裏道のグレー (社会人/身分差)

第1話






酷い所だ。


何度足を運んでも、この場所に慣れることはない。

確かにそこに居るのは人である筈なのに、生を感じられなかった。



いつも自分が立っている何もかもが高い場所から、私は稀にここに降りてくる。


髪を下ろして顔を隠し、着ている物の質も落とす。

色を捨てて、あの場所に溶け込むように。



今日ここに来たのは、数ヶ月ぶりだった。


冬の夜は、馬鹿みたいに冷える。

私はポケットに手を突っ込んで、足早に歩き回った。



表を歩けば、空っぽな子どもの高くて五月蝿い笑い声が響き、年だけを重ねた『大人』という名の未熟者が酒の匂いを撒き散らしている。


裏を歩けば――死と肩を並べる事になるのだった。



裏通りに入った私は、シャッターの閉まった店の数を数える。


1、2、3…前回よりも5つ増えていた。

一体幾つの店が、潰れたんだろう。

一体幾つの店が、まだ営業をしているんだろう。


白い息を吐きながら、私はゆっくりと歩いた。



ここに居る者とは、目を合わせてはいけない、接触してはいけない。

それが暗黙の――上で生きる者にとっての――ルールだった。



稀に、フラフラと歩くここの者とすれ違う。

その時に、肩でもぶつけてしまったら最期。

彼らはそれまで死にかけの様にしていたのを一変し、途端に狂気を向けてくる。


本気で殺そうとしている人間から飛んでくる拳は、なかなか恐ろしい。

出来ることなら、二度と体験したくない。



そんな危険な場所を、何故出歩くのか。

答えは簡単。




上よりも息がしやすいからだ。




けれども、そろそろ帰らなければ。


私が元来た道を戻ろうとした時。

一人の青年が、シャッターを背に座り込んでいるのが、目に入った。



フードをすっぽりと被った彼は、何やら手を動かしている。

ゆっくり近づき、私は息を呑む。


彼の手元には、美しい絵が広がっていた。



「…その絵を、私に売ってくれないか?」



しんと静まる裏道に、私の声が響いた。







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