II.

 ――西暦二〇一五年三月三十一日。あれは午後五時あたりだっただろうか。


「本当に、タイムトラベルしたの」


 そう尋ねた私に、


「もちろん。西暦二〇二〇年八月三十一日。たぶん午後五時くらい」


「何があったの?」


「うーん、見た感じは、あんまり変化なかったかな」


「本当に飛んだの?」


「そう言うだろうと思って、証拠を残しておいたよ」


「どんな?」


「さっき言った日。西暦二〇二〇年八月三十一日の午後五時。私は貴方の頬にキスをする」



 ――それから五年と五ヶ月と四時間五十二分後。私はワンルームのど真ん中にいた。特に何をするでもなく、ベッドのうえでぼうっとしていた。

 クロナは死んだ。どこの誰か分からないとはいえ、『代理人』の実力は多くの人が認めている。

 五百ドルでいいと言われた時には怪しんだものだが、医師協会のbotサービスに問い合わせたところ、彼女の臓器提供の履歴がきちんと出てきた。つまり、少なくとも結末だけは真実なのだ。



 この五年間、あの娘のことは時々思い出していた。学生時代の思い出なんて大して残ってやいないけれど、彼女の顔や言葉、二人で話した未来予想図なんかは、ハッキリと残っている。



 あのタイムマシンは、やはり嘘だったのだろうか。いたたまれなくなって、嘘だと白状する勇気もなくて、それで海外を飛び回って死に場所を探した――と言うと、辻褄が合わなくもない。

 非現実的だ。何より、そんな風に悪く考えたくない。彼女は本当にタイムトラベルをして、何か目的があって海外を飛び回って、たまたま死んでしまったのかもしれない。

 未来は不確定であり、彼女の飛んだ未来は別の世界線のものだったとも考えられる。

 けれど、考えれば考えるほど、完璧な答えを見つけられないでいる。



 ――西暦二〇一五年、三月三十一日。


「タイムマシンってさ、私には使えないの?」


「ごめんね、今は私しか使えない」


「どうして?」


「未来における座標指定が問題なの。何年後のこの日、私はここにいますっていう確信が無ければ失敗するし、違った時にどうなるかまだ分からないから」


 危険な目にあわせたくない、というのが彼女の言い分だった。


「それじゃあクロナは、二〇二〇年に自分がどこにいるか、分かっているの」

「もちろん」

「じゃあ、どこにいた?」

「私は――」



 どうしようもない袋小路に追いやられたように思えて、私は今一度身体を起こした。コンビニでも行こう。何年経っても、便利の権化みたいな役割を担う場所へ。



 特に買うものもないのだけれど、外の空気を吸いたい。そして先ほど知った事実を、早く別の何かで上書きしたかった。

 私はクロナの行方を未だ知らないし、いつかまた会えたらいいな、と思いつつ生きている。そう思い込みたかった。



 エレベーターを降りて、最寄りのコンビニのある方向へ歩き出す。大通りには未だタイヤをつけた車がびゅんびゅん走っていて、騒音を出さないことだけが唯一の変化と言える点だった。

 道行く人の服装も相違ない。見える景色も劇的に変わったわけではない。「未来はあまり変わらない」と言った彼女の言葉がリフレインする。


「あの」


 声をかけられて、背後を振り向いた。一瞬、それがクロナに見えた。しかしよく見ると、確かに美人な女性なのだけれど、彼女のあの病的なまでに整った顔立ちには、到底敵わない。



 が、そんなことはどうでもいい。

 それよりもずっと衝撃的な感触を受け、私の思考回路は熱暴走を起こしそうになった。



 名も知らぬ女性は、私の頬にキスをした。

 入れ替わるように、また別の人が私にキスをした。大して歳の離れていないであろう女性が、次々と私の方へ近寄ってくる。そしてキスをし、何事もなかったようにまた歩いていく。


「西暦二〇二〇年八月三十一日の午後五時。私は貴方の頬にキスをする」


 彼女の言葉がリフレインする。時刻は午後五時ちょうど。あれから五年と五ヶ月と五時間後。偶然ではない。嘘だと思っていた約束が、確かに果たされた。

 そしてもう一つ、あの日の会話を思い出した。



「それじゃあクロナは、二〇二〇年に自分がどこにいるか、分かっているの」

「もちろん」

「じゃあ、どこにいた?」

「私は――」



 私は、いつも貴方の側にいる。

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