? あたしの許可なんていらないよ。話してきなよ、ロクェに」

 バニラは、人の心にずけずけと入るふりをして、実は違う。どうして、こんな見も知らないラーラに寛大でいられるのだろう。

 ラーラにとって、バニラはゼフィラのように可愛い存在になっていたから。それに、ロクェはバニラの好きな人。こそこそ会いに行けば、余計な誤解を生むかもしれない。

 そんな泥沼は嫌だ。旅立つ前に読んだ新聞のつまらないゴシップ記事を、こんなときに思い出していた。でも、その心配はなさそうだった。

 カップを両手で包む。冷めたはずなのに、ぬるく感じた。それは、緊張で手が冷たくなっていたせいかもしれない。

 外はまだ日が高く、きらきらと輝いていた。この小屋の中とは世界が違う。うららかな陽気が似つかわしくなかった。

「もう、日が暮れる。その前にさ」

「……うん」

 いつまでも立ち上がらないラーラに、優しい声をかけた。

「わからないけど、ラーラは辛い思いをしてきたんじゃない?」

 いつもと違う、年上のような声に驚く。

「なんで、そう思うの?」

「夜、うなされてるから。おなか痛そうに体を丸めてさ。起こそうかと思ったけど、しばらくすると元に戻ってたから。ロクェが言っていたナントカの根と関係あるのね」

 知らなかった。痛くて目を覚ますこともあるが、無意識のうちにうなされていたとは……。

「事情があって……体が弱くなってるから」

「そうなの? 変なもの食べちゃうからだよ。あ、畑仕事させちゃってごめん……」

 申し訳なさそうに詫びられ、ラーラは微笑を返した。

「平気よ、それくらい。森の中で野宿したんだから」

「だよねー。図太い図太い」

 笑いながら、バニラは言う。

 優しい言葉を村の人以外から言われるとは思ってもみなくて、思わず涙腺がゆるむ。でも、歯をくいしばって我慢した。

 すべてが終わるまで、気を緩めるわけにはいかない。

「それで、ロクェに薬を作ってもらいたくて、あの森に入ったってわけか」

 バニラは、ラーラ自身の体が弱いことを相談しにきていると思ったようだ。

「彼の噂は街で聞いたの。ウソでもいい。とにかく前に進みたくて。普通の医師では治せないから」

 ラーラはカップを両手で包んだ。ひんやり冷たく感じるのは、手が暖かくなったからだろうか。

「不思議な人だと、最初から思っていたんだ。ロクェ目当てだとは思ってたけど」

 バニラは頭をぽりぽりかいた。大きな瞳が困惑している。

「なんで、わかるの?」

 驚いて言うと、バニラは悲しそうに言った。

「たまに、くるんだよね。彼を探しに来る人が。絶対招き入れないけど」

「なぜ私は導いてくれたの?」

 そういうと、バニラはぽかんとラーラを見返した。

「それは……真剣だったから。森で野宿なんてよっぽどだなーって」

「そうだけど、そんな人他にもいるでしょう?」

「うーん、いないなぁ。たいていすぐに帰っちゃう。森は怖いし、絶対に前に進まないからね」

 よっぽど根性がある、と認めてもらえたらしい。それはよかった。

「そっか。ありがとう。じゃあ、ロクェさんのところに行くね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る