唐突の転校生(丙)

 三隹みとりさんは、いつものほんわかした雰囲気ではなく、それなりに真剣な表情をしていた。三隹みとりさんらしくない。かなり深刻な事態と予想される。


はじめ。」


三隹みとりさんが俺の手に何かを握らせてきた。紙で厳重に幾重にも包まれていて、何か分からない。


「もし二人に何かあったら、やるのはあなたかあかねなんだからね。」


握らせらた物が何だか分かった気がした。


叢雲むらくもですか?」


「レプリカよ。」


三隹みとりさんは声をひそめる。


「分かりました。」


俺はその握らせらた物にまがり用の認識阻害の札を付けて、更に紙で包み、リュックに入れた。三隹みとりさんはそれを見て、それで良いわ、と言った。


あかねさんには?」


「とっくに。」


そして三隹みとりさんがは静かに頷いた——。



 俺は出る間際に夕方のまがりに目をやった。まだ寝ていた。このまま二度と起きないんじゃないか? なんて思う。


あやかし……、ね……」


まがり何だよな。彼女を見たら、ふと口が動いた。




 蔵里神社の裏側から中に入る。夏織かおりが待っていた。


三隹みとりさんがね、あかねさんによろしく言っとくようにって。」


「そんなことをわざわざはじめに? 三隹みとりらしいと言えば三隹みとりらしいのかしら。」


夏織かおりは納得した様子であった。



 三隹みとりさんが普段から挙動不審で助かった。もしかしてこんな時のために故意にやってるんじゃ……? 三隹みとりさんならあり得そうで怖い。



 俺は三隹みとりさんから貰った物をわざと大きめのモーションで靴箱の上に置いてみた。ゴトンと重い音がする。


「靴箱がどうかしたの?」


夏織かおりが靴箱の方を見る。


「手をついただけだよ。」


俺は言った。夏織かおりは、そう、と素っ気ない返事をした。



 俺はくだんの物をリュックにしまい、担ぎ直す。廊下の奥から足音がしてきた。


「おお、来ましたか。」


そう言いながら歩いてくるのは、和泉いずみ家の現当主である和泉いずみ博匡ひろまさである。



 和泉いずみさんは今日も酒臭い。蔵里の禍禊まがらいじゃ有名な呑兵衛だ。だが、その実力は確かである。


「今晩は。」


酒臭せぇな。少しは控えたらどうなんですか?


「いえいえ。私はこれから本町を回ってきますので、好きにしていて下さい。」


そんなに酔ってて大丈夫なのか? まあ、大丈夫だから禍禊まがらいをできてるんだろうけど。


「いつもすみません。」


出て行く和泉いずみさんを見送り、夏織かおりと一緒に奥へ行った。夕食は既にできているらしい。



 夕食には早速、例の佃煮が出ていた。


「美味しいわね。今度、私も三隹みとりに頼もうかしら。」


夏織かおりが言う。


「それが良いと思います。」


抄俐せりはその佃煮を白米に乗せてモキュモキュと食べる。この二人の食べっぷりは到底少女とは思えない。半禍はんかがいるとエンゲル係数が高くなると言われるのにも頷ける。



 俺もその佃煮を摘んでみた。不味くはないが、決して美味くもない物であった。



 歯応えにしろ味にしろ癖が無さすぎて寂しい物である。ひたすら蒟蒻を食っているような気分にさせられた。どうにも隠り世の物は俗っぽさに欠ける。



 夕食の後、風呂に入る。ここでエッチい展開になるのがエロゲーあたりの王道なのだろうが、残念ながら現実はそう甘くはない。



 それどころか、俺が一番風呂は抄俐せりに譲ろうと思って、抄俐せりの後で良いと言ったら、夏織かおりがちゃっかり一番に入ってしまった。結果、俺は自動的に最後になった。追い焚き確定である。



 更に俺は、女子高生と女子中学生が入った風呂の湯にフェチを持った変態でもない。だから彼女達が入った風呂は、ただの使用済みの湯に過ぎない。夏織かおりにはしてやられた訳である。たまには兄を立てても良いんじゃないかも思う。



 とりあえず、後から入った抄俐せりと、初めからいた夏織かおりが楽しんでいる間に、俺は夏織かおりと俺の分の布団を敷いてしまう。



 お泊まりといえば枕投げとか階段とかみたいなのは、というのは定番の流れなのかもしれない。だがそもそも毎月2〜4泊のペースで泊まっていると、お泊まりという認識も無くなってくる。抄俐せりの方もしばしば士示ししの家に泊まるものだから他人の家という実感が全くわかない。お互い我が家という認識になっている。



 俺は二人が風呂から出るのを確認してから、湯沸かし器の追い焚きボタンを押して、風呂に入った。当然、実は二人がまだ入ってました、なんてこともない。ガランとした風呂場には湯気だけがもんもんと溜まっていた。



 お湯が中々温まらないやら、1,2割ほど減っていて肩まで疲れないやらで、シャワーノズルを湯船に突っ込んだ。お手軽にジャグジー感覚を味わえるから一石二鳥である。そんなことを考えたら悲しくなってきたので、それ以上は何も考えないことにした。



 風呂から出て、歯を磨いて、学校のジャージに着替えて、部屋に戻る。夏織かおりはいない。おそらく机がある部屋にでも行っているのだろう。今晩は徹夜する気に違いない。



 半禍はんかであるが故の異常な体力があるにしても、明らかに使用用途を間違えている気がする。夏織かおりまがりとしての特性の一つである夜行性も、こういう用途で発揮するのは何かが違うと思う。



 かと言って、夏織かおりにやるなと言う理由は無い。従って俺は寝るだけだ。



 電灯を消す。神社の2方向を街道が通っているため、かなり車の往来音がした。気にはならない。慣れている。士示ししの家の方もこんなもんなのだ。むしろ、家の方が煩いくらいだ。


────────


 翌朝、やはり夏織かおりは布団にいなかった。あいつのことだ。どうせ徹夜ついでに夜食でもに行ったのだろう。



 あいつは半禍はんかであることを言われるのを嫌がるくせに、夜間、平気で町をうろつくのだ。まあ、不審者なり警察なりその他一般人に会わなければ良い。



 特に警察に補導されると後処理が面倒なのだ。それに不審者に夏織かおりが危害を加えた場合、士示ししの家計に若干の影響が出る。高校生が示談交渉というのも笑える話だが。



 玄関の戸が開く音がした。向かうと夏織かおりがいた。口にを咥えている。夏織かおりは獲物を咥えるのが好きなのだ。



 普段、変態、変態と俺に言うが、夏織かおりの方が変態だと俺は密かに思っている。



 全く、仕様が無い奴だ。


夏織かおりさ、はん——」


俺が半禍はんかと言い終わる前に夏織かおりが口に咥えた物を飲み込んで言った。


「仕様が無いじゃない。お腹空いたのよ。」


「せめて冷蔵庫にあるものなり夜食を予め買うなりしておけよ。」


「冷蔵庫のは和泉いずみんちのだし、夜食を買うと、金がかかるのよ。」


俺は溜息を吐いた。



 高校になっても夏織かおり夏織かおりだったか……。



 和泉いずみさんは既に帰ってきていた。昨晩(と言っても日付は回っているが)、夏織かおりと入れ替わる形で帰ってきたらしい。



 士示ししの管轄下であるこの地域は2時間単位でシフトを組んであるはずだ。それにもかかわらず日付を回ったということは、三隹みとりあたりと呑んだくれてたのだろう。酒臭かったし間違えない。まあ、いつも酒臭いから何とも言えないが。



 神職が呑兵衛ということについては突っ込まないことにしよう。僧侶でないからセーフとも言える。ただ泥酔して二日酔いは、神職とか僧侶とか関係なく迷惑だから、酒は程々にして頂きたい。



 朝ごはんを作ろうかと思って台所へ行ったら、既に抄俐せりがいた。


「ああ、抄俐せり、悪いね。手伝うよ。」


「良いんですよ。あの呑兵衛親父のんべぇおやじと一緒の方が辛いですよ。」


「うーん……、その比較だと俺と夏織かおりも相当迷惑なのかな?」


「いえいえ、そんなことはありませんよ。ただ、比較できるのがそれくらいしかないだけです。」


「というか、あの状態で大丈夫なの? さっき、寝室に向かってたけど。」


「大丈夫ですよ。今日は父に来てもらいますから。」


抄俐せりは言った。


 和泉いずみさんは抄俐せりの父親ではない。叔父さんなのだ。和泉いずみさんに子供がいないから、次期当主候補が抄俐せりしかいないのである。そこで勝手を学ぶべく蔵里神社に居候しているというのが現状になる。



 朝ごはんを配膳していると、夏織かおりがのこのことやって来た。あいつめ、をがっつり食べときながら、朝ごはんまで食う気か……


はじめ、お早う。お腹空いたわ。」


呆れて言葉も出ないとはまさにこのことだと思う。


「ああ、夏織かおりさん、お早うございます。昨日は何匹くらい食べましたか?」


「2,3匹よ。三隹みとりんとこの結界に引っかからない小さいやつだけ食べておいたわ。」


夏織かおりは残念そうに言った。


「それは、他の禍禊まがらいが、でっかいまがりは全部やってるからだろ。それより、宿題は終わったのか?」


「問題無いわ。あとは英語よ。」


「終わってないんだな。」


はじめ、提出は今日の放課後5時までなのよ。」


夏織かおりは妙に真剣に言った。


「それはともかく、ご飯にしませんか?」


声の方を見れば、米びつを持った抄俐せりがいた。



 朝ごはんを食べて、着替える。どうせ夏織かおりは準備に時間がかかるだろうから、先に着替えて部屋を空けておいた。着替えている間、部屋に入るな、と言われるのは困るからだ。



 玄関で夏織かおりを待っていると抄俐せりが来た。


「あれ? 学校、まだだよね?」


「はい。朝練もありませんから、まだまだですよ。」


抄俐せりは帰宅部である。夕方から夜にかけての活動が多い禍禊まがらいが部活に入るのは中々難しいのだ。


「——ゴミ捨てです。今日は燃えるゴミですから。」


抄俐せりは40リットルの大きなゴミ袋を持っていた。


「ああそっか。今日、水曜日か。」


「むしろ何曜日だと?」


「特に何も考えてなかった。」


「そんなんで、教科書とか宿題とか忘れないんですか?」


「全部置き勉してるから。」


抄俐せりは大きく溜息を吐いた。



 俺はゴミ捨てに向かう抄俐せりを見送る。靴を履いて玄関に座っていると、10分かそこらで夏織かおりが来た。


「待たせた?」


「ちょっとね。」


「行きましょ。」


夏織かおりはローファーを履いて、カバンを持つ。学校指定のカバンは容量が小さいから使っている人が少ない。詰まる所、夏織かおりも大体の教材を置き勉しているのである。



 夏織かおりと一緒に外に出る。途中段差があるから、夏織かおりを下に待たせて、俺は自転車を取りに行った。



 鳥居の方に三隹みとりさんらしき人が立っていた。顔から考えると五分五分で、服から考えると9割、いや確実に三隹みとりさんという具合である。この21世紀の日本で、普段着として和服を着用するご婦人は三隹みとりさんくらいしか俺は知らない。



 夏織かおりを待たせてある。三隹みとりさんはさておき、自転車を取ってくる。夏織かおりは自転車を下で受け取って並べた。


夏織かおり、今日は十日市街道から行かない?」


十日市街道は蔵里市を東西に走る道路だ。


「別に良いわよ。」


夏織かおりは言う。



 蔵里神社は十日市街道と寺口通りが交わる交差点に位置する。長方形の土地の1辺を十日市街道に、1辺を寺口通りに接しているのである。



 交差点から神社の方を見ると、やはり三隹みとりさんのようであった。


夏織かおり三隹みとりさんだよね?」


俺は信号を待つ夏織かおりの肩を叩く。


「そうね……。三隹みとりーー!」


夏織かおり三隹みとりさんを呼んで手を振った。



 三隹みとりさんはこっちに来ることはなく、手招きで俺たちを呼んだ。嫌な予感がする。それは夏織かおりも同じようで、分かりやすく嫌そうな顔をしていた。



 三隹みとりさんの所にに行く。三隹みとりさんの後ろに人が立っているのは明らかであった。


「あの……、三隹みとりさん、後ろにいるのは誰ですか?」


「さあ?」


三隹みとりさんは俺たちを試すように言った。察しは付くが、そうとは思いたくなかった。そうだとしたら夏織かおりが黙っているはずがない。


「さっさと教えなさいよ。焦れったいわね。」


夏織かおりがイライラと言う。


「あらあら、夏織かおりはせっかちね。……ほら、シオン、出て来なさい。」


すると、蔵里北高校の制服を来た女の子が、三隹みとりさんの背後から現れた。



 俺と夏織かおりはその女の子を見て声を失った。やはりか、という思いと、まさか、という思いが入り混じる。彼女は昨日のまがりであった。


三隹みとり!」


夏織かおり三隹みとりさんを睨む。想定通りだ。学校にまがりを入れるのは何事か、ということだろう。


「何か? あかねちゃんの許可も取っているわよ。」


三隹みとりさんは微笑む。


「ああ、もう……、あの馬鹿姉ばかねぇは……」


夏織かおりは頭を振った。



 昨日と違い彼女の髪がほんのりとふっくらしていることからして、三隹みとりさんが若干整えたようである。


三隹みとりさん、まさかですけど……。」


三隹みとりさんのことだ。サプライズが一つで終わるはずない。最低2コンボは決めてくる人だ。


「そのまさかよ。今日からお願いね。夏織かおりちゃん。」


三隹みとりさんが夏織かおりの肩を叩いた。


「1年なの!?」


三隹みとりさんはそれに対して明確は回答はせず、ただ微笑んでいた。夏織かおりまたもあからさまに嫌そうな顔をした。



 恐らく、士示ししに対して最も影響力を持つ人間は三隹みとりさんである。現在、士示ししは彼女が作る結界にかなり頼っているのだ。



 だから、彼女が言うことはどうしてもある程度考慮せざるを得ない。まあ、あかねさんに関しては「面白そうだから」という理由で簡単に許諾してしまいそうだが……。



 結局、俺が後ろに昨日のまがり——シオンを乗せて学校へ行くことになった。道路交通法55条と57条? バレなければ良いということにしておこう。

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