第17話 第五章・闇の森(1)
ラーラの旅立ちを、天気も後押ししてくれた。空は快晴。汗ばむことも、凍えることもないいい季節。
神は試練を与えるばかりが仕事ではないと教えてくれる、そんな気候だった。
約一年の間、出来る限りの事はした。
その間、旅に出るかもしれないと話し合った。そのためには路銀が必要だ。
けれど、村の人たちと協力して集めたお金はわずか。それまでは、生活できればいい、というレベルでしかなかった。でも貯金をしていくというのは、思うよりも負荷のかかることだ。
グロリアも今まで以上に機織をして売っていたが、それでも一人での作業に限界はある。
自給自足で生きてきた村の人間にとって、お金を稼ぐということはとても難しいものだった。
ラーラはこの辺りで一番人の多い市街地にやってきた。村から歩いて七日ほどかかる、人通りの多い所だ。本当ならもう少し時間はかからないだろうけれど、道に慣れていないせいで、だいぶ時間をくった。
しかし、慣れてきたとはいえ、ラーラは人いきれを起こしそうだった。道に何度座ったことか。
美しい城や天文時計がそびえ立つ、にぎやかな城下街。
ここまで来るまでに、六泊も宿泊をした。そうすると、すぐにお金はなくなる。
大きな川の流れる街。土で出来た堤防の上に立ち、その流れを上から見ていた。
川の潮のにおいは、初めて嗅いだ海のにおいに似ている気がして、少し足を止めて胸いっぱいに空気を吸い込んでみた。
でも、観光に来たわけではない。
ここで、何をどうすればいいのだろうと頭をめぐらせた。
お金を稼ぐ時間は惜しいけれど、このままでは路頭に迷う。野宿でも構わないけれど、食べるものはどうしよう。情報が何もないまま、村にとんぼ返りは嫌だ。
はぁ、と暗い顔でため息をつく。明るい日差しの中、水面はわずかにだがゆっくりと流れていく。
ふと、賑やかな音楽に誘われ、橋に顔を向ける。
この橋は最近出来たばかりの石造りの橋だ。何百人が乗っても平気なほど、大きく丈夫な作りだった。人が作ったとは思えない。
「すごいなぁ……」
きらびやかな建造物が多い街だ。バロック調の宮殿は、ここに来るまで何軒も見た。丘の上に立つ城には、絵本で見た本物のお姫様がいるに違いない。
絵本は、持ってきていた。心が折れそうなとき、支えてくれるものだと思ったから。
ここで止まっても仕方ない。ともかく、ラーラは橋の中央まで行ってみることにした。
そこでは、楽器を持った人々が歌う人もいれば、小さな色つきのボールをくるくる回して観客を楽しませている人もいる。
よく見ると、足元には帽子やギターケースが置いてあり、そこに小銭が投げ込まれていた。
たいした額ではないけれど、わずかなお金も欲しいラーラには魅力的だった。
ああいうことをやれば、お金も人も集まる!
急に、胸が高鳴った。これならば時間をかけず、しかも情報も集まるではないか。こんないいことはない。
しかしラーラには、人に披露してお金がもらえるような特殊能力はない。
第一、自分が不器用であることぐらい、十八年生きてきたのだからわかっている。こんなことに役立つのなら、情報ばかり集めないで、ボールを華麗に扱う修行をすべきだったか、とちょっとズレたことまで考え始めた。
しかし、考えても何もないものはない。スペースを探し、落ちている空き瓶を拾い、それをザックと共に地面に置く。
よし、歌と踊りだ。村でもよくゼフィラと踊っていたし、ちょっとは見世物になるだろう。元手はかからない。
村に伝わる歌と、踊り。娯楽のない村では数少ない遊びだった。よくステキだと褒められたし。
くるり、と回転すると、髪の毛が花開くように広がる。その感触が好きだった。
ヴィックが撫でてくれた光を反射するほどの髪は、自慢の一つだった。こうやって、一度でいいからヴィックとも踊ってみたかった、などと考えていると、目頭が熱くなる。慌てて笑顔を作り、ラーラは無我夢中で踊った。
一曲踊り終わり、ふぅ、と息をはく。ずいぶん体力が落ちたものだ。前まではこれくらいのことで息があがることはなかったのに。毒はすごいなぁ、とのん気に思い返していると、目の前にたくさんの人がいることに気付いた。じーっとこちらを見ている。
観衆をひきつけている。やっぱり、華麗な踊りだったか、と満足しかけると、その観衆からいっせいに笑い声が起きた。
「ねぇちゃん、あんた面白いよ!」
「新人のコメディエンヌかい」
「もう一回踊って!」
はて、面白く踊ったつもりは毛頭ない。訳がわからないまま、もう一曲、別のものを歌いながら踊ってみた。すると今度は、踊っている最中から爆笑の渦だった。
「どうやったらそんなに面白く踊れるんだ」
「腹痛い! その歌、わざとなの?」
「すっごいセンスだな」
続々と、ビンに小銭が投げ込まれた。
正直、ラーラは納得がいかなかった。これのどこが面白いっていうの! と言い返したかったけれど、お金を頂いている手前、とりあえず苦笑いで返しておいた。
そういえば、グロリアに言われたことがある。あなたの踊りは独創的ね、歌はとんでもないパワーよ、と。それが今まで褒め言葉だと思っていたが、皮肉だったのだ。人と比べたことがないからわからなかった。
それに気がついたラーラは顔を赤くした。最初から変だと、遠慮せず言ってくれればいいのに。恥ずかしさで萎縮してしまう。
すると、ラーラが踊るのをやめたことで人々の足が違う方向へ向いてしまった。せっかく集まったのだからこのまま返すわけにはいかない。
「あの、皆さんにお聞きしたいことがあるんです」
ラーラの声に、観衆も、同じく芸をしていた人からも視線を集めた。あまり人と接しないで過ごしてきたのだから、少し腰がひける。しかし、これしきのことではいけない、とおなかに力を込める。
「この辺りでも、どこか遠くでも構いません。どんな病気でも治してくれるお医者さんを知っている方はいませんか」
その言葉に、全員が顔を見合わせ、そして首を振った。
「知らない。フツーの医者ならいくらでもいるが」
「わりぃな、力になれなくて」
ぞろぞろと、人々は去っていった。そう簡単に見つかるわけがないとは思っていたけれど、人が自分の元から離れていく、というのは少し寂しい。
「負けない」
集まった小銭を数えてみる。今日の寝床は確保できそうだ。でも、節約のため早めに野宿にしてしまうべきか。
「ねえちゃん、そんなじろじろ眺めてないで、さっさとしまったほうがいい」
隣でギターを弾いていた中年の太った男性が声をかけてきた。
「はぁ」
「あんた、こういうの初めてだろ。そんな風に道で金勘定はいいもんじゃねえ」
そうか、ここはそういうルールなのか。ラーラは慌てて小さな布袋に小銭をしまった。もちろんこれも、グロリア特製。真っ赤な生地に白い糸で刺繍が入っている。何かの花らしいが、売り物以外は大雑把なグロリアのことだ。結構適当なのかもしれない。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、ふん、と中年男は顔をそらした。
「それにだ、あんた結構美人だからいろいろ気をつけなさいよ」
そういうと、ギターを奏で始めた。
それは、しつこいほど言われていた。外は怖いところだから、絶対にちゃんとした宿に泊まりなさいと。
しかし、現実の『ちゃんとした』宿はものすごく値段がはる。ちゃんとしていないところでもぎりぎりだ。野宿を考えている、なんて言ったら、グロリアは卒倒するだろう。仕方のないことだが。
それに。美人という言葉にドキドキした。が、ヴィックに言われたときのドキドキとは違う気がした。なるほど、言われる人にもよるのか、とまじまじとその中年男を見る。なんか、大丈夫そうだ。
「……なんだよ」
怖い顔で睨まれ、ラーラはぶんぶんと首を振った。
世間で生きていくのって、なんだか疲れる。ため息がもれた。
でも、悪い人、怖いことばかりじゃないというのも、ここ一年でラーラが学んだことだった。この人も見た目は怖いけれど、ラーラのことを気遣ってくれているのだ。いつの間にか、人の表情から、そういった意思を読み取れるようになっている。
「あなたは、どうしてここでギターを?」
好奇心で尋ねると、少し黄色い白目で睨まれた。思わずびく、と震えてしまう。しかし、男はため息をつき口を開いた。
「別に、たいした話じゃねえ。オレには嫁さんと子供がいたが、嫁さんに先立たれてな……子供だけはちゃんと育てようと思ったけど、嫁さんの親に奪われちまった。あんたに子育てが出来るもんか、ってな。それから自由気ままな暮らしをしてるってわけさ。コブがいなけりゃ楽でいい」
どこか達観したような、それでいて諦められないような顔で、ギターを軽くかき鳴らした。
「どうして、子供を……あなたの子供なんでしょう?」
「そりゃそうだが、あっちにしてみりゃ孫だからな。自分の手元に置いておきたいんだろうよ。自分の娘が腹痛めて産んだ子だ」
下腹部に、毒を飲んだ時の痛みがよみがえった気がして思わず押さえてしまう。実際、毒の作用は未だに体を蝕んでいる。時折、体の中が痛くてたまらなくなる。ラーラは深呼吸をして話を続けた。
「そういう、ものですか」
「そういうもんだ」
でも私には産めない。けれど、わが子とはどんなものなのだろう。
「ありがとうございます。勉強になりました」
妙な物言いに、男はへっ、と鼻で笑っただけだった。
ここにはいろんな人がいる。誰もが、何かを抱えているのかもしれない。広い橋の上、陽気な雰囲気にも裏はあるのだ。
とにかく、立ち止まってはいられない。
よし、と気合を入れなおし、再び踊り始めた。もう、面白くてもなんでもいい。人とお金が集まれば。
自棄になったラーラの踊りはより面白さを増し、結果的に今日は『ちゃんとした』宿に泊まることが出来た。なんだかんだ言って、やっぱり野宿なんかしたくない。
それでもなかなか情報は手に入らない。明日こそは、と決意をし、ふかふかのベッドですぐに眠りについた。
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