第6話『土曜日の朝比奈さん。』

 5月14日、土曜日。

 ゆっくりと目を覚まし、スマートフォンで時刻を確認すると午前8時過ぎだった。平日よりはもちろん遅いけれど、休日としてはちょっと早い時間だな。


「んっ……」


 僕のすぐ側で、美来は僕の方に体を向けて眠っている。


「気持ち良さそうに寝ているなぁ」


 寝顔も可愛いけれど、僕の寝間着を掴んでいるところがまた可愛らしい。彼女の長い髪が顔にかかっているので、起きないよう慎重に彼女の髪をかき分けた。


「う、ううん……」


 僕が髪をかき分けたからか、美来は仰向けになる。すると、美来の寝間着の第1ボタンと第2ボタンが外れていることで、美来の胸元が少し見えてしまっている。結構大きめな2つの膨らみのおかげで、全てが見えてしまう心配がないのが幸いか。


「せめても、第2ボタンだけでもかけてあげるべきなのかどうか……」


 その瞬間に目を覚ましたら、美来にとんでもない誤解をされそうな気がする。う~ん、どうするべきか。


「ふわあっ……」

「美来、おはよう」

「おはようございます、智也さん」


 にこっ、とまばゆい笑みを見せてくれる美来。しかし、


「と、智也さん」

「うん?」

「その……言ってくれれば、私、起きて智也さんとしてもいいんですよ? 私、智也さんのことなら受け入れるつもりですから!」


 ちらりと見えてしまっている胸元を見ながら、美来はそう言う。顔を赤らめて。恥ずかしいなら、わざわざ言わなくてもいいんだよ……。


「いやいや、僕はそんなことをする気は全然ないって。それに、美来の寝間着のボタンが外れているのを知ったのも数分くらい前だし」

「そ、そうだったんですか……」


 どうして、そこで残念そうな表情を浮かべるのかなあ。


「僕はすぐに眠っちゃったけれど、美来はよく眠れた?」

「智也さんが眠ってしまった後も、まだドキドキしていまして……あれから1時間ほど眠れなかったです」

「そっか。それなら、もうちょっと起きていれば良かったかな」

「いえいえ! 私、智也さんの側でいられるだけでも嬉しいですし。それに、智也さんのことをたくさん感じることができましたので……」

「……そうなんだ」


 美来の方がよほど、僕に何かしようとしていたんじゃないか。いや、既に何かしているかもしれないけれど。寝る直前に、僕の体をさすっていたり、僕の口元に温かな吐息がかかっていたりしていたから。


「今日は土曜日なのでゆっくり眠ってしまいました。智也さんも休日だとこのくらいに起きるんですか?」

「ちょっと早めかな。いつもは9時くらいに起きるよ。でも、今日はすっきりとした目覚めだよ。美来のおかげかな?」

「そうですか? えへへっ、私も智也さんのおかげで、いつもより気持ちのいい目覚めになっています!」

「そっか。それは良かった」


 元気なのは何よりだ。そんな美来のことを若いなぁと思う。同時に、自分は年を取ったなぁと。

 いつも、僕は朝食を取らない。平日は職場についておにぎり1つ食べ、休日だと午前中はコーヒーくらいしか胃に入れない。

 けれど、美来がいると朝食なしというわけにはいかない。とりあえず、朝食のことについて美来に訊いてみるか。


「美来は朝食を食べる方かな」

「はい。毎日、三食しっかりと食べるようにしています」

「偉いね」

「もしかして、智也さん……朝食を取っていないんですか?」

「うん。朝はあまり調子が良くなくて」

「ダメですよ、ちょっとでも朝ご飯は食べないと。お腹が空いていると力が出なかったり、集中できなかったりしますから」

「はい、ごめんなさい……」


 初めて美来に怒られた。

 でも、美来の言うことは正しい。結局は昼前になるとかなりお腹が減ってしまい、仕事に集中できなくなることもある。朝食をしっかり食べていた学生時代にはそんなことはなかった。


「私のいる休日だけでも、しっかりと朝食を食べてもらいましょう。もちろん、朝食は私が作りますから」

「色々とすみません……」


 高校生の女の子に朝食のことで注意され、朝食作りの宣言までされる社会人。ここまでしてくれる美来にはとても感謝しているんだけれど、同時に情けない気持ちが襲ってくる。


「でも、冷蔵庫の中には食材はほとんどないし、ご飯も昨日の夜に全部食べちゃったからなぁ。朝食の分だけでも、近くのコンビニに一緒に買いに行こうか。そこは生鮮食品もちょっと置いてあるから便利なところなんだよ」

「そうなんですね」

「でも、買ってきてほしい食材を伝えてくれれば僕が買ってくるから、美来はゆっくりしていてもいいよ」

「いえ、一緒に行きます! むしろ、行かせてください!」

「分かった。じゃあ、着替えてコンビニに行こうか」

「はいっ!」


 僕と美来は寝間着から私服に着替え、一緒にコンビニへと向かう。


「何だか、同棲している感じがします」

「冷蔵庫に食材がなくて、朝起きてすぐにコンビニに行くからね。一緒に生活している感じはするか」


 僕と美来の今の服装が、部屋着のようにシンプルなのもそう思わせる一因かも。


「……智也さんと一緒に生活している、か。ふふっ」


 美来は嬉しそうに笑っている。僕と一緒に行動できることが本当に幸せなんだろうなぁ。そんな彼女の右手を僕はそっと握った。


「ふえっ、智也さん……?」

「美来ならきっとこうするんじゃないかと思って」

「……いつ、智也さんと手を繋ごうかなって考えていました。だからこそ、智也さんが手を繋いできたことに驚いちゃいました」

「やっぱり」

「でも、手を繋ぐのであれば、こういう繋ぎ方がいいです」


 すると、美来は指を絡ませてくる。


「こっちの方がその……恋人らしいといいますか」

「あははっ。確か、これは恋人繋ぎだって聞いたことがあるよ」


 僕には縁のないことだろうと思って今まで忘れていたけれど。指まで絡まっているからか、さっきよりも美来から温もりが強く伝わってくる。


「でも、僕と美来は恋人同士じゃないけどね」

「確かにそうですけど、そういうことをはっきりと言わないでください。ちょっとがっかりです。少しは女子高生の気持ちを考えてほしいです。まあ、私が一方的にプロポーズを2度もしてしまったことは事実ですが……」

「ごめんね。ただ、美来のことは大切に想っているよ。そんな女性じゃなかったら、僕の家には泊めてなんかないから。それだけは覚えておいてくれるかな」


 率直な想いを美来に伝えると、美来は目を輝かせて僕のことを見てくる。


「……もう、だから智也さんにキュンときちゃいます。智也さんはツンデレさんですね」


 えっ、こういうのをツンデレって言うのか? 僕、美来にツンとした態度もデレっとした態度も取った覚えはないんだけれど。

 僕がツンデレ? なことをしたからか、その後はずっと美来はご機嫌だった。

 美来は優しく笑顔も魅力的だから、きっと友達がたくさんいて、楽しい高校生活を送っているんだろうなぁ、と彼女の隣で思う。

 コンビニで朝食用の食材を買って、美来の作った朝食を食べるのであった。

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