第7話『口噛み珈琲』

 朝食を食べ終わった後、僕が後片付けをする。何事も最初が肝心と言うけれど、早くも美来が食事を作って、僕が後片付けをする決まりができたかも。


「すみません、後片付けをさせてしまいまして」

「気にしないでいいよ。それに、美来は料理を作ってくれて有り難いと思っているし。一人暮らしだと、全部自分でやらないといけないからね。だから、このくらいのことは」

「それでも、智也さんが後片付けをしているところを見ているだけなのは何だか申し訳ない気分です」

「……じゃあ、洗ったお皿とかを拭いてくれるかな」

「はい!」


 僕から仕事を与えられたのが嬉しいからか、ウキウキとした美来は僕の横で皿を拭く。

 考えてみると、職場では僕は今でいう美来の立場なんだな。彼女のようにウキウキはしてないけれど。有紗さんにやるべきことを教えてもらって、それを一生懸命にやっていく。いずれは僕が有紗さんのような立場になるんだ。そういう意味でも、年下の美来と一緒に過ごすのはとても有意義なことなのかもしれない。


「何だか、こうしてキッチンに並んで立っていると、まるで夫婦のようです」

「色々な場面で夫婦だと感じる瞬間があるんだね」

「当たり前です! だって、愛しい人の側にいるのですから。智也さんもそう思う瞬間はないんですか? 大切な人の側にいるんでしょう?」

「そ、そうだなぁ……」


 美来のことが大切、という素直な気持ちを伝えたときには何とも思わなかったのに、美来からそのことを言われるとちょっと恥ずかしい気持ちに。


「あっ、智也さん、頬が赤くなってる」

「朝ご飯を食べたから体温が上がっただけじゃないかな」

「ふふっ、本当にそうなんでしょうかね?」

「普段はほとんど食べないから、きっと……」

「ふふっ、智也さん、可愛いです」


 可愛いなんて言われたの、幼稚園以来なかった気がする。ううっ、10個近く年下の女の子に遊ばれてしまっているな。


「まあ、夫婦っていうよりも、美来は家族みたいな感じかな」

「家族ですか。それって夫婦ってことじゃないですか!」

「ポジティブだな!」

「もぅ、夫婦っていう言葉が恥ずかしいから、私のことを家族と言ってくださるなんて本当に幸せです……」


 そう言って、お皿を持ちながらうっとりとした表情で僕のことを見ている。お皿を落とさないといいんだけれど。


「言っておくけど、家族っていうのは妻じゃなくて妹みたいだって意味だからね」

「……妹ですか」

「こんなに可愛い妹がいたらどれだけ良かっただろうって思うよ」


 美来と再会するまでの10年間、美来のことを思い出すとたまにそんなことを考えていた。兄弟や姉妹が1人もいないから。


「でも、智也さんの妹ならいいかもですね。お兄ちゃんってずっと甘えちゃうかも。そんな私には妹がいるのですが」

「そうなんだ。美来はお姉さんなんだね。だからしっかりしているのかな」

「いえいえ、そんな……」


 美来は照れている。

 そっか、美来はお姉さんなのか。10年前に遊園地で美来と出会ったとき、美来の母親は赤ちゃんを抱いていなかった。つまり、


「妹さんは小学校に入学したくらいなのかな」

「いえ、この4月から4年生です」

「そうなんだね」


 意外と大きな妹さんだな。


「10年前に智也さんと出会ったとき、母は妊娠していました。その翌年の2月に妹が生まれたんです」

「そうだったんだ。美来の妹だから、きっと髪は金色で可愛いんだろうね」

「妹は可愛いですよ。わ、私に似ているかは分かりませんが。私よりも元気があって、とても活発な子で。男の子勝りなところもあるんですよ。あと、智也さんの言うとおり金髪です」

「なるほどね」


 僕のことを10年もの間ストー……見守っていた美来も、十分に元気で活発な女の子だと思うけれど。

 美来の妹さんのことを話していている間に皿洗いが終わる。


「一緒にやるとあっという間に終わったね」

「そうですね。楽しいです」

「じゃあ、食後の休憩を兼ねて、今日は何をするか考えよっか」

「はい!」


 部屋に戻り、僕は2人分のコーヒーを淹れる。僕のコーヒーはブラックで、苦いのがあまり得意ではない美来には砂糖とミルクをたっぷりと入れた。


「うん、美味しい。ゴールデンウィークを過ぎても、朝は涼しいから温かいものがいいね」

「ええ。私は夏でもたまに温かい物を飲んだりしますね」

「そうなんだ。そのコーヒーはどうかな。砂糖とミルクをかなりたくさん入れたけれど」

「何とか飲めましたけど、苦いですね……」


 そう言って美来は苦笑い。砂糖やミルクに何とか支えられているのかも。


「そっか。僕も最初は今の美来のように砂糖やミルクをたくさん入れたなぁ。確か、中学生のときだったかな」


 背伸びをしてブラックの缶コーヒーを飲んだときには、あまりの苦さに吐き出してしまった記憶がある。すぐに捨てたな、あのときは。


「では、飲んでみますか? 苦い物もいいですけれど、甘い物は頭の回転を良くさせるんですよ」

「……本当にいいの?」

「ええ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 僕は美来のコーヒーを一口飲む。ミルクと砂糖をたくさん入れたからか、とても甘くてまろやかだ。


「うん、とっても甘いね。美来が一口飲んだ後だからかな」

「ふえっ」


 そう喘ぎ声を上げると、美来は両手で顔を覆った。間接キスを指摘して僕のことをからかおうとしていたのは目に見えていたのでこっちから先手を打ってみたんだけれど、これがクリティカルヒットした模様。


「口噛み酒ならぬ口噛みコーヒーかな」


 口噛み酒は原材料を噛んで、それに含まれる成分と唾液と反応させて、発酵することで甘くなるんだったよな。

 美来が一口飲んだから、多少、美来の唾液が含まれている。そのおかげで甘くなった可能性も否めないのかな。


「何だか体が熱くなってきました」

「そっか。ごめんね、変なことを言っちゃって。でも、このコーヒーが美味しいのは確かだよ」

「智也さんが作るのがお上手だからですよ。……智也さんが飲んだということは、もしかして……!」


 急にはっとした表情となった美来はコーヒーをゴクゴクと飲んで、


「智也さんが飲んだからか、さっきよりは美味しくなった気がします!」

「そ、そっか。それは良かったね」


 今の美来を見て安心した。恥ずかしさを引きずったままだったらどうしようかと思ったから。


「そういえば、今日はどうしよっか。今日か明日にデートをしようって話にはなっていたけれど」

「そのことですが、私、行きたいところがあって」

「うん、どこかな」

「私、智也さんと一緒にカラオケに行きたいんです。小さい頃から音楽が好きで、高校では声楽部に入部したんです。それで、智也さんに歌声を聴いてほしくて……」

「今でも音楽を続けているんだね。音符のシールをくれるほどだもんね」


 僕は小さな金庫の中から、10年前に美来がくれた音符のシールを取り出す。


「もらったときと比べて、色褪せちゃったと思うけれど」

「……覚えています。同じシールを寮の私の部屋にしまってあります。嬉しいです。智也さんが大切に保管してくれていて……」

「また会ったときに、これを見せて今も音楽は好きなのかって訊こうとしたんだけど、先に答えを言われちゃったね。音楽が好きで、声楽部に入っているって聞いて僕も何だか嬉しくなったよ」


 あのときからずっと音楽が好きだったんだなぁ。もしかしたら、このシールは次に会ったときに自分の歌声を聴かせたいっていう意思表示だったのかも。


「じゃあ、お昼ご飯をどこかのお店で食べて、カラオケに行って、食材とか全然ないから帰りにスーパーで買い物をしよう。今日はそういう感じでいこうか」

「はいっ! 楽しみです!」


 あっさりと今日の予定が決まっていった。普段の休日は適当に過ごすけれど、こういう風に予定があるのもいいもんだな。そう思いながら、僕は自分の苦いコーヒーを一口飲むのであった。

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