第5話『初夜ミク』

 僕と美来が同じベッドで寝るわけにはいかないので、ベッドの横に布団を敷いた。


「美来はベッドで寝ていいよ」

「えぇ、一緒に寝ましょうよぉ。寝たいなぁ」

「美来の気持ちも分からなくはないけれど、その……美来と一緒に寝ると何かしちゃいそうで恐いんだ。だから、今夜は別々に寝よう」


 僕の家では別々の部屋に寝るということができないから、せめても同じふとんには寝ないことに決めたんだ。

 美来はちょっと寂しそうな表情をしながらも、


「……分かりました。智也さんがそう言うのであれば、今夜はベッドで寝ますね」

「そう言ってくれて助かるよ。僕がふとんで寝るね。そろそろ、部屋の電気を消すね。ベッドに備え付けのライトがあるから、暗いのが嫌だったら点けていいからね」

「はい」


 美来が僕のベッドに横になったのを確認して、僕は部屋の電気を消した。

 すると、外からの月明かりだけが部屋の中を照らす状況に。それでも、ベッドで横になっている美来の顔が分かるくらいに明るかった。


「じゃあ、おやすみ、美来」

「おやすみなさい、智也さん」


 僕もふとんに横になり、ゆっくりと目を瞑る。

 けれど、なかなか眠りにつくことができない。

 当たり前じゃないか。僕のすぐ側に高校生の女の子が眠っているんだから。色々なことを考えてしまって。ベッドを背にした体勢になれば少しは変わるかと思ったけれど、そんなことはなかった。

 美来の方はちゃんと眠れているかなぁ。そんなことを思ったときだった。


「智也さん、まだ起きていますか?」


 美来がそう呟く。


「起きてるよ。眠れない?」

「はい。智也さんが横にいると色々と考えてしまって。智也さんは?」

「僕も同じだよ」

「ふふっ、そうですか。私、智也さんが隣で眠っていることが嬉しいのに、ちょっと寂しく思えるんです」

「えっ……」


 すると、布の擦れるような音が聞こえて、僕の背中に温かく柔らかいものが当たる。寝間着越しだけれど、人肌程度の温かさと彼女の心臓の鼓動が凄く伝わってくる。


「ごめんなさい、智也さん。ちょっとだけでいいですから、このままでいさせてください」


 ぎゅっと寝間着を掴まれているのが分かる。


「……しょうがない」


 僕が頑張って理性を保っていればいいだけの話だ。

 ベッドの方に体を向かせると、そこには僕の方を向いて横になっている美来がいた。そんな彼女の眼は潤んでいる。


「ほら、ベッドに戻って。僕もそっちに行くから。ちょっと狭くなるけれど、それでもいいかな」

「……はいっ!」


 美来はとても嬉しそうな顔をして、ベッドの方に戻っていく。

 しょうがない。細心の注意を払って美来と同じベッドで一夜を明かすことにしよう。

 僕もベッドに上がって、美来の隣で横になる。やっぱり、2人で並んで寝ると、必ずどこかは当たってしまうな。極端に狭いわけじゃないんだけど。


「僕と体が当たっちゃうけど、それでも大丈夫かな」

「はい。むしろ、その方がいいくらいです」


 その気持ちを態度で示したかったのか、美来は僕の方を向いてまるで抱き枕のように僕の右腕を抱いてくる。


「何だか、さっきよりも鼓動が速くなってない?」

「だって、好きな人とこんなにもくっついているんですよ。しかも、初めて」

「……そう考えるとドキドキするのは自然なのかもね」


 大人の男性として落ち着いてそう言ったけれど、実際にはもう心臓が爆発しそうなくらいにドキドキしている。美来と2人きりで、美来は僕のことを結婚したいくらいに好きでいてくれて。そんな彼女と一緒のベッドで横になっていたら、どうにかなってしまいそうで恐いんだ。


「美来」

「なんですか?」

「……美来のことを抱きしめてもいい?」

「いいですよ。緊張しちゃうな……」


 美来はゆっくりと僕の右腕を離す。

 僕は美来の体を引き寄せるようにして、彼女のことを抱きしめる。思ったよりも華奢で柔らかいんだな。


「智也さん……」

「こんな素敵な女の子が僕のことを10年間もずっと好きでいてくれて、何だか夢のようだよ。今でも信じられなくて。けれど、美来はここにいるんだよね」

「はい。そして、智也さんのことが好きな気持ちはこの先もずっと変わりません。それだけは覚えておいてくれると嬉しいです」

「忘れるわけ……ないって」


 10年前のプロポーズだって覚えることができていたのだから。僕のことが好きだっていう美来の想いは絶対に忘れることはないだろう。

 美来のことを抱きしめて、段々と心が落ち着いてきた。美来の温もりと彼女から香ってくるシャンプーの甘い匂いが心地よいからだろうか。


「智也さんに抱かれて、私、凄くドキドキしています」

「そうか……」


 今の美来の言葉がチクッと胸に刺さった。


「智也さん……」


 僕の名前が聞こえた瞬間、

 ――ちゅっ。

 唇に近いところに温かく柔らかな感触が。

 慌てて美来のことを見てみると、美来は恥ずかしそうに微笑んでいた。


「今の私達に、口づけはもったいない気がしたので」


 彼女がそう言うのは再会して間もないからだよな。どんなに美来が僕のことを好きでも距離はまだあるか。


「でも、今……幸せな気持ちで包まれています。ですけど、私は智也さんと一緒に幸せになりたいんです。陰で見守ってはいましたけれど。10年間、智也さんと会えていなかったからでしょうか」

「……どうだろうね。ただ、僕はむしろ10年ぶりに会えたからじゃないかって思うよ」

「えっ……」

「美来のことを思い出しても、美来はどうしているのかなって思うくらいだった。でも、美来とこうして再会してみて、美来と一緒にいたい、美来のことを知りたいと思うようになってきたんだよ」


 今の時点では、僕と美来の想いの差がありすぎる。その差を埋めるためにも、僕はまず美来と一緒に過ごしてみて、美来のことを知っていく必要がある。その先に何があるのかは分からないけれども。


「僕にここにいる。だから、安心して」

「……はい!」


 そのとき、僕は今日一番の美来の笑顔を見ることができた気がする。それは10年前に僕へ告白してくれたときの笑みと似ていた。


「じゃあ、そろそろ寝ようか」

「はい。おやすみなさい、智也さん」

「うん、おやすみ。……僕が寝たからって変なことをしないでくれよ」

「しませんよ! それに、智也さんが起きてないと意味が……いえいえ、なんでもありません。智也さんこそ寝ている間に変なことをしないでくださいね」

「心配しなくて大丈夫だよ。じゃあ、おやすみ」


 僕はゆっくりと目を瞑る。

 何度か僕の体をさすられたり、口元に美来の温かな吐息がかかったりすることがあったけれど、気付かないふりをしておいた。10年ぶりに再会したことの喜びで抑えきれない想いがあると思って。

 同じベッドで寝ると彼女を意識してしまって眠れないかと思ったけれど、程なくして眠りについたのであった。

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