第4話『妄想ピンク』

 エクレアを食べる直前にちょっとしたハプニングはあったけれど、美来も美味しそうに食べてくれて良かった。


「甘いものが好きなら、明日か明後日、スイーツでも食べに行こうか。喫茶店とかでもいいし」

「是非、一緒に行きましょう! 初めての……デートですね」

「ははっ、そうなるね。明日か明後日、デートしよっか」

「はい! 楽しみだなぁ……」


 たまに敬語が崩れて心境を漏らしてくれるのが可愛らしい。

 家でゆっくりすることもいいと思うけれど、土日のどちらかで、どこでもいいから美来と出かけよう。それを俗にデートと呼ぶんだけれども。


「よし、食事が終わったから、次はお風呂かな」

「えっと、その……智也さんがお先でいいですっ!」

「そんなわけにはいかないよ。美来が先に入ってくれてかまわないから」


 昔、従妹とその友達が家に泊まりに来たとき、お風呂は女の子が先に入るものだと教えられた。それに、僕は特にお風呂に入る順番は気にしないし、美来の意志に従おうと思う。


「では、お言葉に甘えて。お先に入らせていただきますね」

「うん。もうお風呂に入れるから」

「はい、分かりました。えっと、その……私がお風呂に入っている間に、バッグの中を開けて下着を漁ったりしないでくださいね。恥ずかしいので……」

「……僕、そんなに信用されてないのかな」

「いえいえ、そんなことはありませんよ! 念のためですよ、念のため。でも、私とお風呂に入りたいのであれば、お好きなタイミングで入ってきても……かまいませんよ」


 にやけながらそう言う美来に対して、僕はどう返事をすればいいんだろうね。


「と、智也さん? 私、何か困らせてしまうようなことを……」

「困ってはないよ。ただ……」


 下着は見られたくないけど、裸は見ていいってことなのか? そう考えるのは美来だけかもしれないけれど。僕が想像している以上に、女の子の考えていることって複雑なんだなぁ。


「僕は下着も見ないし、美来と一緒にお風呂に入ることもしないからね。だから、安心してゆっくりお風呂に入ってきて。僕は皿洗いをしているよ」

「そうですか。分かりました……」


 残念そうな表情をするということは、彼女は僕と一緒にお風呂に入りたかったのかな。でも、裸になった美来が側にいると、僕だって男だから美来に何か嫌なことをしてしまうかもしれない。それが怖いんだ、僕は。


「じゃあ、お風呂に入ってきますね」

「うん、ごゆっくり」


 美来はバスタオルや寝間着など必要なものを持って浴室の方に行った。


「さてと、美来が風呂に入っている間に色々とやっておくか」


 僕は夕飯の後片付けをし、ベッドのシーツを取り替えた。美来と一緒に寝るわけにはいかないし、美来にはベッドで眠ってもらいたいから。


「……あっ」


 美来の制服のブレザーが、さっき彼女が座っていたクッションの近くに置かれていた。このままじゃ皺ができちゃうな。


「ハンガーに掛けておくか」


 美来のブレザーを持って、クローゼットに掛かっていたハンガーに手を伸ばそうとした瞬間だった。


「と、智也さん……!」

「うん?」


 美来の声が聞こえたので後ろを振り返ると、そこには水色の寝間着姿の美来が立っていた。


「智也さん、私のブレザーを持って……匂いを嗅ごうとしていたんですか?」

「そんなことない! 僕はただ、美来が座っていたところにブレザーが置いてあったから、ハンガーに掛けておこうかと思って」

「そうだったんですか。それならそれでいいですけど……」


 誤解されずに済んでよかった。匂いを嗅ごうなんて考えもしなかったよ。もしかして、美来に相当変態なイメージを持たれているのかな。あと、美来は俺のスーツの匂いを嗅いだりするのかな。

 美来のブレザーをハンガーに掛けて、僕のスーツのジャケットの横に掛けておく。


「そうしていると、まるで私達、夫婦みたいですねっ」

「僕はさすがに夫婦とは思えないけれど、同棲しているようには感じるかも」

「同棲……!」


 ポン、と美来から音が聞こえたような気がした。にやけた美来の顔は真っ赤っか。その場で倒れ込んでしまう。


「美来! 風呂に入りすぎてのぼせちゃった?」

「いいえ。ただ、この幸せな気分に浸ったまま永遠の眠りにつきたいです」

「何を大げさな。運んであげるから、ベッドに横になっていなさい」


 僕は美来のことをお姫様抱っこのような形で持ち上げ、ベッドに運ぼうとする。


「智也さんに抱っこされるなんて夢のようです」

「夢は見てもいいけど、決して死ぬんじゃないよ」


 美来をベッドに寝かせ、鞄の中に入っていた扇子で美来に風を送る。


「はぁ、気持ちいいですぅ……」

「気分はどう? 大丈夫?」

「はい。智也さんがここまで運んでくれたおかげで大丈夫です」

「そっか」

「また、助けてもらっちゃいましたね」

「……こんなこと、助けたうちに入らないと思うよ」


 10年前のことに比べたらさ。


「でも、また智也さんの優しさに触れることができたような気がします。智也さんは私にとって、たった一人の王子様です」

「ははっ、大げさだなぁ」


 お姫様抱っこのような感じでベッドまで運んだからかな。でも、一つ一つのことに大げさに反応してしまうところがとても可愛らしく思える。


「大分涼しくなってきました」

「良かった。お風呂に入りすぎると気持ち悪くなるときもあるから」

「心配をかけてしまってすみません」

「大丈夫だよ。僕が助けるから。でも、次からは気をつけようね」

「……はい」

「じゃあ、僕もお風呂に入ってこようかな。もしよかったら、テレビの下に録画したアニメとかドラマのBlu-rayが置いてあるから、好きに観ていいよ」


 そういえば、録画したけれどまだ観ることができていない作品が結構あったな。ゴールデンウィーク中はずっと観ていたんだけれど。


「はい、分かりました。では、ごゆっくり」

「うん」


 僕は下着や寝間着などを持って浴室に向かう。


「……さすがに美来の服はないか」


 洗濯機に美来の衣類が放り込まれているかもしれないと思って確認してみたけれど、中に入っていたのは僕の衣類だけだった。週末だけいるって言っていたから、寮に戻ったら一気に洗うんだろう。

 浴室に入ると美来の使ったボディーソープの匂いなのか、僕の知らない甘い匂いが浴室を包み込んでいた。


「あっ」


 僕が使っているボディーソープやシャンプーの横に何か置いてあるぞ。


「これ、美来の使っているものか……」


 おそらく、美来の使っているボディーソープやシャンプーだろう。こういうのを置いておくってことは、これから毎週末は僕の家に泊まりに来るってことなのかな。もし、そうだとしたら、夏休みには毎日僕の家にいることになるんじゃ。


「まあ、そのときに考えればいいか」


 僕は風呂で今日の仕事の疲れを幾らか取った。今日も色々とあったけれど、まさか美来と10年ぶりに再会して、僕の家に泊まることになるとは思わなかったなぁ。

 風呂から出て美来のところに戻ってみると、美来はベッドの下の引き出しを開けて何やら物色しているように見えた。


「……何をやっているのかな」

「男の人の家には、えっちな本やDVDが隠されているという都市伝説を耳にしたことがありまして。それが本当なのかなと……」

「僕の部屋にその都市伝説は通用しないんだ。一度も買ったことないよ」


 大学入学時に、学生の間に18禁のゲームを買うことを一つの夢にしていたんだけれど、当時は既に漫画やアニメの方にハマっていたのでゲームを買う気にならず。一つも購入することのないまま社会人になってしまった。


「あと、部屋を物色してもいいけれど、そのときは僕に一声かけてくれると嬉しいな」

「すみません。つい、確かめたくなってしまって……」

「その気持ちは分かるけどね。もし、そういうものが見つかったら美来はどうしてた?」


 ちょっとくらいは美来のことをからかってもいいだろう。

 美来は腕を組んでうーん、と考えると、頬を赤くして、


「……どぎまぎしてしまうと思います」

「まあ、そうなるよね」

「その後に、本やDVDと同じことを智也さんに求めてしまうかも……」

「……そう言うとは思わなかったよ」


 美来のような女の子のことを肉食系女子って言うのかな。10年前に抱いた美来のイメージが徐々に崩れ始めている。でも、10年経てば人は変わるよなぁ。

 これから僕と美来は同じ空間の中で一夜を明かすことになるけれど、理性を保ち続けることができるかどうか心配になってきた……。

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