II.

 がたん。

 階段の真ん中あたりで、ルナはよろめいた。もともと幅の狭い作りであるから、支えになっていたクラスメイトもまとめて、地面に倒れ込んでしまった。


「大丈夫? ごめんねルナ」


 耐えられなくなったか、私を含むクラスメイト全員が椅子を飛び出し、山積みになった三人の元へ駆け寄る。

 まずクラスメイト二人を救い出し、次にルナを抱きかかえる。彼女は何も言わない。


「しっかり、ルナ、痛かったね、ごめんね」


 まとまりのない心からの悲しみを口々に伝えて、今度はみんなで彼女を運ぶ。

 朽ちた木々が、表面の木くずを零してゆくように。ルナの身体は小さな衝撃でたやすく壊れる。

 慎重に、三年生全員の卒業は彼女にかかっていると言わんほどの緊張の中、壇上へと運ばれる。



 校長のもとへとたどり着き、私達は息を吐いた。苦しい選択ではあったけれど、私達は誰一人欠けることなく、今日卒業を迎える。

 そう思えただけで、ごくありふれた生徒たちである我々は、もう十分に責務を全うしたのだと感じた。

 それを責められる人は、たぶんどこにもいない。彼女を支える手が、ほんの一瞬、離れてしまったとしても。



 がしゃん。

 盆をひっくり返したような音。人って、落ちるとこんな音が鳴るのか。壇上から地面を見下ろし、私はそんなことをまず思った。



 ルナは――支えを失った少女は、いとも容易く地面へ転げ落ちた。

 支えを失った頭部が転がり、機能を失った手足があらゆる方向へ曲がり、悲鳴の一つもなくそこに落ちた。


「ルナ」


 誰かがその名を叫んだ瞬間、私達は立つための力を無くし、壇上で跪いた。

 彼女を、正しく導けなかった。あと少しで「ありふれた卒業式」が終わるはずだったのに。ルナもクラスメイトの一人として送り出せたのに。

 次々に涙を流し、嗚咽を漏らし、誰も何も言えぬまま、冷たい空気の層が空間を支配した。



 ルナは数ヶ月前、事故で亡くなった。悪性のガスを誤って吸引してしまい、ものの数分で絶命した。

 なんの病気もなく、いたって元気に過ごしていた彼女は、干からびた烏賊イカか何かのようにやせ細り、からからに枯れた皮膚を携えて帰ってきた。


「彼女も一緒に卒業させたい」


 それが私達の総意だった。どれほど辛くとも。成功しようと失敗しようと、誰も幸せになれないと分かっていても。

 私達は、ルナのことをクラスメイトとして愛していたから。

 ボンタンを引きずり、行事を荒らす不良がいないように。下らないいじめ――もとい、犯罪行為――を企む生徒もまたいなかった。



 だから不幸なのだろうか。純粋すぎるがあまり、高望みをしてしまったのか。

 まさかこの世で、死体を卒業式に参加させようなんて考える者がいただなんて。後世にはそう笑われるのだろうか。でも少なくとも私達は真剣だった。



 水分を失った髪は、ウィッグのように不自然な動きで舞った。手足はマネキンのように固かった。肌は氷のように冷たかった。呼吸をしない身体は、不気味さすらあった。

 でもそれは、間違いなくルナという少女であったのだ。魂がなくとも、こころが無くとも、私達はそれをルナだと信じて、彼女を運んだ。



 担任は、一言だけ、「みんな、ごめん」と呟いた。

 私たちに? ルナに? それともここにいるすべての人に?



 卒業式という儀式は、未だ再開されない。三十余名の嗚咽の声と、倒れ込みバラバラになった遺体の姿と、渡されることのない卒業証書とが入り混じって――。

 私達は、ありふれた学生生活を、今この瞬間、粉々に破壊した。一人の少女を手放したという記憶で上書きして。


「僕はきっと、後悔すると思う」


 担任の言葉はきっと、本当にその通りになったのだろう。

 しかし私は、少なくとも私だけは、後悔なんてしていない。ルナは、きちんとここに辿りつけたのだから。


「ルナ、行こう」


 もう人としての体を成していない右腕を拾い上げて、私はもう一度階段に脚をかける。ルナ、貴方も一緒に、思い出の詰まったこの世界を卒業しよう。

 一緒に、未来へ歩こう。

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