遅効性タイムトラベル

I.

「タイムマシンって要ると思う?」


 西暦二〇一五年三月三十一日。彼女は私にそう尋ねた。


「要る、要らない以前に、有り得ないよ」


 たしか私はそう答えた。


「実はね、ハク」


 西暦二〇一五年三月三十一日。あと半日で学生でなくなるというその日。彼女は私に打ち明けた。


「タイムマシン、出来たんだ」


 彼女の吐いた、最初で最後の嘘だったと思う。



 ――西暦二〇二〇年。埃一つないワンルームの真ん中で、私は目覚めた。隣にはハンガーにかけるのも面倒くさがったのであろうスーツと、横に倒れ込んだビジネスバッグ。



 五年と五ヶ月前に学生という素敵な肩書きを剥がされて、私もみんなと同じありふれた荒波にもまれた。

 社会っていうのはいつまで経ってもロクなことがなく、人間関係という欠陥、夢のない日々という不具合は二十一世紀でも健在だ。



 時計を見ると、午前十一時を指している。せっかくの休日も、ほぼ半分が睡眠で浪費されている。寝すぎたか、と身体を起こす。



 ベッドのすぐ脇にあるスマートフォンを取り出し、起動する。この五年間で変わったこと。ちょっと便利な世の中になって、文明の利器はほどほどに進化した。車はまだ空を飛ばない。ホバーボードも靴紐いらずの靴もホログラムの広告塔も存在しない。



 だけれど一つだけ、スマートフォンがキーボードを装備してくれた点だけは感謝したい。

 画面はタッチ一つで拡張され、五インチ程度のものは十インチまで伸びる。液晶は今やスライムみたいに伸び縮みするのだ。

 スタンドに立てれば、机の上にLEDが投影される。三十年間、変わることのないQWERTY式キーボード配列。両手で机を叩けば、そこに表示されているボタンが認識され、入力される。ピアノを弾くような感覚だ。


「クロナは何処に?」


 合言葉のように、SNS上の何者かへ発信する。


「やあハク。随分待たせたが、ようやく情報が出揃った」


 彼、もしくは彼女は『代理人エージェント』という。匿名性が失われつつあるネット社会で、未だに偽名と顔出しNGを貫く人物だ。

 しかし仕事の腕は確かなもので、大抵の依頼はあっという間に解決してくれる。飼い猫の捜索から裏金の洗浄ロンダリングまで、何でもだ。



 一週間と少し前、彼にコンタクトを試みた。依頼内容はひどく幼稚なものだった。


「クロナという女性の足跡を調べてほしい」


 それだけだった。

 年賀状すら電子の世界でやり取りされるご時世だからか、よくよく考えると彼女の住所や連絡先というものをほとんど知らなかったのだ。

 学生時代の記憶と、今はもう使われていない電話番号が数少ない手がかりだった。

 それでも彼――という呼び方に統一しておく――は、


「夏の間に解決しよう」


 と快諾してくれた。そして今日、ついにその答えが明かされるのだ。



「タイムマシンなんて、たかが学生に作れるものなの?」


 ――西暦二〇一五年、三月三十一日。学生最後のお昼時、私は彼女の家でそう尋ねた。


「もちろん、身体ごと飛ばすなんてのは無理だよ。ただ、意識だけを加速させる事はできた。詳しく説明すると二日くらいかかりそうだけど」


 彼女は巨大なヘッドセットを取り出して、自身の頭にはめ込んだ。

 今にも折れてしまいそうな首筋。瞳を閉じると、長いまつげやなめらかな肌がきらきら光る。美しい人なのだ、彼女は。それも病的なほどに。


「車や飛行機なんかと同じだよ。移動する方法が一つ増えた。それだけの話だよ」


 クロナはその時、西暦二〇二〇年八月三十一日――つまり今日、この日にタイムトラベルを果たしたのだと言った。



「君を過剰に悲しませたくないから、先に言っておく。彼女に会うことはできない」


 『代理人』はそう前置きをして、西暦二〇一五年四月一日からの、私の知らない彼女の足跡を説明してくれた。

 ごくありふれた企業へ就職した私とは裏腹に、彼女はフリーのジャーナリストまがいの活動をしていた。



 はじめは国内を、一年後にはアジア諸国、そのすぐ後にヨーロッパへも。ロシア、台湾、パプアニューギニア、オーストリア、フランス、リビア、グルジア、アフガニスタン、トリニダード・トバゴ、キルギス……めったに聞くことのないような国に至るまで、幅広く。



 中には未だ内乱の続く国の名まであった。それらを見ていくと、彼女は徐々に危険地帯へと歩を進めているようにすら見えた。そして、


「西暦二〇一九年三月三十一日、クロナはロシア国境付近で死亡した」


 最後に会ったあの日。タイムマシンを見せてくれたあの日と同じ日付に、彼女は死んでいたのだ。


「どうして日付まで分かったの?」


「彼女はドナー登録をしていた。遺体はモスクワの大病院に運ばれ、臓器提供に遣われたんだ」


 机のうえで、ピアノのように奏でていた指が止まった。かすかに震える指先を、スマートフォンは空気も読まずに認識する。

 ffffffff。熱暴走のように狂い出す文字をまとめて削除し、ゆっくりと文字を打ち込む。


「ありがとう、また後で連絡する」


 そう言うと、彼は「まずは落ち着いて受け入れてほしい」とだけ返した。



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