第20話 第五章・闇の森(4)

「あれー、おかしいな」

 森の神の使いは、あっさりと道に迷った。

「ちょっと、あなたこの森まではあっさり来られたんでしょう」

「そうだよー。だって、たまに街まで遊びに行くし」

 こちらの種族はラーラの所と違って、社交は自由なようだ。確かに、森の神云々だけで、別に誰かに迷惑をかける話でもないしな、とラーラはバニラに呆れつつ、朗らかなその姿に少し癒されていた。

 ずっと難しいことばかり考えて、悲しい経験ばかりして、心はかなりぎすぎすしていたようにも思う。

「よく見えるわね」

 ラーラと同じくらい、木にぶつかることなく進んでいくバニラに、賞賛の声をあげる。

「え、何が?」

 自分の見えるものとそれ以外の人との違いが分からないらしい。説明は面倒だからはぶいた。

 今は早いところ到着したい。喉も渇いた。森も薄暗い状態から、漆黒に変わろうとしている。

「ねえ、喉渇いた」

 振り返り、バニラがラーラに言った。

「それは私のセリフ。もう水筒もからからなの」

「そうなんだ。じゃあ頑張らないとね」

 すると、バニラは木に耳を押し付けた。

「……何してるの」

 すると、バニラは口に人差し指を当てた。仕方がないので、しばらくおとなしくしておく。

 数分たって、ようやくバニラは木から耳を離した。

「たぶん、こっち」

 本当? という猜疑心の思いを顔に出すラーラの手を引き、バニラはずんずん歩いていった。

「バニラって、木と会話出来るの?」

 ちょっとワクワクしながら尋ねると、少しラーラに顔を向けて言った。

「え、そんなことできるわけないじゃん」

「じゃあ、今のは何よ」

「なんとなく」

 自由。

 自由すぎる。こういう人とどう接していいかわからない。ラーラは面白いと思う反面、少し困っていた。

 しかしそうなると、森の神様という話も胡散臭さが増したではないか。すべてはバニラの妄想なのか、それともとぼけているのか。

 とにかく、疲れたからどちらでもいい。ラーラはただ後ろについて行くだけだった。人懐こいのか、バニラはずっとラーラの手を握っていた。


 森を抜けるときは、一瞬だった。

 明かりが見えた、と思うと同時に、息が止まるほどの光に包まれた。バニラの金色の髪がより輝きを増す。

 しかし、そう思ったのもつかの間。すぐに明るさに慣れると、それはすでに夕方の薄暗い世界となっていた。

 しかし、ようやく森を抜けられた。ラーラは開放感で、思わず深呼吸する。

「ラーラ、もうちょっと登ればあたしたちの村だから」

 休む間も与えてくれず、ラーラは足をもつらせながらついてゆく。

「あの、ちょっと聞きたいことが」

「んー?」

「つい最近、私の他に誰か来た?」

 先に、ヴィックが到達していたら危険だ。ラーラは足を止めると、バニラもそれに習う。ようやく顔を見た。可愛らしい、丸顔の女の子。

「来てないよ。さ、行こ行こ」

 何かのステップを踏むように、バニラは歩き出した。

 ヴィックは諦めたんだ。ほっとしたような、悲しいような。でも、これでいいんだ。ラーラは疲れた足を引きずりながらそれについて行った。


 なだらかな傾斜の上り坂。山とはいっても標高は低い。さして辛い思いはせずに登ることができた。ラーラの村と一緒だ。

 すぐに、バニラの言う村が姿を現した。それはラーラの村同様、コテージのような家が並ぶだけだった。丸太がむき出しになっている簡素な家で、大人が二人住む程度の広さしかない。それが、一定間隔を置いて十棟ほど建っている。人はラーラの村よりも多そうだ。

 少し懐かしさを覚え、ラーラはその風景を見つめていた。久しぶりに、故郷に帰ってきたみたいだった。とはいっても、村を出てまだ数週間しかたっていない。この村だって、同じ国に属しているし、それだけで懐かしくなるなど情けない。

「あのね、ラーラ」

 歩きながら、バニラは先ほどよりもトーンの低い声で言う。

「何?」

 立ち止まり、バニラは振り返る。先ほどまでの、無邪気さを具現化したような顔ではなく、少し冷めた大人のような顔だった。よく見ると、バニラの瞳は深い緑色だった。

「さっきの、森の神様っていう話、家族にはしないでもらいたいの」

 どうして、と喉まででかかったが、辞めた。事情があって話せないことがあるのは、ラーラだってよくわかっている。

「わかった。絶対に言わない」

 強い言葉で言うと、バニラは安心したように笑顔になった。

「うち、大家族だからうるさいけど、勘弁してね」

 再び、ラーラの手を引き歩き出す。その後姿は、先ほどまで見ていた邪気のない背中ではないように思えた。

 バニラはあるコテージの前に立ち、ドアを勢いよく開けた。

「ただいま!」

「おかえりー」

 奥から、恰幅のいい女性が出てきた。手を前掛けで拭いている。髪の毛は、バニラと同じ金色で、短くカットしていた。

「これ、ウチのおかーさん」

 というやいなや、バニラの頭ははたかれた。

「親に向かって『これ』っていうんじゃないよ」

「もー、いちいち叩かなくてもいいじゃない」

 ぷー、と膨れる。その顔を、バニラの母は呆れた様子で見ていた。

「いつまでも子供みたいな真似して。……ところで、そちらの美人さんは?」

 美人、三回目だ。褒め言葉って、女性に言われてもドキドキするものなんだ、とラーラは顔を赤らめながら自己紹介する。

「ラーラと言います」

「ふうん。黒い髪って珍しい。この辺の人じゃないみたいだね。どっから来たの? 何しに?」

 矢継ぎ早の質問に、ラーラは動揺してしまう。どこまで正直に言うべきか、決めていない。そこで、バニラが口を挟んでくれた。

「森の中で何日も迷っていたから、連れてきちゃった」

 バニラの助け舟に、ラーラはほっと胸をなでおろす。身長は、ラーラよりちょっと小さいくらいだが、頼もしく見えた。

「あんた、また人を拾ってきたのか」

 呆れた口調と、しかめた眉。どうやら、バニラはいつもこんなことをしているらしい。そう思ってバニラを見ると、ぶんぶんと首を振る。

「まだ二人目じゃない! いつもだれかれ構わず連れてきてるみたいな言い方やめてよ」

 二人連れてくれば十分だろう。でも、拾ってもらった手前、何も言えなかった。

「でもねぇ、ウチには泊めるところなんて……」

「あ、私はどこででも寝られますから」

 あの森で野宿したのだから、もう怖いものはない。しかし、バニラの母はとんでもないと、首を横に振る。

「お客さんを放り出すことなんてできませんよ」

「それなら、あの家がいいんじゃない? 今は誰も住んでないし」

「そうだねぇ。雨風しのげるし、ウチのうるさいのがいるよりも落ち着くんじゃないの? 夕飯はウチで食べてもらうことにしよう」

 どうやら、話がスムーズに進んでしまっている様子。置いてけぼりを食らわされたラーラは、戸惑いながらその二人のやり取りを見つめていた。

「じゃあ、ラーラにはそこに泊まってもらおう」

「そこって?」

 尋ねると、バニラはにっこり微笑んだ。

「まあまあいいじゃない、細かいことは気にしなーい」

 二人そろって、あははと笑う。

「ちょっと、待って。なんで隠すの」

 さすがに、神経の図太いラーラでもその言動には不安が付きまとう。

「あたしもラーラと一緒にそこに寝泊りするから安心して」

 ね、と腕を組まれる。

「いやいやいや、なんで安心とかそういう話に……」

「こら、バニラはただ朝寝坊がしただけでしょうが」

 母にとがめられ、バニラは肩をすくめた。

「だって、ひとりじゃ……ねぇ」

 なぜか、この親子は目配せをしあう。

「だから、何があるの、そこ」

 ラーラの問いに答えたのは、家のドアだった。

「ただいまー。あ、おきゃくさんだっ!」

 その謎の家について追求することも叶わず、泥だらけになって帰ってきた子供たちに囲まれてしまった。

「おねーさんどっからきたの」

「おねーちゃんの友達?」

「遊んで遊んで」

 何人いるだろう。ラーラは目でその金色の頭を数え始めた。

 短い髪二人、長い髪三人。男の子二人と、女の子二人のようだ。

「ごめんねー、弟と妹たち。ほら、あんたたち、挨拶なさい」

「こんにちわっ」

 合わせた声が新鮮だった。ラーラの腰に腕を巻きつけて、離れようとはしない弟たち。髪の毛を興味深げに触る妹たち。なんて懐っこい兄弟なんだ。ひとりっこのラーラには到底理解できない世界だった。

「ど、どうもこんにちは。ラーラです」

 確かに、この騒がしさと人数じゃ、この家に泊まることは無理そうだ。

 けれど、いったいどんな家なんだろう。ラーラはもみくちゃにされながら不安でいっぱいだった。


 その家は、バニラの家からさほど離れていないところにあった。間に二棟の家を挟んでいる。

 とにかく、バニラに家を出るのは一苦労だった。あの兄弟がラーラを離してくれないのだ。

 たった数歩行けば会えるところに行くだけなのに。でも、みんな可愛らしくて、ラーラが離れてしまうことを嫌だ嫌だと泣いてくれた。それを見て、もらい泣きをしてしまいそうになる。が、会って数分なのに、そこまで思ってくれるというのも不思議な気がした。

 空き家だというその家。外観上、バニラの家と見た目が変わっているところはなかった。

 まじまじとその家を眺めていると、バニラは笑いながらドアをあけた。

「別に、獣を飼っているとか、幽霊が出るとかそういうんじゃないから」

 幽霊……って、バニラは信じるんだ。ラーラは調べ物の際目にしたが、全然興味がわかなかった。

なんてことをぼーっと考えていた。それが家に入るのをためらったようにみえたのか、バニラが背中をぐいぐい押して家の中に入れる。

「こわくなーい、こわくなーい」

 そういう暗示をかけられると、余計に怖い。けれど、家の中も格別変わったところはなかった。でも、結構ホコリ臭い。

 リビングには小さなテーブルと、二脚の椅子、ベッドも二つ。まるで、ラーラとバニラが来るのをわかっているかのような家具がそろえられていた。

 ぽすん、と音がしたので振り返ると、バニラがベッドに横になっていた。

「あー、静かだ。毎日うるさくてさー」

 ホコリ臭いのは気にしないようだ。ラーラはちょっと顔の前で手を扇いでみたが、そんなことでホコリ臭さが抜けるとは思えない。

 うるさいほど兄弟がいるなんて、羨ましいな。ラーラは複雑な思いだった。

 とりあえず、窓という窓をすべてあけた。適当にロックをはずし、立て付けの悪い窓を、甲高い音を立てながら開けていく。

 キッチンに向かい、雑巾らしき布を見つけだが、そういえば水がない。

「水、汲んでこなくちゃ」

 喉も渇いていたし、とにかく水だ。

「バニラ?」

 ベッドの方に行くと、バニラは寝息をたてていた。

「どうするのよ……」

 途方にくれてしまう。まったく、よくわからない子だ、とラーラはほほえましく思った。側に座り、その寝顔を見る。

 ゼフィラも、こんな顔をして寝ていた。いつも、楽しそうな夢を見ている、そんな幸せそうな顔。白い肌は上気したように桃色に染まっている。

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