第7話 第二章・変革(1)

 ヴィックの住むアパートの場所は、二人が衝突した場所からさほど離れていなかった。ヴィックに抱えあげられここまでつれてきてもらったラーラは、今までに感じたことのない羞恥を覚えていた。鼓動まで聞こえるほど側に、ヴィックがいる。

 かといって、一人で歩けます、というほど痛みが和らいだわけもなく、ただただ顔を赤くしながら部屋に入れてもらった。大きな家だ、と感じた。

 清潔な部屋。入ってすぐはリビングのようで、テーブルが置いてあった。よく見るとワンルームで、その端にベッドも置いてある。真新しいシーツが引いてあるベッドにおろしてもらった。

 ヴィックは暗かった部屋にランプを灯した。明るくなった部屋には温かみが広がる。

 その家は、ラーラにとって大きな屋敷だ。目を丸くしてその外観・内観を見つめていた。赤い壁はレンガで出来ている。窓は一階と二階に四つずつ、計八つ取り付けられていた。

 その両隣の家は、同じレンガ造りだけれど、一階しかなく、窓は一つ二つしか見当たらない。それでも、ラーラの家よりもしっかりした造りで、大きい。服もそうだし、きっと凄い人なんだ。

「ヴィックさん、大金持ちなんですか」

 ためらいながら聞くと、一瞬目を丸くして、それから大笑いする。

「違うけど、そう思ってくれていてもいいよ」

 からかうような笑顔に、戸惑いながらも笑顔を返した。どうやら違うらしいとわかったけど、真相を伺えるほどラーラは対人関係に熟していない。

 痛めた腰をかばって、ゆっくりベッドに横になる。

 余裕が出来辺りを見ると、殺風景な部屋の中、ベッドはひとつしかなかった。リビングと続き部屋になっていて、ここにはベッドとクローゼットしかない。

「あの、私がここに寝てしまったらヴィックさんは他の部屋に……?」

「他って、僕が住んでいていいのはこの部屋だけだよ。アパート、って言って、いろんな人が一緒の屋根の下に住んでいるんだよ」

「いろんな人って、知らない人?」

「まあ、顔見知りではあるけど、ここに来てから家族になったようなものだよ」

 苦笑いしながら、ヴィックは説明してくれた。

「知らない人と一緒に……」

 想像つかなかった。同じ村に、知っている人としか住んでいないラーラには、よくわからない感覚だ。しかも、聞いたことがない単語が出てきた。

「かぞく……って?」

 話しかけるが、ヴィックの姿はない。首だけ回して見ると、足元にうずくまっている。

 何をしているかと思えば、ヴィックはおもむろにラーラのブーツを脱がし始めた。これは、絵本で見た、とラーラは思った。お姫様が家臣にさせていたこと。

 それを思い出し、慌てて足を引いた。腰がきしんで、思わず顔をしかめる。

「大丈夫です、自分で出来ます。本当に」

 先ほどからのお姫様待遇に目を回していた。それとも、街の男の人はみんな女性に対してこうなのだろうか、という考えを抱いてしまう。

「別に、変なことはしないから」

 無造作に足を掴むと、ふたたびブーツの編み紐を解いてゆく。

「変なこと……?」

 無邪気に問い返すと、ヴィックはほんの少し顔を赤らめた。

「あのね、君……ラーラは世間知らずみたいだから。世の中僕のようないい人ばっかりじゃないってこと……って、自分で言うのもなんか違うんだけども。とにかく、僕はラーラを傷つけるような非紳士的な真似はしないよ、ってこと」

 早口に言うと、後はひたすらにブーツを脱がせることに集中した。擦り切れた茶のブーツに触れられるのは恥ずかしかったが、仕方ない、と目をつぶることにした。

 そうか、世の中の人がみんなヴィックみたいじゃないのか、とラーラはぼんやりとその行為を見ていた。

 知らない世界がたくさんある。その好奇心で街に来てしまったけど、そのせいでゼフィラが……思い出して、なんだか涙が出そうになる。

「どうしたの」

 その様子を見たヴィックは、おろおろと慌てながら尋ねた。

「実は、人を探していて……でも見つからなくて」

「人? だからさっき、走ってたんだ」

 こくん、とうなずき、開放された足をベッドに乗せた。腰が痛まない体勢を模索しつつ横になり、話を進める。

「一緒に、家出をしたんです。か弱い女の子で、ひとりにしておくのは心配で」

「妹?」

 すっと立ち上がり、リビングの椅子をベッドにひいてきたヴィック。そのまま座り、ラーラを見つめる。

「いもうと、とは何ですか」

 また、初めて聞く単語だった。純粋に知らない言葉だった。

 その返答に一番驚いているのはヴィックだった。

「妹、だよ。年下の兄弟」

「きょうだい、ってなんですか」

 さらにヴィックは目を見開いた。そして頭をぽりぽりかいた。

「冗談はよしてくれよ」

 呆れたように言われても、わからないものはわからない。しかし、もう取り繕うことも出来ない。ただうつむくだけだった。

「ごめんなさい……でも、教えてください」

「本気?」

 非難にも似た声で、ラーラはうつむいたまま何も答えられなかった。

 少しの間、沈黙が漂う。そして、ヴィックのため息が静かな部屋に響く。

「そう、なんだ。本当に知らないか」

「……ごめんなさい……」

 恥ずかしかった。きっと、世間では当たり前の言葉なのだ。教育を受けていないのだと思っているのだろう。実際そうだから何も言えない。

「同じ親から生まれた子供のこと。そうじゃない家庭もあるけど」

 優しく、ゆっくりとした口調に少し安心する。

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