唐突の転校生(乙)

 巡回を終えた俺と夏織かおりは、一先ず、三隹みとりさんの元へと向かった。先のまがりのこともあるが、もともとあかねさんから人避けと例の結界の発注を頼まれていた。



 あのまがり、どうなったのかなぁ。


夏織かおり——」


「ふぉへん、ふぃは、ふぁはひふぁへはいふぇ。」


「分かった。とりあえず口に入ってる物を食べてから話そう。」


夏織かおりはついさっき見つけた、結界に引っかからないちっさいまがりを、ハムハムと噛んでいた。



 お前な……、まがりをガムのように使うなよ。まがりは噛み噛みして顎を鍛える為の物じゃないからな。



 さて、三隹みとりさんの古本屋は寺口駅北側の商店街にある。アーケード街の中が歩行者専用だから自転車は引くことになるのである。



 既に8時を回り、帰宅する人達がアケード内を足早に歩いて行く。ああ、大概の人は帰宅するだよな。禍禊まがらいは基本、夜の仕事だからなぁ。そんなことを思いながら、人の流れに逆らって自転車を引いた。



 三隹みとり書店の前に着いた。待ち構えてたかのように三隹みとりさんが出てきた。

「とりあえず、上がったら? 自転車も中に入れて良いから。」

三隹みとりさんは言った。



 三隹みとりさんの古本屋は間口が狭く、やや縦長な店内である。左右と真ん中に本棚がある。古本屋特有の香りが漂っていた。



 ドアも何も無いオープンな入り口にも関わらず、店内は静かであった。せかせかと帰宅を急ぐ人々とは別の時間が流れていた。いや、むしろ止まっていたのかもしれない。



 俺と夏織かおりは自転車をレジの裏に置いて、中へ上がった。先のまがりが寝ていた。結界を張る訳でも、檻に入れる訳でもなく、無造作に寝かされていた。狐の尻尾と耳は健在である。布団の下から尻尾がちょろりと可愛らしく出ている。



 夏織かおりがまじまじと三隹みとりさんを見る。三隹みとりさんは小首を傾げた。


「ん? 何かしら?」


夏織かおりはしばらく黙って、


三隹みとり、このまがりって三隹みとりと同じ種類?」


と、三隹みとりさんとまがりを見比べながら言った。


「そうねぇ……、コーカソイドとモンゴロイドくらいの違いかしら。」


三隹みとりさんらしい分かりにくい例えだな。


「要は人間という程度には同じ種類なのね。」


「まあ、そういうことになるわね。」


三隹みとりさんは言った。



 まがりという括りは「生物」くらいざっくりとした物だから、「人間というレベルで同じ」というのは相当近いということになる。むしろ同種だ。



 それにしても、あかねさんと言い三隹みとりさんと言い、俺の周りには回りくどい表現をする人が多い。



 そういう意味では夏織かおりは直球で有り難い。口が悪いのが玉に瑕、いや、そのきずが原因で玉が砕け散っているのだが……。



 三隹みとりさんは茶を淹れると言って奥へ行った。昭和の雰囲気が漂う居間は薄暗い。一昔前のゼンマイ式時計がチッチッチッチッと動いていた。



 ジリッ——時々、蛍光灯が点滅する。次はLEDに替えたいと三隹みとりさんが言っていた。そして、それを聞いたのは5年前だった気がする。



 夏織かおりがちゃぶ台を指でトントン叩きながら言う。


はじめ、暇よ。」


「帰れば?」


俺は即答した。


「嫌よ。ここからうちまで何キロあると思ってるの?」


「2キロ弱。自転車なら15分?」


「ほら。」


何が「ほら」だ。15分しかかからないんだぞ。まあ、どちらにせよ、今日は帰らなくて良いんだけど……。まさか夏織かおりは覚えてないのか?


「今日、和泉いずみさんの所に泊まるんだろ?」


「ああ、そうだったわね。」


夏織かおりがポンと手を叩いた。こいつ、忘れてたな。



 三隹みとりさんが湯呑みを盆に置いて運んできた。彼女は俺と夏織かおりの前に座って、湯呑みをちゃぶ台に並べていった。


三隹みとりさん、早速なんですけど、あかねさんからこれが。」


俺はリュックから今朝あかねさんから預かった発注書を出す。


「あら、もう1ヶ月経つのね。早いわねぇ。……後1ヶ月で夏織かおりも高校生ね。」


三隹みとりさんが茶を啜った。茶を啜るだけで絵になるのだから、三隹みとりさんは相当な美人だと思う。ただ、緑茶は啜らないで飲める温度で出すのがベストだと思う。


三隹みとりさん、もう4月です。夏織かおりを見てください。」


三隹みとりさんはどこまで本気だか分からない。念のため訂正しておこう。


「あら、その制服、夏織かおりが背伸びして着ているのだとてっきり……」


今回は本気だったようだ。三隹みとりさんらしいと言えば三隹みとりさんらしい。


三隹みとり、あんたね!」


夏織かおりがちゃぶ台をバンと叩く。衝撃で湯呑みがカタカタと揺れた。



 確かに夏織かおりは中学から何も変わっていない気がする。これから成長してくれることに期待しよう。そう、これからの成長に……期待できることを期待しよう。



 三隹みとりさんが立ち上がった。


「今日はが多いわね。あなた達はゆっくりしてて良いから。」


そう言って、三隹みとりさんは店の方へ行った。



 夏織かおりが湯呑みをちゃぶ台に置く。コトンと小さな振動が伝わってきた。


はじめ、この子、どう思う?」


夏織かおりが真剣に聞いてきた。


「どうって……、ただの人型のまがりだろ?」


現段階でそれ以上の説明は困難だと思うのだが?


「そういう意味じゃなくて——」


夏織かおりは店の方に目をやった。三隹みとりさんはと話している。は身長170センチ程度で、ダスターコートを着ていて顔はよく見えない。風貌は男性であった。


「——三隹みとりが連れてきたんじゃないの?」


夏織かおりが声を細める。夏織かおり三隹みとりさんを信用していないのだろうか。


「それは無いだろ。この辺りのだって管理できてるのはほんの数割だし、新しくができたっておかしくないんだから。」


「そりゃそうだけど……、何か引っかかるのよね……」


夏織かおりいぶかしげに言った。



 実を言えば、俺も若干ながら今回のまがりには違和感がある。安全なまがりつまり現世うつしよに危害を及ぼさないまがりというのは三隹みとり書店のような正規ルートで来るものなのだ。



 もしも正規ルートで来ているのなら記録ログが残るはずだ。しかしこのまがりにはそれが無い。



 夏織かおりのように三隹みとりさんを疑う訳ではない。だが、三隹みとりさんでないにしろ何者かが関与していると考えるのが妥当なのだ。



 人型ではなくとも、不定形ではないまがりが非正規なルートでこちらの世界に来れば、禍禊まがらいは気付くものだ。それが今回は誰も気付かなかったのだから。



 それから暫く、俺と夏織かおりは特に話さずに淡々とお茶を啜った。三隹みとりさんの入れる茶は特段美味い訳でもないが、不味い訳でもない。普通に美味い。10段階評価なら7というところだ。欲を言えば、もう少し温度に気を使って欲しい。



 夏織かおりがカバンからテキストとノートを出す。見れば筆箱は既に机の上にあった。いつの間に!?


「宿題?」


「ええ。」


「もう出てるのか。早いな。」


新学期——夏織かおりに取っては高校生活——が始まったばかりなのにもう宿題か。


「春休みのよ。」


俺は耳を疑った。


「え? 今、何て?」


「だから、春休みの宿題よ。」


「お前な……、期限はいつなんだよ。」


「明日よ。」


俺はため息を吐いた。



 この馬鹿野郎、春休みの宿題を何故新学期にやっている……。そういえばこいつ、春休みの間は遊び呆けてたよな。


「終わるの?」


やるなとは言えない。


はじめ、終わるかどうかじゃないの。終わらせるのよ。」


語尾に「キリッ」とオノマトペが入りそうな調子で言った。お前はどこぞの賭博漫画の主人公か。いっそ名字を伊藤に改名するか?



 三隹みとりさんが戻って来たのは、夏織かおりが宿題を始めて10分ほど経過した時だった。時刻は8時30分を過ぎたくらいだ。


「あら、まだいたの。どうする? 今日は泊まっていく?」


三隹みとりさんが座敷に上がりながら聞いた。


「いえ、大丈夫です。今日は和泉いずみさんのところに泊めてもらいますし。」


「ああ、博匡ひろまさの所ね。……じゃあ、ついでに持っていってほしい物があるのよ。」


俺たちの応答は聞かずに三隹みとりさんは奥に入っていった。どうやら問答無用で持って行かせるつもりらしい。



 横から夏織かおりの声がする。


「このロリコン。」


「おい、今の話の中でそんな要素は無かったと思うぞ。どこでそうなった?」


「良かったじゃない。」


「話が繋がってない。」


和泉いずみんとこに行けば抄俐せりちゃんに会えるわよ。」


「中3はロリじゃない。」


この会話、小1時間前もした気がする。


「そうです。ロリではありません。それとこの歳になって抄俐せりちゃんは恥ずかしいんでやめて下さい。」


店頭の方から声がした。



 蔵里三中のジャージを着た和泉いずみ抄俐せりがいた。あそこの部活は6時までのはずだから、学校帰りに立ち寄ったにしては遅い。

「あら、噂をすれば。」


夏織かおりさん。」


抄俐せり夏織かおりを睨んだ。睨んでいるつもりという方が正しいかもしれない。


 抄俐せりには小動物的な可愛さがある。そのせいか、彼女は怒っていても傍からはそう見えない。ハムスターが全力で威嚇しているようなものだ。三隹みとりさんには、あらあら可愛いわね、とあしらわれてお終いだ。



 ちょうどその時、三隹みとりさんが座敷に戻ってきた。大きいタッパーを2,3個抱えている。ナイスタイミングだ。このままでは抄俐せり夏織かおりによる不毛な争いが始まってしまうだろう。



 抄俐せり三隹みとりさんに気づいて言う。


「あ、三隹みとりさん、届いたと聞いたので受け取りに来ました。」


「ちょうど良かったわ。今、はじめ夏織かおりに届けてもらおうと思ってたのよ。」


三隹みとりさんは夏織かおりに付けた「ちゃん」を強調して言った。



 何が届けてもらおうだ。届けさせるの間違えだろ? そう言ってやりかったが、夏織かおりの方が速かった。


「ちゃんってなんなのよ。ちゃんって!」


夏織かおりがまたちゃぶ台を叩く。このちゃぶ台、いつか夏織かおりに壊されるんじゃないか?


「あら、夏織かおりだって抄俐せりちゃんって呼んでたじゃない。抄俐せりにちゃんを付けて良いのははじめと私だけなのよ。」


三隹みとりさん、抄俐せり夏織かおりによく分からない誤解を植え付けないで下さい。三隹みとりさんが抄俐せりをちゃん付けで呼ぶのは構いませんが、俺を巻き込まないで下さい。」


「あら、根っからのロリコンのはじめらしくないじゃない。」


三隹みとりさん、揶揄うのも大概にして下さい。」


「このヘンタイ。」


夏織かおりがいつものようにジト目で言う。


夏織かおりは乗らなくて良い。」


三隹みとりさん、こうなること、分かってましたよね?


「気持ち悪いです。こんな人が本家にいるんですか。」


今度は抄俐せりが言った。


抄俐せりまで乗らなくて良いから!」


「すみません、つい。」


抄俐せりがテヘッとした。


「そうよそうよ、つい、ね?」


夏織かおりもテヘッとする。



 何故だろう、夏織かおりに関しては無性に腹が立つ。やはりテヘッで誤魔化せるのは小動物可愛い子だけなのかもしれない。


「お前らな……。というか、三隹みとりさん、これ、何なんですか?」


俺はさっきのタッパーを指す。さっさと話題を元に戻そう。こいつらの相手をするのは面倒だ。特に夏織かおりをは悪ノリしやすい。



 三隹みとりさんはタッパーの一つを開ける。佃煮が入っていた。


「Made in アマよ。あなた達がまがりと呼んでいる物で作ったの。」


アマとは、隠り世の住民が隠り世を呼ぶ時に使う単語だ。つまりは隠り世のことである。


「誰が食べるんですか?」


まがりを食べるという話は聞いたことがない。そもそもまがりなんて美味いのか?


「私ですけど?」


抄俐せりの声がした。


抄俐せりが?」


「私は好きなんですけどね。」


抄俐せりが恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻く。普通食べない物であることは自覚しているようだ。


「あら、美味しそうね。」


夏織かおりの声だった。


「あげませんよ。」


「良いわよ別に。そこまで食べたい訳じゃないから。」


夏織かおりは言った。



 しかし俺には分かる。夏織かおりがそういう言い方をする時は、大概食べたい時だ。こいつは「そこまで食べたい訳じゃないもの」には何も言わない。偶で勝手に摘むから、そっちの方が厄介なのだが……。



 夏織かおりもだが、抄俐せり半禍はんかである。食わず嫌いかもしれないが、やはり人間と半禍はんかでは趣味嗜好が若干違うのかもしれない。そんなことを思った。



 抄俐せりが荷物をまとめ終わったのを確認して、俺と夏織かおりも立ち上がった。


「では。」


「ええ、またいらっしゃい。」


三隹みとりさんはまた奥へ入っていった。いつの間にか店は既に閉められていた。


「あ、そうそう、はじめ、ちょっといらっしゃい。」


奥から三隹みとりさんの声がした。


「先行ってて。」


俺は店を出ようとする二人にそう言って、三隹みとりさんの所へ行った。

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