第18話 第五章・闇の森(2)
翌日も、朝から愉快な踊りを披露した。
しかし、お金と笑いを手に入れることが出来ても、肝心の情報は手に入らない。今日も、集まった人たちがクモの子を散らすように去っていく。それが、どうも嫌だった。自分の元から、誰かが去っていくのは怖い。
日が傾き始め、最後の踊りを踊った後、いつものように観衆に声をかけた。
「些細な情報でも構いません。どんな病気でも治すお医者さんを知っている方はいませんか」
今日も、反応なし。そんな医者、知っていたら病気で死ぬ人はいなくなる。今の医学では治らない病気は山ほどある。
諦めて、今回集まった小銭を袋に詰める。もう入りきらないほどいっぱいになっていた。嬉しいことは嬉しい。こんな特殊能力があったというのは良い誤算に違いない。話題を呼んで、昨日来た人が友人を連れ再び足を運び、どんどんと観衆が膨らんだ。
それでも、情報がない。やっぱり、こんな血筋を矯正してくれる人なんて、いるわけない……。
ラーラがため息をついていると、ひとりの女の子がちょこちょこ近付いてきた。
「あたし、しってる。なんでも治すおくすり作ってる人」
金色の髪を二つに結った、五、六歳の女の子。ラーラはしゃがんでその少女の顔を見た。
「ほんとう?」
少女はうなずく。そこに、同じ髪の色をした女性が慌てて近付いてきた。
「こら、変なこと言わないの」
少女を抱き上げる。おそらく母親だろうと見当をつけたラーラは急いで立ち上がった。
「待ってください。変なことでもいいんです。教えてください」
その母親は少し迷ったように、川に視線を移した。そして、辺りを気にして小さな声で言った。
「ウソか本当かわかりませんよ。ただ、そういう噂があるっていうだけで」
うんうん、とラーラはうなずく。初めての光明だ。
「あの、山、見えます?」
指差したのは、川の上流の山だった。大きさが分からないから、遠いのか近いのかわからない。
「あの山に、どんな病気でも治す科学者がいるっていう話です。そこには他に人も住んでいて、その科学者のおかげで平均寿命二百歳とか」
「凄い……」
「でも、実際その山を登れる人はいないんですよ。ふもとの森が、とても迷いやすくて辿り着けないとか。だから、人が住んでいるかも怪しいんですけど」
ためらった割には、結構しゃべってくれる。人がいるかもわからない山の中の村なんて、まるで自分の村と同じではないか。
「それに、その科学者、ものすごい変わり者らしいですよ。一人では行かない方がいいかもしれません。喰われちゃうかも」
その時、天文時計がごーん、と重い音を鳴らした。
「もう帰らなくちゃ。それじゃあ。十分気をつけてくださいよ。私は責任持てませんからね」
そそくさと二人はラーラから離れた。少女はばいばい、とラーラに手を振る。つられて、ラーラも笑顔で返した。
喰われちゃうかも、という言葉に自嘲する。
別に、落ち込まない。そんな暇はないと、ラーラは早速荷物をまとめにかかった。路銀はたっぷり貯まったし、ここにいる理由もない。
すると、隣から声がかかった。あの中年の男性。
「よかったな、ねえちゃん。身内に病気のヤツがいるんだろ。これで助かるじゃねぇか」
ぷっくり出たおなかにギターを乗せた男性は、本当に祝福しているのか怪しい顔でねぎらってくれた。
「はい。どうも、お騒がせしました」
すると、その男性はふん、と鼻で笑った。
「本当に。お客ぜーんぶねえちゃんに持ってかれたよ」
あはは、とラーラはごまかし笑いをした。
「でもよ……あまりに真剣だったからさ。その科学者がいるといいな」
それ以降、男性はラーラの方向を見ることもなかった。
ラーラはぺこり、と頭を下げ、橋を去っていった。自分から、誰かの元を去るのも寂しかった。
ふと、誰かの視線を感じ、振り返る。たくさんの人がいて、誰もがラーラを見ているような気がする。背筋が凍りそうな、恐ろしい気配だった。肌の色が黒い異国の人が、こちらを見ているよう。旅人にあんな厳しい視線で見られる理由は特に無いので、気のせいだろう。きっと、ずっと踊っていたから面白がっているだけだ。そう言い聞かせる。そうでなければ納得出来ないくらい、恐怖を感じる視線だった。
ひとつ、ため息をつく。
人の多さに疲れたのかもしれない。気を取り直し、歩き始めた。
目指す先は、側に見えるあの山。
山、というのは近くに見えて、実は距離がある。ということを、ラーラは初めて、身をもって実感するはめになった。
明日まで待って、準備を整えてから来ればよかったと後悔したとき、すでに辺りは暗闇に包まれていた。しかも、すぐ側には店も家もない。野宿決定だ。
そのとき、もう一度視線を感じた。畦道で立ち止まり振り返ると、遠くに男性が立っているのが見えた。薄暗くて、誰だかわからない。けれど、感じだ。
ヴィックだ。あの視線の正体は、彼だったの?
突き飛ばして、ケガをさせたことを怒って追いかけてきたんだ。あんなことをしておいて、姿を消したのだから当然だ。ヴィックだって男なのだ。ラーラは何をされるのだろうと、恐ろしくなった。
ラーラは顔を青ざめさせ、すぐにきびすを返した。森に逃げよう。あそこならば、ヴィックを受け入れないかもしれない。
走り出し、森を目指した。遠く感じた森も、思いっきり走ることでようやく辿り着く。
その間、追いつかれやしないか、何度も後ろを振り返った。
しかし、暗いせいか、ヴィックはなかなか追いついてこなかった。ヴィックはすぐに立ち止まり、きょろきょろと辺りを探る素振りを見せていた。ラーラは見えるのに、彼には見えていないのか。もしかしたら、自分は普通の人よりも夜目が利くのかもしれない。だから、逃げ切れた。
森に入り、大きな木の陰に身を潜め、息を整える。
そこは、ラーラの村の入り口にあるような森だった。うっそうとしていて、音も光も吸収してしまうような闇を携えている。
ごくり、とラーラは喉を鳴らす。
自分の住む山の森よりも、気のせいか広そうだ。しかも、あの女性はこの森を迷いの森だなんて言っていたし、ちゃんと辿り着くことが出来るのだろうか。ヴィックをまくつもりが、自分が迷ってしまうかもしれない。
しばらく森の入り口の木の陰で立ち止まる。
けれど、ここにいても仕方ない。というか、怖い。ヴィックが来る。会いたいけれど、そんなことを言っている場合ではない。今は、ヴィックが怖かった。
いや、しかし。臆病風に吹かれてはいけない。
昨日まではいい宿で眠ったんだし、一日二日寝なくてもいい。そう判断し、ラーラは闇の森へと足を踏み入れた。大好きな人から逃れるために。
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