第15話『ひとみ』
結城仁実ちゃん。
僕の従妹の桃花ちゃんと同級生で、僕が桃花ちゃんの家へ泊まりに行ったときは大抵、仁実ちゃんと3人で遊んでいた。
もう、最後に会ってから10年以上経っていると思う。美来よりも背が高くて、体つきも女性らしくなったけど……仁実ちゃんらしさが感じられるのは、デニムにTシャツというラフな恰好と、昔から変わらない茶髪のポニーテールだからだろうか。あと、小さい頃と同じように僕のことをトモくんと呼ぶこととか。
「どうしたの、あたしのことをじっと見ちゃって」
「久しぶりに会ったから。随分と……大きくなったね」
「そういうセリフを言うなんて、トモくんもすっかりとおじさんだね」
「僕は先月24歳になったばかりだよ。四捨五入してもかろうじて20歳だ」
と言ってはみたものの、美来という16歳の女の子と一緒に過ごすようになってから、自分がやけにおじさんになった感じがするのも事実。あと、四捨五入してかろうじて20歳と言ってしまったことで、おじさんとしての第一歩を踏んだ気がした。
でも、昔は小さかった女の子が、こんなにも大きくなった姿を見ると、その感動を口にしたくなるのだ。
「その姿だと、トモくんも立派な社会人か。その恰好、よく似合ってるよ」
「ありがとう」
「……トモくんも随分と大きくなったよ。スラッとしてイケメンになって、こういったベスト姿が似合う大人になったんだなって。大人としての色気が出始めたよ」
「色気ねぇ。ただ、10年とか経てばお互いに変わるよ。特に見た目は」
仁実ちゃんも桃花ちゃんは当時小学生だった。2人とも、いい意味で変わるところは変わって、変わらないところは変わっていないようだ。
「とりあえず、ここにいると他の人の邪魔になっちゃいそうだから、近くにゆっくりできるところがあればいいんだけど……」
「じゃあ、大学側の出口を出たところに、ちょっとした広場があるからそこに行こうか」
「分かった」
僕は仁実ちゃんの後をついて行く形で家とは反対側の出口に出る。こちら側の出口に行くのは初めてなので何だか新鮮な気分だ。
途中で僕は缶コーヒーを買って、仁実ちゃんにはカフェオレを買ってあげた。そういえば、桃花ちゃんが持ってきたアルバムやホームビデオの中にいた僕らは、まだコーヒーは飲めなかったな。
「ここだよ、トモくん」
「へえ、こっち側にはこういうところがあるんだね」
仁実ちゃんの言うように、駅の近くに広場があった。その中にあるベンチに、僕と仁実ちゃんは隣り合って座った。
「それにしても、トモくんがこの近くに住んでいるなんて」
「20日くらい前に引っ越してきたんだ。ここに引っ越して良かったなって思っているよ」
「そっか。あたしも……紅花女子大学の近くに住んでいるけれどいいなって思ってる。トモくんの場合は、美来ちゃんっていう結婚前提に付き合っている彼女と一緒だからっていうのもあるんじゃないかな?」
「そうだね」
美来がいればどこでも幸せに暮らせると思うけど、それを考慮せずとも桜花市はいい場所だと思っている。
「今日、美来や桃花ちゃんと会ったんだよね。僕と美来の家が桜花にあるから、紅花女子大学に通っている仁実ちゃんに会いたいって桃花ちゃんが言っていたからさ」
「やっぱり、トモくんは知っていたんだ」
「ああ。それに、2人と会っていなかったら……さっきみたいに、駅の改札近くで僕のことを待っていないでしょ?」
「……うん」
仁実ちゃんははにかみながらカフェオレを飲んだ。それにつられて僕も缶コーヒーを飲む。こういうところで飲むコーヒーもいいな。
「しっかし、トモくんにあんなに可愛くて美人な恋人がいるなんてね。しかも、将来的には結婚するなんて。驚いたよ」
「……自慢の恋人だよ。僕にとって、ずっと側にいてほしくて、なくてはならない存在になってる。何よりも、大好きな人だからね」
きっと、美来は同じような気持ちを10年前に僕にプロポーズしてくれたときから、ずっと抱いていたんだと思う。だからこそ、僕のことを必死に探して、僕を見つけてからは16歳になるまでずっと陰で見守って……今年、僕と再会し2度目のプロポーズをした。
「最後に会ってから、トモくんには色々なことがあったんだね」
「いいことも悪いこともたくさんあったよ」
「誤認逮捕もあったもんね」
「……そうなんだよ。あの事件のせいで、未だに電車や道端で変な目で見られることがあるし、会社でも色々言われることがあるんだ……」
そういう意味では僕の誤認逮捕事件はまだ終わっていないのかも。これからも一生続き、僕が亡くなってからも氷室智也という人間は犯罪者のように語られるかもしれない。本当に彼らはとんでもないことをしてくれたよ。
「ごめん、辛いことを思い出させちゃって……」
「いいよ。僕を信じて無実であることを証明してくれた人達がいることも分かっているから。美来もそのうちの一人。それに、仁実ちゃんは僕の誤認逮捕を知ったとき、桃花ちゃんと連絡を取り合ったんでしょ?」
「うん。さすがにショックを受けたみたいで。信じられない気持ちでいっぱいになったとも言ってた。あたしは赤の他人だけど、モモちゃんは親戚だから、学校とかでいじめられていないかどうか心配になって連絡したんだ。でも、苗字が違うからか大丈夫だったって」
「いじめとかはなかって本人から聞いた。本当に桃花ちゃんが辛い目に遭っていなくて良かったよ。あと、仁実ちゃんにも心配掛けちゃったね。本当にごめん」
テレビやネットで大きく報道されたこともあって、たくさんの人に心配を掛けてしまった。親戚には両親が僕の無実を報告してくれたみたいだけど、何かの機会に僕自身からもちゃんと言わないと。
「気にしないでいいよ。それに、悪いのは犯人達と警察関係者、それに間違った情報を鵜呑みしてトモくんを叩いた人達なんだし」
「……ありがとう」
「あのときに、何もできなかった自分が悔しかった。でも、無実であることが証明されたことを知って本当に安心したんだ。警視庁前で話をしていたトモくんは立派で、昔の面影もあって涙が出た。またトモくんと会いたいなって思ったんだ。でも、今日……モモちゃんと美来ちゃんが会いに来て、美来ちゃんがトモくんと結婚を前提に付き合っていることを知って悔しくなった」
「仁実ちゃん……」
気付けば、仁実ちゃんの眼が潤んでいて、顔がかなり赤くなっていた。街灯の明かりだけでもそれははっきりと分かった。そして、何を想っているのかも。
「……うん、そういうことだよ。でもね、2人に会ったことで、同じような気持ちをモモちゃんにも抱いているんだなって分かったんだ」
「桃花ちゃんに?」
「うん。モモちゃんとは高校までずっと一緒にいて。こんなにも長い間離れたのは今回が初めてで。だからなのかな。それまでは幼なじみで親友の女の子だったのに……今日、モモちゃんの顔を見たら、一人の可愛らしい女性にしか見えなかったんだ……」
幼なじみで親友の桃花ちゃんから、一人の可愛らしい女性にしか見えなくなったか。それはきっと、5ヶ月の間に生じた仁実ちゃんの気持ちの変化の表れだろう。
「そっか。そんな風に変わったってことは、桃花ちゃんに対する想いが変わっていったって証拠なんじゃないかな。桃花ちゃんが一人の女性に見えたことで、今までよりも心は温かくなった?」
「……凄く温かくなった」
「じゃあ、きっとそれはいい変化だね。今抱いているその気持ちは大切にした方がいいと思う」
きっと、仁実ちゃんと桃花ちゃんの未来はとても明るいものになるだろう。今の仁実ちゃんの笑顔を見てそう確信した。
「でも、恐いな……」
仁実ちゃんは独り言のようにそう言った。その言葉を境に、さっきまでの温かな笑顔から寂しげな笑みへと変わっていく。
「恐いか……」
僕がそう呟くと、仁実ちゃんは聞き逃さなかったのかコクリと頷く。
「幼なじみとか親友っていう関係だからこそ、今までモモちゃんと仲良くできたような気がして。もし、友情を越えた感情で繋がろうとしたら、あたしは……モモちゃんを幸せにする自信がなくなっちゃうよ」
きっと、仁実ちゃんは友情を越えた感情で繋がることは、友情によって築いてきたこれまでの関係を賭けなければならないと考えているんだろう。より深い関係になることができればいいけど、下手したら桃花ちゃんと離れていってしまうことになると。
「幸せにする自信があることに越したことはないけど、一番大事なのって相手を想う気持ちなんじゃないかな。桃花ちゃんのことを考えるととても心が温かくなるって聞いたとき、僕は大丈夫だと思ったよ」
「でも……」
「仁実ちゃんも知っているように、僕は誤認逮捕された。その罪状は美来に対してわいせつ行為をしたことになっていたんだ」
「えっ……」
「もちろん、そんな事実はない。でも、あのとき……真犯人達が美来と僕を引き裂こうとした。そのときはまだ美来と付き合う前だったんだけれど、僕は美来を幸せにできないんだろうなって思うこともあったんだ」
本当にあのときは辛かった。何もやっていないけれど、気付かない間に美来を傷つけていたのかなと。あと、美来に寂しい想いをさせてしまったことが一番心苦しかった。
「でも、今はちゃんと……」
「僕の友人や知り合い、そして、誰よりも美来自身が僕を無実だと信じてくれたんだ。といっても、美来は当事者だけれどね。ただ、美来が無実だと主張してくれたから、僕は何とか頑張ることができたんだ。無実で誤認逮捕されたことも証明された。そして、真犯人を捕まえて全てが終わったときに、僕は美来が側にいない未来が考えられないって分かったんだ。美来のことを想うと凄く心が温かくなるって。それに気付いたときにはもう、美来のことが大好きになっていたんだよ」
僕は美来のプロポーズを受け入れて、今に至るというわけだ。あの事件の余波で今も苦しい想いをすることがあるけど、美来がいるから頑張れる。もちろん、有紗さんや羽賀、岡村などの周りの人達の支えもあってのことだけど。
「離れてしまうかもしれないときは、しっかりと考えて、話し合えば何とかなるものじゃないかって思っているよ。それに、心細いときには今みたいに僕に相談していいからさ」
「……うん」
それに、桃花ちゃんは仁実ちゃんのことが大好きなんだ。2人の気持ちは既に重なっている。彼女の抱く悩みが杞憂で終わると、きっとすぐに分かることだろう。
「しばらく、桃花ちゃんは僕の家にいるし、彼女と会う機会はまだあると思うよ」
「……そうだね」
「そのときは彼女の言葉を聞いてくれるかな」
桃花ちゃんの想いは知っているけど、彼女自身が告白するつもりでいるんだ。僕が言うことじゃない。
「どうして、モモちゃんの言葉を? もちろん、聞くつもりではいるけど……」
「ほら、こんなにも離れるのは今回が初めてだって言っていたじゃない。仁実ちゃんのように、桃花ちゃんにも色々と想うことがあるんじゃないかと思って」
「ああ、そういうことか」
危ない、桃花ちゃんの想いを察されたのかと思ったよ。一瞬、ヒヤリとした。
「急だったのに今日はありがとね、トモくん」
「僕もひさしぶりに仁実ちゃんと会えて良かったよ。でも、まさか桜花市に住んでいたとは思わなかったな」
「あたしもだよ。トモくんが近くにいると思うと安心するよ。これからもたまに会いに行ってもいい?」
「もちろん」
とは言ったけど、実際の決定権は美来にある。ただ、桃花ちゃんを泊まらせているくらいなので、仁実ちゃんが遊びに来ることくらいは許してくれるだろう。
「じゃあ、あたしそろそろ帰るね」
「うん。1人で大丈夫? 途中まででも送っていくけど」
「大丈夫だって。それよりも、トモくんは早く家に帰ってあげて。待っている人がいるんだからさ。あと、連絡先を交換しようよ」
「分かった」
連絡先を交換してベンチから立ち上がった瞬間、仁実ちゃんは僕の額にキスをしてきた。
「……じゃあ、またね」
仁実ちゃん、とても楽しそうな笑みを浮かべて手を振ると、僕の元から離れていった。最後にキスをしてくるなんて。仁実ちゃんも大人になったんだな。
「あっ、もうこんな時間か」
仁実ちゃんと話し込んでいたら、もう7時15分くらいになっていた。美来には定時退社できるって言ったから、きっと心配しているだろうな。今のことを隠しても意味ないし、帰ったら美来には話すか。どんな反応をされるか恐いけど。
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