僕の名前は 幸之助

SOUSOU

第1話

白衣に身を包んだ色白の女性を少し遠目で見ながら、どこか青白くもみえるもんだと横目で透は視界を楽しみながら自らも白衣を身にまとった。


「いきましょうか」青白い色が少しづつ温かみの血液を感じさせるようにこちらにちかづく。透は「はい」と答えると女性の後ろを追った。


「梨村先生」後ろから若い看護師の声が響く

白衣の女性は後ろを振り向くと、近づいてきた看護師と何やら話をしていた。

「後でまたその患者さんの様子を見に行くわ」白衣にくっついている「梨村 翔子」という文字が一瞬空気にひらっと同調した。


「また患者の様態が急変したんですか?」透はさほど気にもならない気持ちを悟られないように言葉を発した。

「そうみたいね」翔子はあっさりと返答した。その時に、今度は透の白衣が空気に同調して一瞬舞った。中には着慣れない白のシャツが見える。


内科の女医として翔子がこの病院にきたのは5年前、この病院を選んだというよりも親の意思で将来の実家医院を継ぐためにここに来させられたと言うほうが正直かもしれない。時折、翔子のため息に透は勝手な思考を巡らせていた。

そんな翔子だが、患者の前に立つと、色白な血色が逆にやる気を表現するまぶしさのように丁寧で熱心な診察をする。透は外来診察の翔子の後方に座りながら、メモをとる振りふりをし、翔子の丁寧な診察を身近に感じたくて、時折目をつむっては声だけを聴くなど、少し変わった研修医である自分を客観視していた。


透のモットーは「普通の人間と思われないこと」「変わった人間でいたいこと」だった。

どうしてかわからないが、幼少期から人と比べられ、人と違うと非難されることが快楽だった。少し病気かもしれない、と真剣に精神科にも通ったことがあったが特に異常は指摘されなかった。



「おつかれさま」

「おつかれさまでした」

「今日は患者の数が多かったわね」疲れた翔子は首をぐるっと一回転し、肩の凝りを和らげたいようだった。

「そうですね」透は同調しながらも翔子の声にひたれた時間が長かったことに心地よさをも覚えているほどだった。

「私は今朝の患者の様子をみてくるから、山外先生はもうあがってください」翔子は透にそういうと、顔をみることなく、机のパソコンで今日の書類を作成していた。

透は「はい」というと一礼し、外来の診察室をでた。


山外 透がこの病院に研修医として配属されたのは1か月程前、透の担当を任されたのが30歳になったばかりの翔子だった。いつも翔子のため息には奥深さを感じ、色白い血色に透は寂しさを感じていた。

何故かは自分でもわからなかったが、いつしかそんな翔子に好意をよせていた。


透は「医局」とかかれた部屋に戻ると、自分のロッカーの前にいき、白衣をぬいだ。中には白いシャツが少し汗ばんでいた。透は今日の夜間バイトの時間を確認しようと手帳を見た。そこには「20時~死体洗い」と書いてある。


今の研修医として勤めている病院では外科に所属している。翔子は外科医である。

翔子の父は心臓手術においては名前を知らないものはいない程の有名な外科医である。

そんな父も人間ゆえ、うまくいかなかった手術もあったようだ。周囲に惜しまれながら地元で医院を開業し、内科・外科を中心に診察している。そんな父とそんな父を心から尊敬する母に期待され、翔子は医師という当たり前の道をまっすぐにすすんだ。現役で国立大学入学、卒業、そのまま当たり前かのように外科医となった。父の名声は思った以上に重く翔子にのしかかったが、期待されるまま、翔子は期待に応え続ける腕をもっていた。そんな翔子も5年という外科医時代を難なくこなし、初めて研修医を担当したのが透だった。透は研修をすすめるうちに、翔子の影の部分に妙に惹かれた。恋愛という感情なのか、自分でもよくわからなかった。しかし、いつしか透の興味は研修という事から翔子のどこか寂しげな表情とため息へと変わっていった。そんな翔子がある日、時給の良いバイトをすすめてきた。


「山外先生、こんなバイトどう?   いやよね?」そう翔子はいった。

山外はこの病院がくしくも亡くなった身寄りのない死体を医大生の勉強のために検体として医大に送っている事を知っていた。そんな噂の中でいつしか「死体洗い」という妙なバイトの噂を聞いたことがあった。


「どんなバイトですか?」山外は興味ありげな装いできいてみた。

しばらくして翔子から「死体を綺麗に洗うのよ・・・2時間で5万円なんだけど、いやよね?」こんな言葉が返ってきた。噂のバイトは存在したのか・・・透は普通なら「嫌」という感情がでてくるのかもしれないが、何にも思わなかった、思えなかったのかもしれないが。

「別に嫌じゃないです」透の声に翔子は初めてこちらを向いた。

「そう・・・じゃあ、話をとおしておいてもいいかしら」

「はい」

こんなやり取りをしながらも透の心は翔子の血色の変化に気を取られていた。


そんなバイトの初日は急にやってきた。

「今日、受け取りのない死体があるらしいんだけど、バイトいける?」

翔子の言葉に何も予定のない透は「はい」とうなづいた。


その部屋は思ったよりも明るかった。ミニプールのようなコンクリート製の囲いの中にホルマリンのような液体がなみなみと音を描くように波打っていた。

透が作業着をめくると、右腕に大きな漢字「〆」の字のような傷が浮かび上がった。

その傷は過去の嫌な記憶を蘇らせるものだったが、透は自分の象徴する一部として受け入れていた。

「さあ、」と一言だけ声を発すると透は「引き継ぎ書」と書かれたものをよんだ。そして、液体につけられている遺体を横目でみながら小さなロッカーに手を伸ばした。長い木製の棒がそこにはおさめられていた。その棒の重さは見た目よりもずっと重かった。


部屋の大きさはそんなに大きくない。いうならば25メートルプールに作業着の更衣室から作業用具のロッカーまですべてがセッティングされているようなもんだった。

人も透以外は誰もいない。この気味の悪い部屋に一人きりの割に、透はさほど嫌さを感じなかった。ここでまた「自分は普通じゃない感覚をもっている」と客観的に思えたほどだった。

時計を確認する。教室に飾られているような丸い大きな時計の秒針が異様に響く。

時計は午後10時30分をさしていた。透は右手に持った直径10センチほどある太くて長い棒を両手に持ちかえると、浮いている死体を左右に転がしたり、前後を逆にしたり、体全体がホルマリンのような液体にしっかりと浸かるように何度もかき混ぜた。思っている以上に体力を消耗する。腕が痛い・・・。少し休憩をとろうと、透は隅っこに腰を掛け、死体を眺めた。

「この人間はどんな人生をおくってきたのだろう・・・どんな最期をむかえたのだろうか」

そんな想いを馳せながら死体の表情をうかがう。するとなんだか、表情が変わったようにもみえる。「死体の青白さが翔子の色白と重なる」透はその表情をみながら翔子のことを考えた。「彼女はきっと今の自分がきらいなんだろう・・・お金も学歴もあるけれど自分に納得した人生を送れてはいないのだろう、彼女は最期にどんな表情をするのだろうか・・・」、その時「トントン」とノックの音と同時に年配の男性が入ってきた。どうも守衛の人らしい。その男性は「ご苦労様です。少し時間は早いですがそろそろ・・・と思いまして・・・」と、1秒でも早くこの部屋から出たいかのように話をすると足早にさっていった。透は「ふ~」と一息はくと、太い棒をロッカーに直した。腕の疲れからか、重さが倍以上に感じる。

「お疲れ様でした」そういうと透は部屋をあとにした。


「おはようございます」透は翔子に会釈をした。翔子はパソコンを診ながら「おはよう」と発し、いつもどおり、ため息をついた。


噂で、翔子が教授にお見合いを進められていると最近聞いた。どうも将来有望な外科医らしい。翔子は今までも親の期待に添えて生きてきただろう・・・この歳になっても、教授の意図を組んで期待に応えないといけないと思っているのだろうと透は勝手な想像をした。


今日の外来も患者が多い。

翔子の色白は診察室に置いてはキラキラ光るオーラにもみえる。

どこまでも患者の心に向き合える医師なのだろう・・・そう思わずにはいられなかった。

時は早いもので、透が外科に研修にきてから3か月が過ぎようとしていた。

もう翔子の指導終了も目に見えていた。


「山外先生、3か月間お疲れ様でした。何も大した指導ができなくてごめんなさいね。

なんだか物静かな山外先生からは、自分でもよくわからないけどエールをもらった気がするの。なんていうか、無理しない生き方っていうか・・・あるがままの自分でいいというか・・・締めくくりの言葉がこんな言葉になっちゃったけど、先生には不思議な安心感があると思うから、これからも患者さんに安心感を与えられる医師でいてくださいね」

「・・・はい、ありがとうございます」透は初めて、頬がピンクがかった翔子の笑顔を見た。



翔子は慣れた手つきで癒しを求めるように、飼い猫をなでる。

「私の夢はね・・・」

「私らしく生きてもいいよね・・・」

そんな語り掛ける翔子に猫はいつ時も歩み寄り、賛同するように「にゃ~」と1回鳴く。 そんな猫に翔子は安心する。


翔子が子猫と出会ったのは2年ほど前、雨の中だった。捨てられているのか、道にはぐれたのか、小さなグレーの色の子猫は道端でひっそりと小さな鳴き声を発していた。

翔子はびしょ濡れの子猫を抱き上げると、そのまま自宅に連れて帰って世話を始めた。

今ではすっかり翔子になついている猫・・・それが幸之助・・・


透が外科医の研修医を終えて数か月経過した頃、透の耳に噂が入った。

翔子が精神科医を目指して再度勉強をしているらしいというのだ、教授にも外科医としての腕を見抜かれ、将来を有望された一人の女性・・・しかし女性は思春期から精神科医になりたかったそうだ。親にも言えず、教授にも・・・しかし、翔子は自分と向き合いはじめたらしい。

透は翔子の「ため息と色白」を思い出しては、死体洗いのバイトと重ね合わせ、「最期が満足できそうでよかった・・・」と思わずにはいられなかった。

「推測だが、お見合いも断ったのだろう・・・」、なんだか透は恋する相手に振り向いてもらったかのような気持ちの高揚を感じた。「よかった・・・」と。


今日も翔子は精神科医師という仕事に生き生きと向き合っている。

その表情の印象は「色白」ではなく、「適度に赤らんだ頬」だ。


「幸之助・・・いつもありがとう」翔子は、もう子猫とは言えないサイズの猫の頭をなでる。

その額にはすき透ったような真っ白な傷がある。出会った時からある大きな傷。

まるで漢字の「〆」~しめ~ のような傷。

翔子は優しくその傷をさすりながら幸之助をみた。

その傷は窓の光を浴びて一段と透き通るように見えた。              

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