第3話 逃走劇
うっすらと、ゆっくりと目を開く。
「ん……」
視界がぼやけ、意識もはっきりとしない。
ぼやけた視界で辺りを見渡せば、真っ白な壁や真っ白なカーテン、それと何か機械が確認できる。
ゆっくりとニルヴァーナが首を動かしていると、それに気づいた看護婦が彼に駆け寄る。
「ニ……ん……、……こ……」
ニルヴァーナは、その声ははっきりと聞きとれなかった。しかしなんとなく、首を縦に動かそうとする。
ちゃんと動いたかどうかはニルヴァーナにはわからない。しかし、看護婦は胸元から携帯を取り出し操作し始める。
それからしばらく看護婦が呼びかけ、それにニルヴァーナが応答しようとするのが何回か続く。段々と看護婦の声が聞きとれるようになり、ニルヴァーナも行動がはっきりしてきた頃。部屋の扉が開き一人の男が入ってきた。
「やあニルヴァーナ君。気分はどうかね?」
入ってきたのは、ケイアス。服装は手術前と変わらないが、どこか雰囲気に焦りの色が見える。ケイアスが入ってくると同時に、看護婦がニルヴァーナの腕に何やら注射を打った。
「あ……、え……」
注射を気にせずに、ニルヴァーナは返答しようとしたが口がうまく回らなかった。ケイアスはそれを手で静止すると、続けるように話し出す。
「ああ、うまく話せないなら構わない。私の言っていることは理解できるかな?」
ニルヴァーナは首を縦に振り、肯定の意を示す。ケイアスはそれを見て頷くと、胸元から一つの封筒を取り出した。
「ありがとう。それならいいんだ。ただ、少し状況が変わってね。手短に数点だけ説明させてもらう。簡単にこの書類にまとめてはあるが、一応口でも説明しておこう」
ケイアスはニルヴァーナのそばまで来ると、椅子に腰を下ろす。それからニルヴァーナにもちゃんと聞き取れるように、ゆっくりとした声で話を始めた。
「状況が変わったと言ったね。実は、君の存在が上層部にバレたかもしれない。やはり上層部は、貧困層にマギエをくれるのは反対みたいだ。受付や警備員には言わないよう釘を刺しといたんだが……、どこからか漏れたらしい。そのせいで、予定が数点狂ってしまった」
苛立ちをあらわにする様に、ケイアスは頭をかく。
「まず一つ。君の能力実験を行いたかったんだが、上層部にバレたせいで実験場が使えない。大変申し訳ないが、マギエはこの町を出てから試してみてほしい」
それを聞いて、ニルヴァーナは少し落胆する。すぐにでも自らの能力を知り、その能力を試してみたかったが、それは叶わぬ様だ。とは言っても、この体たらくでは元から難しいだろうが。
「それと、君を送還してあげたかったが、恐らく難しいだろう。私は行動を縛られる恐れがある。それで、だ。今、君には麻酔の症状を緩和する薬を打ち込んだ。あと数分もすれば、話すこともできるようになるし、走ることも可能になってくるだろう」
ケイアスはそれから、考え込むようにこめかみを指で数回たたく。
「ああそうだ、それと最後に。これは事後承諾のようになってしまって申し訳ないが、手術に当たって髪の毛を少し剃らせてもらった。一応合うように小さいかつらはつけたが、申し訳ないね」
ケイアスが申し訳なさそうに軽く頭を下げる。ニルヴァーナにとってはショックだったが、今は気にしている場合ではない。
ニルヴァーナは、軽く右手を動かそうとしてみる。今はゆっくりと握りこぶしを作るのが精一杯だが、腕の感覚が戻るような感じはある。じわり、と血が通っていくような。
「さて、悪いが私はそろそろ去らせてもらう。もう時間もない」
周りの片づけを進めながら、ケイアスはそう言った。そして一度ため息をつくと、ニルヴァーナの手を握って言葉を続けた。
「健闘を祈る。君の能力が見れないのは残念だが、きっと、有意義なものが宿っているだろう。私はそう信じるよ」
握られた手に神経を集中させてみると、段々と感覚が戻っていく気がした。少しずつ感じる体温も高くなっている気がする。
「それではまたどこかで。がんばってくれたまえ」
ケイアスは、そう言って駆けだすように部屋を出た。残されたニルヴァーナは、とにかく考えを巡らせる。
今するべきことは、一刻も早くここを脱出し、アングマールも出ること。そして、なるべく広い土地で能力を試すこと。
これから追手と戦うことになるかもしれないが、そこで能力は使えるだろうか。使い方すらわからないのに、まともに戦えるとは思えない。
ニルヴァーナは一つ息をつき、とにかく体の感覚を取り戻そうとする。あがいてどうにかなるかはわからないが、少しでも早くここを出たい。
もうすでに、足と腕は感覚が戻ってきているようだった。あとは、少しのけだるさが抜けてくれれば、この部屋を出ることができそうだ。
「あろ、看護婦さん」
少し呂律が回らないが、恥ずかしがっている場合ではない。ニルヴァーナは急ぐように言葉を続ける。
「ここから出口までの道、おひえてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん。そこに、出口までの道のりとアングマールから出るための最短ルートを示した地図があるわ。あなたの荷物もまとめて置いてある」
看護婦が指示した方を見ると、中身がほぼ無くなってへたれているリュックと小さな書類が確認できた。
「ところで、どう? 歩けそう?」
そう尋ねられたニルヴァーナは、少し足に力を込める。けだるさも少し抜けてきて、歩くくらいはできそうだ。
ニルヴァーナはゆっくりとベッドから起き上がり、体を軽く動かした。あまり不調はない。これなら、逃げられるだろう。
ニルヴァーナが体を動かしていると、看護婦が慌てたように服を持ってきた。
「さ、これに着替えて。なるべく急いで」
「うわっ、なにこれ」
看護婦が持っていたのは、このビルに入る前、多くの富裕層が着ていた服とよく似ている。ケイアスが着ていた服に飾りを付け、豪華にした感じの服。
「ケイアスさんがくれたわ。この辺りだったら皆着ているし、少なくともこれを着ていれば一目でバレることはないだろう、って」
「あ、ありがとうございます。……でも、ちょっと動きにくそうですね」
「まあ、そんな運動するような服装じゃないからね。最低限の身だしなみよ。あなたが元々着ていた服はそのリュックに入ってるから、アングマールを離れた後にでも着替えてちょうだい。……ささ、早く。時間がないわ」
そう言って、看護婦は押し付けるようにニルヴァーナにスーツを渡した。ニルヴァーナは慌ててなんとかそれを着ていく。シャツも上着も着ることはできたが、ニルヴァーナはネクタイを持って首を傾げていた。
「あ、ネクタイの結び方わかる?」
看護婦がそう聞くが、ニルヴァーナはもう一度首を傾げる。そもそも、ネクタイとはなんだろうか。
「まあ、若いしわからなくても仕方ないわ。貸して」
ニルヴァーナが持っていたネクタイを奪い取ると、慣れた手つきでニルヴァーナに付けていく。その手つきにニルヴァーナは感心しながらも、少し息苦しい感じがあった。
「あの、ちょっと苦しいです……」
「我慢して。後でどうとでもしていいから」
看護婦が、そう言って最後にネクタイを締めた。それから、よし、と短く言うと、ニルヴァーナの荷物を渡していく。
「はいこれ持って、これも。……よし、これで大丈夫ね」
ニルヴァーナは自分の服装を再確認する。着たことも、見たことも無い綺麗な服装。しかし、そこに合わさる小汚いリュックには違和感を拭えなかった。ニルヴァーナは不安そうに看護婦に尋ねる。
「あの、このリュックで大丈夫なんですか?」
「本当はまずいけど、流石に鞄までは用意できなかったらしいわ。その服だって、予備で会社に置いてあったのをわざわざ持ってきたらしいし」
流石に不安が残るが、そういうことなら仕方ない。ニルヴァーナはなんとか納得し、一度大きく息を吐いた。
「それじゃあ、ありがとうございました。ケイアスさんによろしくお伝えください」
「うん、気を付けてね」
にこやかに手を振る看護婦に一礼し、ニルヴァーナは走り始めた。麻酔は抜けている。大丈夫だ。これなら、逃げられるかもしれない。
ニルヴァーナは懐から地図と指示書を取り出し、逃走ルートを確認する。まずは、エレベーターに乗らなければいけないようだ。
「エレベーター……? それって確か……」
あの、嫌な浮揚感のある乗り物。正直乗りたくはないが、窓から見える景色からすると、ここは相当上の階なはずだ。それを階段で降りるのは、ちょっと難しい。
「仕方ない。乗り方は書いてあるし……」
ニルヴァーナはエレベーター前に到着すると、指示書に書いてある通りに、下に行くためのボタンを押した。なんだかそわそわする。それはこれからの逃走劇に対する不安もあるが、エレベーターの恐怖もあるだろう。
鈴の音と共に、エレベーターが到着する。中には誰もいない。
ゆっくりとニルヴァーナはエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押した。その後すぐに扉が閉まり、ニルヴァーナは息を呑む。
そして、ニルヴァーナを襲う浮遊感。
「あー、やっぱりダメだ……」
ニルヴァーナは手すりに必死に掴まり、さっさと一階に着いてくれるのを待った。その願いが通じたかのように、途中で誰も乗ってくることは無く一階へとたどり着く。
無様なところを見られては恥ずかしいと、ニルヴァーナは一息ついて背筋を伸ばした。扉が開き、ニルヴァーナはエントランスへと降り立つ。数時間前に見た景色のはずだが、なぜか景色が違って見えた。
「とりあえず、さっさと出よう……」
ニルヴァーナは小走りで、出口に向かう。それほど遠くはない。すぐに出られるだろう。
しかし、そんな期待は簡単に崩れ去る。
ニルヴァーナの進路を塞ぐ様に立つ、一人の男。ラフで、動きやすそうな服装だが、どこか近寄りがたい。ただ壁にもたれかかっているだけなのに、なぜここまで威圧感が増すのだろうか。
内心、うわ……、と思いながらもニルヴァーナは通り過ぎようとした。関わってはいけない気がする。
「待て」
しかし、案の定声をかけられてしまう。ニルヴァーナはさらに背筋を伸ばし、ゆっくりと振り返りつつ、裏返った声ではい、と返事をする。
その様子を男はちらりと見ると、ひとつため息をついた。
「まったく……。とりあえず、貴様には捕獲および排除命令が出ている。大人しくすれば、そう痛くはない」
「いや、心当たりが……」
「いくらいい服装でも、そんなみすぼらしいリュックを持っていては、身元はバレバレだ。貴様以外に貧困民などおらんだろうが」
図星を指されて、思わずニルヴァーナは黙ってしまう。冷汗がとまらないのを感じていた。
「えっと……」
ニルヴァーナが何か話そうとするのを待つように、男は一瞬目を閉じた。
その瞬間。出口に向かってニルヴァーナは駆け出した。
「見つかるの、早すぎるって……!」
とりあえず路上にさえ出てしまえば、人の目もあることだし少しは安全になるだろう。そう信じ込んで出口までひたすら駆ける。
そのまま振り返ることもせずに走り続けて、残り十メートル、といった距離になったとき。いきなり、目の前にさっきの男が現れた。
「うわ、うわ、うわわ!」
驚愕で変な声を上げながら、なんとかニルヴァーナは立ち止まる。
「まったく……、よくもこんな男を代表にしたものだ、クライスは」
そう言いながら、男は右手を勢いよく横に振った。それと同時に、先ほどまで握られていなかった剣が、男の手には握られていた。
「え、なんで、なに」
「……具現のマギエ。そんなことも知らんのか」
ゆっくりと、男はニルヴァーナに近づいていく。ニルヴァーナは後ずさりするが、それでは結局出口が遠くなる。
「まずい、まずい、まずい……」
小さく、ニルヴァーナは何度もそう呟く。呟きながら後ずさりしていると、椅子につまずき、ニルヴァーナは転んでしまう。
それを見た男は、心底軽蔑するような表情を浮かべた。軽蔑しているのが明らかすぎて、ニルヴァーナは少し悲しくなる。
「まったく……」
男は、つまらなそうに頭をかいた。それのせいで髪が乱れ、ボサボサになってしまう。
「興が乗らん」
そう言い捨てると、乱れた髪を気にすることなく、男はニルヴァーナを素通りしてどこかへ行ってしまった。あまりに突然すぎる展開に、少しだけ動けなくなる。
「え……、助かった、のか……?」
ニルヴァーナがゆっくりと後ろを振り返ると、もうそこには男の姿はなかった。
「まじかよ……」
とりあえず、気を取り直して出口まで行ってしまおう。そう決意して、ニルヴァーナは立ち上がった。
辺りを注意しながら、ゆっくりと歩を進める。先ほどと同じように誰かが立っている感じがしないが、なにが起こるかはわからない。
「大丈夫、かな……?」
出口の自動ドアを開け、周囲をうかがう。いるのは、自分と同じような恰好をした人ばかり。きっと、一般人なんだろう。
ここなら人通りも多いし、そう簡単には襲ってこないだろう。ニルヴァーナは胸元から地図を取り出すと、アングマール脱出までのルートを確認した。
指示書によれば、単純に大通りを行く方法と、裏通りを通って近道する方法がある。
大通りなら人目を気にして襲ってくる確率も少ないだろうが、すぐに発見されるだろう。
裏通りなら、すぐには発見されなくなるが、襲われる確率は一気に高くなる。
「……よし」
ニルヴァーナは、裏通りを行くことを決意した。
大通りを通って仮に逃げおおせたとしても、敵に場所が掴まれていて町の外で襲われては意味がない。それならば、まだ発見されにくい道を通った方がいいだろう。
そう判断したニルヴァーナだったが、正直不安だった。襲われたとして、逃げ切ることができるのだろうか。
「頼むから、誰も襲わないでくれよ……」
微かな願いと共に、ニルヴァーナは駆け出す。時折地図を見ながら、自分の道が合っているか確認する。見慣れない町の、見慣れない道。いつ迷ってもおかしくはない。地図を見ながら走っているのだから少し遅くはなるが、仕方ないだろう。
「えっと、ここを右に……」
ニルヴァーナが警戒しながら次に進む道を確認した時。進む先に、三人の男の姿があった。
小さく悲鳴を上げそうになるがなんとかこらえ、近くの物陰に身を潜めた。
地図を見て、他のルートが無いか考える。一番いいのは、一度戻って回り道をすることか。無理に駆け抜けて逃げようとしても、多分速さでは敵わないだろう。
「バレるなよ……」
静かに、足音を立てないように、身を低くしながら来た道を戻る。足元に転がるゴミを蹴らないように、周りの木箱やゴミ箱を倒さないように。
だが、今ニルヴァーナが着ているのは、逃走には到底向いていない服装だった。身を低くして歩くなんてことをしていれば、何か事故が起きてもおかしくなかった。
「頼むから、転んだりは、しないように……」
小声で願いながら、ゆっくりと進んでいく。少し先に見える曲がり角さえ曲がれれば、きっとなんとかなるはずだ。
「……あっ」
しかし、そんなニルヴァーナの願いなど虚しく、ニルヴァーナはバランスを崩してしまう。事故が起きないように細心の注意を払ってはいたが、もともとニルヴァーナは運動神経がいい方ではなかった。
それに加えて、動くのに適していない服装。ズボンがピンと張ってしまい、まともに踏み出すこともできなかった。
その結果。ニルヴァーナは周りのゴミ箱を巻き込みながら、派手に転倒した。
冷汗が噴き出し、顔が真っ白になる。微かに足が震えているのもわかる。
「なんだ、今の音は!」
「こっちだ!」
後ろの方で、男たちの声と駆け出す音が聞こえる。慌ててニルヴァーナは立ち上がろうとしたが、大きなリュックがゴミ箱に引っかかりすぐに立ち上がることもできない。
「くそっ、ふざけん……、なっ!」
勢いよくリュックを引っ張り、ゴミ箱から引きはがす。何かが破れる音がしたが、気にしてはいられない。
それとほぼ同時。三人組の男が角を曲がって現れた。
「……あいつが、標的の貧困民か?」
「いや、でも服装が……」
「いやいや、リュック見ろよ、ボロボロだぜ」
ニルヴァーナの奇怪な服装に、三人組の男は判断が遅れて少し固まってしまう。それに合わせたように、なんとなくニルヴァーナも固まっていた。
それから数秒ほど、男たちは複雑そうな表情をしながら固まっていた。しかし、その内の一人が意を決したように口を開く。
「いや、まあ、こんなところにいるんだし……、捕まえろ!」
その声と共に、ニルヴァーナと男三人組の逃走劇が始まった。
ニルヴァーナは必死に走るが、その速度はたかが知れている。元から足は速い方でもないのに、着慣れない服が邪魔をする。
「くそっ、くそっ……!」
適当に曲がり角を曲がりながら、とにかく裏通りを駆けていく。もう、地図などみている余裕はない。今、自分がどこにいるかもわからない。
そのまま走り続けて、曲がり角を左に曲がる。その時だった。
前方に、男が一人、立っていた。
その男は、先ほどまで自分を追っていたはずだ。後ろを振り返れば、追手は二人になっている。
「はぁ、はぁ、……くそっ」
先回りされたことに気づき、ニルヴァーナは舌打ちをした。
元から地の利は向こうにあるはずだし、身体能力だって違うだろう。先回りされるのも不思議ではない。
「くそ、こんな狭い道で追わせやがって……、無駄に疲れたぞ」
男たちが、ニルヴァーナに近づいていく。
「裏道担当って聞いたときはハズレ引いたと思ったが……、ラッキーだったな」
「いやあ全くだぜ。まさか仕事が回ってくるとはな」
ニルヴァーナを囲むように、男三人が退路を塞ぐ。周りを見渡してみるものの、抵抗できそうな武器も、逃げる隙間もありそうにない。
「ん……? むしろ、なんで仕事が回ってきたんだ?」
「え? あー、そういやそうだな。確か、本社でハルベルトが捕まえる手はずだったような」
「ほら、ハルベルトは適当だしよ。またつまんない理由で見逃したんじゃねえか? あいつは弱いものいじめは基本的に嫌がるし。俺らがこんなところに配備されたのだって、ご主人がかけた保険みたいなもんだろ」
「ああ、なるほど」
男たちが雑談を交わす中、ニルヴァーナは男たちを観察する。
一人は屈強そうではないが、身のこなしは速そうな金髪の男。頬に大きな刺青を入れており、威圧感を漂わせる。
もう一人は長い髪を後ろでまとめた男。金髪の男に比べて威圧感はないが、腰に下げた刀が気にかかる。
そして先ほど先回りしてきた、赤い髪の男。顔のところどころに開けたピアスは少し恐ろしかった。
全員真面目そうには見えず、この町には正直似合わない。警備隊には見えないために、なぜこの男たちが自分を追っているのかも、ニルヴァーナはわからなかった。
全員マギエを使うのであろうが、この人数差では、どの道敵わないだろう。それに、ニルヴァーナはマギエの使い方も、自分の能力についても何も知らない。
「さて、と。そろそろ連れてくか。ご主人も待ちくたびれてるだろ」
「そうだな。……大人しくしてろよ。これ以上面倒ごとを増やすんじゃねえ」
金髪の男が、少し警戒するような足取りでニルヴァーナに近づいていく。
絶望的な状況の中、ニルヴァーナは考えていた。どうすれば、能力が発現するのか。手でもかざせばいいのだろうか。それとも、体のどこかに意識を集中させればいいのだろうか。
試しに自分の手のひらに意識を集中させてみるが、変化が起きそうな気配はない。他の部位でもそうだった。
そこで、ニルヴァーナは意を決したように右手を金髪の男に向けた。フェイントの意味を込めてではあったが、何か起きてくれることを願ってでもあった。
金髪の男は一度警戒し、後ずさる。長い髪の男と赤髪の男も、同様に後ずさった。
しかし、何も起きない。
ニルヴァーナが願っていたような、電撃や火炎を発することはない。かといって何か武器を生成したりもせず、防御系の能力の気配も見られない。
「なんだ、何も起きねえぞ……?」
金髪の男が疑うようにニルヴァーナを睨みつける。
一方、ニルヴァーナは少なからず動揺していた。なぜ、何も起きないのか。なぜ、何も起こってくれないのか。
多くの理由を考える。自分の使い方が間違っているのか。現在の状況に適していない能力なのか。敵に使うようなものではなく、自分に使うタイプなのか。それとも、味方がいれば、その時に使うような能力なのか。
いくつも理由を考えていくが、一番納得のいく理由があった。しかし、ニルヴァーナはそれを認めたくなかった。それだけは、認めてはいけない気がした。
「ただのフェイント、か……?」
赤髪の男が、そう呟く。ニルヴァーナは、そんなこと聞いてはいなかった。
ニルヴァーナの思いついた一つの理由。
それは、ケイアスが自分に能力を与えなかったから、ということ。
大金だけむしり取っておいて、実際に自分に手術はしなかったのかもしれない。それならば、能力が使えないのもうなずけるし、十分に有り得てしまう。
しかし、だからこそニルヴァーナは認めるわけにはいかなかった。貧困民に与えられたはずの希望さえも、富裕層は打ち砕くのかと。ニルヴァーナは認めたくはなかった。
ニルヴァーナの体は怒りと、悲しみと、悔しさに震えだす。
「……くそっ!」
所在なくかざされたままだった右手を、近くの壁に打ち付ける。右手に痛みが広がるが、気にすることもない。
三人の男たちは一瞬驚くが、そのまま動かないニルヴァーナが能力を使わないことを悟ると、少しずつ後ろに下がっていった。
「こいつは何をするかわからねえ。俺の能力で、一度気絶させる」
そう言って、金髪の男が右手をかざす。すると、男の右手を覆うように雷が生じていき、辺りが少し明るくなった。
これが、俺の望んだはずの、マギエか。ニルヴァーナはそう思いながら、恨むように男の右手を見つめる。自分が望んだマギエは、こんなにも明るく、醜いものだったのか。
「とりあえず、これで眠っててくれ」
男は、一度右手を振りかぶる。そのまま、ニルヴァーナの体に当てるつもりなのだろう。
ニルヴァーナはすべてを諦めたように目をつぶる。それと同時に、ニルヴァーナの頬に一筋の涙が流れた。
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