可逆性クラスメイト
I.
「じゃあ君たちは、本当にそっちを選ぶんだね?」
担任の言葉がずしんとのしかかる。たかが学生、それもありふれた一つのクラスに過ぎない私達には、非常に荷が重い選択だ。
時刻は十八時を回っていた。窓の向こう、反対側の校舎の窓は全て消灯されている。
本来ならば、二時間前には帰宅の途にあったはずであり、部活やらアルバイトやら、各々やるべき事を実行していたはずである。
それでも、誰一人として文句を言わず、誰もが真剣に黒板と向き合い、普段挙手をしない消極的な者も含め、全員で答えを出した。
それはある種の奇跡だったと思う。これほど団体としてまとまった瞬間が、ごく普通の公立校で完成されるだなんて。それだけで賞賛に値する。しかし。
「僕はみんなの気持ちを否定しない。だから今回の決断を止めたりしない。でも」
一度言葉を切って、一回り年上の担任は、ぐるりと教室中に視線を巡らせた。
「僕はきっと、後悔すると思う。心から笑顔で送り出すけれど。後悔なんてしない、と、今はまだ信じているけれど」
卒業式がやってくる。
卒業式というものは、一種のテンプレートだ。
校長の長い話。初めて見るPTAやら役員やらの講話。祝辞。花束贈呈。機械的に行われるそれらに、いちいち価値や意味を考えるものはいない。
それが儀式なのだ。お葬式や結婚式と同じ。信じる信じないではない。そうすると大人になるから、そうすると未来が開けるから、だからそこにいる。
一人ひとりの名が呼ばれ、卒業証書という紙切れが渡されていく。それに異を唱える者がいたとしても、彼らは紙の持つ真意を問うているのではない。それしか否定を示す方法を知らないだけなのだ。
幸い、不良というほどの生徒はいない。粛々と儀式は続き、最後に私達のクラスがやってくる。三年五組。我々の選んだ路を、他のクラスや教員、保護者もまた知っている。
「三年五組、一番――」
名前を呼ばれる。はい、と高らかに返事をする。一人、また一人と席を立つたび、本来ならば「ああ、もうすぐ終わるかな」なんて呑気なことを思う頃だろう。
しかし今年に限っては、皆固唾を呑んで行く末を見ている。三年五組、三十番。その数字へたどり着いた時、私達は誰も見たことのない景色を見ることとなるのだから。
二番。三番。その数は、三年生全生徒という母数から引き算されていくのではなく、これは凄く失礼な言い方なのだろうけれど、断頭台へのカウントダウンに近い意味合いを持っている。
手を合わせる人がいる。席を立って気持ちを落ち着けようとする者もいる。誰もが三十番というごく普通の数字を恐れて、どこか「来ないでくれ」もしくは「飛ばしてくれ」と祈ってしまっている。
しかし、私達の代の最後の点呼をおこなう担任はというと、いたって冷静に、努めていつも通りに、その名を呼んだ。
「三年五組、三十番――」
ルナの名が、静かに告げられた。
どこの世界でも同じだろうけれど、私達は今、パイプ椅子に座っている。当日か先日かに下級生たちがガチャガチャと並べた、随分と固く古びた備品だ。
正直、座り心地は最悪だ。
立ち上がろうとすれば大げさな音を立て、湿気を含んだ床がきゅうっと嫌な声をあげる。
ルナ、と呼ばれた少女は、左右に座るクラスメイトらの手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。
「頑張れ、ルナ」
「ゆっくりだよ」
こういう時、頑張れ、という無責任な言葉以外のものを思いつかない。もっと真面目に国語を学んでおけば良かったのだろうか。それとも、日本語には他者を励ます有益な言葉に乏しいのだろうか。
とにかく、自分が言われれば腹を立てかねないぼんやりとした文字列でしか、彼女の努力を讃えられない。
「ルナ」
「ルナ」
囁くような声で。叫びたいほど軋んだ声で。
一歩。また一歩。彼女は歩をすすめる。歩を進めさせられる。
残酷だろうか。傲慢だろうか。彼女がそれを望んでいるかどうかも分からないのに、さもそれが当人の本心であるかのように、三年五組は彼女の卒業を望んだのだ。
「ルナ、階段に気をつけてね」
左肩を支えるクラスメイトが、ルナに――そして何より、右肩を支えるもう一人のクラスメイトに――穏やかな声色で囁く。
卒業式は静かに行われるものだけれど、この沈黙は最早異常だ。病的と言ってもいい。胃がキリキリと痛み、七割の窒素と一割の酸素は過酸化水素のようにビリビリと爪を立てる。
かつん。かつん。足音が三つ。
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