第16話『キス』
午後7時半過ぎ。
途中、コンビニでお菓子を買ってようやく自宅に帰る。
「ただいま~」
自宅の中に入ると、リビングの方からメイド服姿の美来と桃花ちゃんが僕のところまでやってきた。
「おかえりなさい、智也さん!」
「おかえり、お兄ちゃん」
「……た、ただいま」
美来は見慣れているのでまだしも、桃花ちゃんまでメイド服姿だと、まるでメイド喫茶に来たような感覚だ。ちなみに、美来は夏仕様のメイド服を着ていて、桃花ちゃんは長袖のメイド服を着て肘くらいまで袖を捲っている。
「2人とも似合っているね」
「お兄ちゃんがそう言ってくれて良かった。まさか、こんなところでメイド服を着ることができるとは思わなかったよ」
「普通は家で着る機会はないよね、メイド服は。メイド喫茶でバイトをしているならまだしも」
「そうだね。でも、お兄ちゃんがメイド服好きだなんて思わなかったよ。美来ちゃんと2人きりか、月村さんと3人で家にいるときは着させているんでしょ?」
「そんなことないけど。いつも、僕が何も言わずとも着ているじゃないか。何を間違ったことを教えているんだい、美来」
「だって、私のメイド服姿が可愛いと言ってくれているじゃないですか」
「……可愛いのは事実だね」
ただ、休日に2人でゆっくり過ごすときは美来がメイド服を着るのはお決まりになっているし、家で美来のメイド服姿を見ると落ち着く。否定したところで意味がないような気がしてきた。
「美来、2人きりで話したいことがあるんだ。すまないけれど、桃花ちゃんはリビングで待っていてくれるかな」
桜花駅で仁実ちゃんと会ったこと……美来だけに話した方がいいだろう。
「うん、分かった。夕ご飯はバンバンジーだからゆっくりと話して大丈夫だよ」
「おっ、バンバンジーか。まだ暑い日もあるからいいよね。僕、好きなんだ。じゃあ、美来……ちょっと寝室に来て」
「分かりました」
僕は美来の手を引いて寝室まで連れて行く。
「もう、どうしたんですか。私と2人きりで話したいなんて」
寝室に入った途端、何を考えているのか美来は頬を紅潮させてニヤニヤとし始めた。
「あっ、それって桃花さんに対する口実で、実際は私とイチャイチャしたいんですか? 桃花さんが来てからあまりイチャイチャしていませんし。声が出ないように頑張りますから、一度だけしちゃいますか?」
美来は僕のことをぎゅっと抱きしめてくる。やっぱり、美来の温もり、柔らかさ、匂いを感じると家に帰ってきたんだなって安心するよ。
「欲が溜まっているのは事実だけど、桃花ちゃんが帰ったら思う存分にしようよ」
「……智也さんがそう言うのであれば。でも、今言ったこと、約束ですよ」
「もちろん。それで、本題に入るけれど、いつもよりも帰りが遅くなったのは、桜花駅で仁実ちゃんと会ったからなんだ」
「えっ、仁実さんと会ったんですか?」
「うん。改札前で僕が帰ってくるのを待っていたらしい」
「そうですか……」
すると、美来は僕のベストをクンクンと嗅ぎ始める。ど、どうしたんだろう?
「……智也さんの着ているベストから女性の匂いが感じられます。確かに、この匂いは……今日、彼女の部屋で感じた匂いと同じものですね」
「ベンチに座ったとき、彼女……とても近かったからね。昔と同じ感覚だったのか」
というか、匂いをかぎ分けられるなんて凄いな。まるで警察犬みたいだ。
「それで、仁実さんと何をしていたんですか? 私だけに話すってことはまさか、告白されたり、キスされたりしたとか……」
「幼い頃に抱いた恋心が今もあるって感じだったかな。直接好きだとは言われなかったけれど、彼女の言葉からそれは分かったよ」
「何ですって! ……私も仁実さんのお家に行ったとき、彼女が智也さんのことを今まで出会った男性の中で一番素敵で、智也さんのことを想うと心が温かくなるとは言っていましたが。私がいるので、智也さんと付き合いたいとは思っていないようです」
なるほど、僕への想いは美来や桃花ちゃんにも話していたということか。しかし、美来を相手によく話せたな、仁実ちゃん。
でも、あのときの仁実ちゃんの様子からして、僕への想いを話しても美来は落ち着いていたんだろう。もしかしたら、彼女の話を聞いたとき、美来は有紗さんのことを思い浮かべたのかもしれない。
「智也さんのことが好きであると受け取れる言葉を言われただけですか?」
「……去り際に、仁実ちゃんから額にキスされました」
「えっ? 何ですって? キスされたって聞こえたような気がしましたが、気のせいでしょうか?」
「……間違いなくキスされました」
「ま、まさかそんなことが。油断できない方が1人増えたということですか……」
美来はかなり鋭い目つきになる。本当は僕と付き合いたいと思っているんじゃないか……とか思っていそうだ。
「額へのキスはきっと、僕への想いに区切りをつけるためだったんじゃないかな」
「実際にそうだったのかは分かりませんよ! 智也さんのことが大好きだからこそしたキスでしょうし! 仁実さんとは連絡先を交換しましたので、今すぐにでも尋問しましょうかね……」
このままだと仁実ちゃんが危ない!
「ちょ、ちょっと待って! 美来に話したいことはそれだけじゃないんだ。仁実ちゃんは僕に抱いたような想いを桃花ちゃんにも抱いているんだって」
「えっ? 本当ですかぁ?」
「多分ね。これもはっきりとは言わなかったけど、桃花ちゃんのことが女性として好きになっているのは確かだと思う。桃花ちゃんと今日、ひさしぶりに会ったら今までのように幼なじみや親友ではなくて、一人の女性にしか見えなかったって言っていたから」
「……なるほど。数ヶ月会っていないことで桃花さんへの想いに変化があったということですか」
すると、ようやく美来は落ち着いた表情を見せる。良かった、どうやら僕の言葉を信じてくれたようだ。一時はどうなるかと思ったよ。
「じゃあ、智也さんは仁実さんから恋愛相談を受けたということですか」
「そんな感じになるかな。もちろん、彼女も僕の誤認逮捕の件で心配していたから、美来や桃花ちゃんから僕がここに住んでいることを知ったことで、一度、僕と会いたかったっていうのもあると思うよ」
「なるほどです」
「仁実ちゃんの言葉を借りると、桃花ちゃんに友情を越えた感情で繋がろうとすると、これまでに築いてきた関係が壊れてしまうかもしれないと不安になっている」
「幼い頃からずっと親友ですもんね。そこからさらに深い関係になることは、意外と勇気が要ることなのかもしれません。同性であることも不安になる理由の一つなのかも」
「なるほど、女性同士っていうところですか……」
今の日本だと、結婚することなど異性でのみ認められることは多いし、同性愛について偏見を持つ人もまだまだいる。
「でも、仁実さんが不安を抱く必要はないかと思いますけどね。桃花さんは仁実さんのことが大好きで、彼女に告白すると決めましたから。好きだという想いを仁実さんにちゃんと伝えたいと」
「……それを美来からのメッセージで知っていたから、仁実ちゃんには桃花ちゃんの言葉を聞いてあげてほしいって言っておいたよ。もちろん、好きだとかそういうことは伏せておいて」
「それでいいと思います。あとは桃花さんの告白待ちですね」
「うん。相手に好意を抱く、という意味では2人の気持ちは見事に重なっている。きっと、桃花ちゃんが想いを伝えれば、2人は大丈夫だと思っているよ」
「私も同じ考えです」
僕と美来はそんな2人のことを引き続き見守ることにしよう。
「……それにしても、何もなくて良かったです。額にキスされましたけれど。本当に……智也さんはモテるんですから。私が知らないだけで、智也さんに恋心を抱く人はたくさんいるんじゃないですか? 何だか不安になっちゃいますよ……」
仁実ちゃんの話を聞いていて、僕が実際に彼女と会っていたことを聞いたら美来が不安になってしまうよな。それに加えて、額にキスされたことを知れば。
今の美来を安心させるには……やっぱりこうするしかないか。
「美来」
「えっ?」
僕は美来のことを抱き寄せて彼女にキスする。唇が触れたことで、今までに溜まっていた欲が解放され始め、僕は強引に美来と舌を絡ませていく。
「んっ……」
美来の甘い声と舌が絡むときの厭らしい音が部屋の中に響き渡る。桃花ちゃんが来てからキスさえも全然していなかったので、美来とこうしていることが普段以上に幸せに感じる。
どのくらいの間、キスしたのかは分からないけど、唇を離したとき、美来はうっとりとした表情で僕のことを見つめていた。
「智也さんはたまに私の想像以上のことをしてくれますよね。そういうときって、イチャイチャをしているとき以上に気持ち良くて、キュンとなっちゃうんですよ……」
そう言うと、美来はとても嬉しそうな表情を浮かべた。
「そう言ってくれて良かった。ただ、僕は美来が一番好きだっていうことを態度で示したかったから」
「そうだったんですね。……2人きりなら、ここでちょっとイチャイチャするところですが、今は桃花さんをリビングで待たせている状態ですからね」
「……あっ、すっかり忘れてた」
「もしかして、話しに夢中になっていて、桃花さんが家にいることを忘れていたんですか? もう、智也さんったら」
美来と2人きりで話し込んでいたから、リビングで僕達を待っている桃花ちゃんの存在を忘れてしまっていた。
「見られてはいないと思うけど、見ていたらどうしようか」
「私達の関係は分かっているんです。頑張ってお仕事をしてきたご褒美に、私と熱いキスを交わしたと言えばいいんですよ」
「……そうだね」
一昨日は桃花ちゃんがお風呂から出てきたら、慌ててキスを止めたのに。今の美来に怖いものや恥ずかしいものはないのかな。
何にせよ、美来がここまで元気になってくれて良かった。どうやら、キスという形で想いを伝えるのが一番だという僕の考えは合っていたようだ。
「では、私はリビングに戻って夕食の用意をしていますね」
「うん。着替えたらすぐに行くよ」
美来はメイド服のスカートを大きく揺らしながら、寝室を出て行くのであった。
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