Unknown

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 鉄格子。有刺鉄線。ひび割れた蛍光灯。ただれた内壁。足音だけが響く。時折舞う埃と、埃に似た別の何か。



 長く長く続く通路。永遠とも思える道のりを超えると、光。固く閉ざされた扉の取っ手を示す為の光。それ以上の意味はない。

 そこいらの子供ほどの重さを持つ扉。開け放つと、闇。一転、光はない。その奥。

 少女――訂正、青女。鎖と有刺鉄線にまみれた体躯。頭を垂れ、動かぬ様は眠りについているようにしか見えない。



 事実。半分は正しい。もう半分は、おかしい。それならば彼女は、何故ここにいるのか。

 答え。彼女の呪い。彼女に架せられた呪い。

 覚醒。



 空虚を見る瞳。ぎょろりと上を向く。睨んでいるわけではない。ただ単に、上を見ただけである。

 両手は真っ直ぐ横に伸ばした状態で繋がれ、両足は折り曲げられたまま、立ち上がることすら叶わない。理由――腱を切除されている為。


「あ、あ、あ」


 絞り出された声。声? 呼吸に近い。


「あ、う、うお、あ」


 それは湿り気を帯びてくる。何か、形あるものがせり上げてくるような予感を覚えさせる。


「えぅ」


 吐き出される――通常、想像されるそれではない。れっきとした形あるもの。茨。

 薔薇にでも仕立て上げるのか。茨を吐く。吐く。吐き続ける。彼女の体中にまとわりつき、守るように、しかし茨ゆえに傷つけたがっているように、ぐるぐる、ぐるぐると。


「えぅ」


 また吐き出される――どこの家庭にも置いてあるような、鋏。開かれた状態で。がしゃんがしゃんと、絶え間なく吐き出される。


「えぅ」


 また――今度は石を。この空間を丸ごと舗装せんばかりに、大小様々な石が転がり続ける。


「えぅ」


 次に大量の針を。


「えぅ」


 次いで鳥の羽を。


「……えうぅ」


 そして血を、吐き出し続ける。


 

 これには、普通の人間の普通の反射行動に関しても同じだが、体力を消耗する。

 それ故か、抗いようのない吐血に、彼女の目元からは一筋の涙が見て取れた。それでも、止まらない。



 だからこそ、ここに繋がれている。

 鎖。有刺鉄線。拘束。闇。孤独。嗚咽。永久。

 吐き出されたそれらは、最後には必ず血によって流され、どこかへと消えていってしまう。ただし、「茨」だけはその限りではない。


「薔薇の花が好き?」


 私がそう尋ねても、返事はない。しようがないのだ。そんな余裕なんてない。無いように仕向けられているのだ。

 当然だとも、これを自然現象だとは呼べない。作為的なものだ。何者かによって、彼女はこのような拷問を受けているのだ。



 誰に? 誰もいない、闇と鎖と有刺鉄線が支配するこの部屋の、一体誰にだろうか。

「ねえ、苦しい?」


 顔を覗き込む。涙で濡れたまつ毛。枯れ果てた呼吸音。虚ろな瞳。広がる血の池。徐々に赤く染まりゆく太もも。鼻をつく鉄の匂い。私はそれに酷く高揚感を覚え、つい笑みを浮かべてしまう。だって、とても素敵なんだもの。その壊れそうな風景が、とても美しいんだもの。


「素敵だよ、アゥル」


 頭をぽんぽんと撫でて、背を向ける。


「貴方は二度と、『八月三十一日きのう』の先に行けないんだよ」


 それじゃあね、と手を振る背後で、


「えぅ」


 という呻き声が聞こえた。次は何を吐き出したのか、という好奇心と、わざわざ立ち止まって振り返る労力とを天秤にかけた結果、私はそのまま立ち去る事にした。


「西暦二〇二〇年九月一日、記録完了」

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