内在性ネクローシス

I.

 ぱしゃん。開かれた扉から、液状の塊が溢れ出た。決壊したダムのように、私の身体を飲み込んでいく。それが単なる水たまりや雨漏りといった規模のものではない、と知った時には、私の口内は水分で満たされていた。

 ぐるり、ぐるりと身体が反転する。一回転したのだろうか。いや、目の前にある灰色の壁は、地面なのではないだろうか。目まぐるしく統率の取れていない色彩が、次々と視界に表示される。



 時間にして、恐らく数秒だっただろう。吸い込んだものが液体ではないと知覚した瞬間、私は酸素を取り戻したのだと気づいた。

 皮膚に張り付いたシャツを直して、目にかかった髪を払い、眼前にある景色を観た。

 そこは漂流した街であった。そうとしか言いようがない。開け放たれた扉のほぼすべてから、先刻飲み込まれた液体が溢れ出ているのだ。



 家屋、もしくは店舗の中から、それは放出された。そうとしか考えられない。これがただの水であったのなら。水道管が破裂して、屋内が水で満たされて、硝子が割れるようなこともなく、扉を開けたことで溢れ出た。不自然とはいえ、そう考えれば納得もできた。

 しかしこれは水ではない。水は透明に限りなく近い色をしている。足元にしたたるそれを、指先でなぞる。少し粘度があり、仄かに鉄の香りがする。



 ――血だ。

 これほどの量が? 目につくあらゆる場所から、洪水のように? 一体どうして? ただのありふれた街のはずだ。民家が並び、時折なにかの店があって、ほどほどの人口で回っているただの街ではないか。

 一体何が。私はまず、ここへたどり着くまでのことを思い返した――。



 百円玉を落とした時の悲しみ、というのを時々考える。

 それ一枚では、せいぜい駄菓子か飲み物を買う程度しか使いみちがない。しかし、立派に喉を潤し、多少小腹を満たすだけのものと交換できる。そのため、全くもって不必要とは思えない。

 使って無くなるのは当たり前だが、自らの不注意で、もしくは何者かの悪意でそれを失ったとなると、妙な苛立ちを覚える。少なくとも私はそうだ。



 交番に届けよう、だとか、盗んだ相手に報復しよう、とまでは考えない。しかし一分二分程度は、返ってこないだろうかと思案する。

 その程度の痛みを、昨日味わった。机の上に置いていた花が無くなっていたのだ。

 アネモネ。色とりどりの身体で私を癒やす友だ。たしか、枯れてしまったのか。それとも茎が折れてしまったのだろうか。あまり覚えていない。

 私が捨ててしまったのか。はたまた、何者かが取り払ったのか。ここ最近は疲れていたから、家にいる時の記憶が定かでない。

 ただひとつ、今朝まとめたゴミ袋の中には、花弁がひとひら含まれていたのだ。それが何を意味するかはまだ分かっていない。

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