コロ助
「あ~、つかれた~」
「だね~。さすがに今日は私も疲れたわ~」
だら~ん、とだらしなく腕をぶら下げ、やや前傾姿勢の私と明里は並んで歩きながらそう呟いた。時刻は夜の七時を回っており、夜空には星が瞬いている。
買い出しを終えて学校に戻った私達はすぐに他の担当の補助へと向かった。私は教室の飾り付けへ、明里は衣装の製作の方へ回り、クラス全員で作業へと取り掛かったのだ。私は教室の天井から吊り下げる飾り付けを手伝っていたのだが、これがまあ面倒臭い。
ハロウィン喫茶ということから、コウモリや白いおばけ、ミイラ等をイラストし切り抜いた紙に糸を取り付け、それを天井から垂れさせる。物の製作は至極単純なのだが、その張り付け作業が思った以上に重労働だった。
流れとしては脚立に登り、一ヶ所張り付けた後脚立から降りて次のポイントに移動。そしてまた登って張り付けては降りて移動……その繰り返しだ。聞いただけなら手間ではないように思えるが、実際にやるとかなりの時間を要してしまった。
その原因としてまず挙げられるのが脚立の高さだ。私の腰辺りまでしかなく、身長が一六〇に至らない私は一番上に乗ってギリギリ天井に手が届くぐらいだった。張り付けは糸を画鋲で天井に留める方法だが、一つ取り付けるだけでも四苦八苦したのだ。腕を伸ばした状態ではあまり力が入らなくてうまく刺さらず、画鋲を床に落としてしまうことを何回もしてしまい、その度に脚立を降りては拾いに向かい、再び天井へ腕を伸ばす。無理な姿勢と脚立から落ちないようバランスを取るため無意味な部位に無駄な力が込もり、必要以上の疲労を蓄積させてしまった。
「あ~、私ずっと上を向いていたから首が痛いわ~」
首を回しながら私は右手で首の後ろを揉みほぐす。筋肉痛のように固くなっているのが感触で分かり、早くお風呂に入りながらマッサージをしたい。
「由衣はいいじゃん。私なんかこれだよ?」
明里が両手を開いて私に見せてきた。その指には数多くの絆創膏が貼られている。
「クラス全員分の衣装だから数がとんでもなくてさ~。途中から握力がなくなってきたから、思った位置とずれて針がチックチクよ~。刺さった指にまた刺したくないから別の指で押さえたら今度はそっちにチクッ。痛いわイライラするわで何度衣装を引き千切ろうと思ったか」
「そっちも大変だったんだね。お疲れ」
お互いを労い、そして明日の事を考えると億劫になり、ズシンと身体に鉛のような重さがのし掛かってくる。
「……明日もまたやるんだよね」
「……でしょうね。だって、今日で終わんなかったし、まだまだやることあるみたいだから」
文化祭の準備が遅れているとはいえ、学生の身である私達は遅くまでの作業を禁じられている。基本は十八時を最終時間と提示され、それでも残って作業をしたい場合は担任の許可と付き添いが条件付けられていた。時刻になった時、担任の先生は残りは明日やれと一言告げたので、私達のクラスは居残りなく今日は解散となった。
「まあ、延長なく帰れたからまだ良い方なんじゃない?」
「かもね。まだ残っているクラスや学年は本当に悲惨なんだろうな~」
私達が帰る頃、校舎を見上げるとまだ明かりが点っている教室がちらほらと見えた。室内の様子は見えないが、開けられた窓から慌てた指示の声や揉めている声が聞こえ、それらを聞けば私達はまだ安泰なんだと少し安心できた。
「でも、おっかしいな~。文化祭の準備ってもっとキャッキャッ、ワイワイやって楽しいものじゃなかったっけ?」
「ああ、よく言うよね。文化祭は本番よりも準備している時の方が楽しい、って」
「私、本番へのワクワクはあっても現在の楽しさはそこまでないんだけど」
「大丈夫、それ私も一緒」
中学の時は今言ったような雰囲気で文化祭準備を行っていたが、さすが市のイメージプロモーションに使用される白峰学園。本番だけでなく下準備まで気合いが入っている。
「あ~、もういやだよ~。地味に指がヒリヒリする~。今でこれよ? 終わる頃には私の手は一体どうなっていると思う? 包帯巻くかもしれないよね?」
「いいじゃん、そのままミイラの役でもやれば?」
「役に成りきるために本当に怪我するとか聞いたことないから……」
私の冗談に明里が弱々しく突っ込みを入れる。普段の彼女ならもっとテンション高く返してきたはずだが、その返答が疲労と内情を示していた。明里の明るい突っ込みで気分を吹き飛ばしてもらおうと考えていたが、余力がないらしく、そして気持ちが痛いほど理解できたので私もそれ以降冗談を言わないようにする。
「……ん?」
すると、明里が急に立ち止まり、何かに気付いたような表情を浮かべた。
「明里? どうかしたの?」
「……スン……スン……」
私の問い掛けには答えず、明里は目を瞑り鼻をヒクヒクさせる。
「この芳醇な香り……間違いない!」
「明里?」
「ナリィィィィ!」
「ちょっ、明里!?」
意味不明の奇声を上げたと思うと、明里は一目散に駆け出した。私は慌てて後を追いかける。
真っ直ぐひたすら走る明里は、見えてきた十字路を左に曲がる。向かう先はどうやら駅方面のようだ。
いや、あいつくそ速いな! マジでどうした!? 疲労の臨界点が突破して気でもおかしくなったの!?
明里の豹変ぶりに軽い不安を抱きながら見失わないよう付いていく。すると、ある匂いが漂ってきた。
この匂い……えっ? まさか!?
近付くにつれその匂いは強くなる。そして、匂いの出所となるお店が視界に入ってきた。明里はそこへ向かって走り、キキィィ、と急ブレーキをかけるとお店の人に溌剌とした声を掛ける。
「おじさん! コロッケください!」
「おっ、嬢ちゃんじゃないか。いらっしゃい」
この地域に唯一ある揚げ物屋『揚げるんだ坂元』のカウンターにいる店主が明里に答えた。数秒後に私も到着し、店主に挨拶をする。薄汚れた年期のある白衣を身に付け、頭には青いタオルを鉢巻きのようにして後ろで結び、愛想の良い笑顔で白い歯を見せながら店主が話し掛けてきた。
「こんな遅くまでどうした? 遊んでたのか?」
「違うよ。ウチの学校土日に文化祭やるでしょ? その準備してたんだよ」
「ああ~、もうそんな時期か。嬢ちゃんらは何をやるんだい?」
「えっとね、ハロウィン喫茶をやるんだ」
「ハロウィン喫茶? ハロウィンってぇと、お化けかなんかかい?」
「そう。お化けが接客する喫茶店だよ」
「お化けが接客か~。でもよ、そんな店にして客来るのか? ビビって来ないんじゃないか?」
「チッチッチ。甘いよおじさん。最近の喫茶店は何かと組み合わせるのが定番なんだよ」
「へ~、そいつは知らなかったな」
「それよりもおじさん、コロッケコロッケ!」
「おお、悪い悪い」
明里に急かされて店主が店の奥へと引っ込む。
「明里、ずいぶん今の人と仲が良いね」
「うん。よくここに寄るから顔覚えられちゃってね。それから話すようになったかな」
「あっ、まさか昼に言ってたコロッケってここの事?」
「そう。ここのコロッケ、チョ~~旨いんだよ!」
握り拳を作りながら明里が力強く絶賛した。カウンターに並んである品物はコロッケ、メンチ、ロースカツ、野菜かき揚げなどといった定番メニューだが、一つ一つが大きく値段も手頃。コロッケに至っては一個九十円だ。スーパーとかで見るコロッケよりも二回りほど大きく、そしてお店から香る匂いからしても明里の力説も頷ける。
「急に走り出したのもここに来るためか」
「うん。ここの揚げ物の匂いを嗅いだからね。いつもならこの時間は閉まってるはずなんだけど、開いてる? って気付いたら居ても立ってもいられなくて」
「……ちょっと待った。あんたまさか、あの位置で匂い感知したの?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
いやいや待て待て、あんたは犬か! 走った距離を考えたら、あんたが感知したであろう場所からここまでは数キロはあるわよ!?
獣並の嗅覚を持っているな、と関心半分驚き半分の気持ちを抱く。そして、その間に店主が再び姿を表した。
「ホラよ、コロ助。揚げたてだ」
「わあ! ありがとう、おじさん!」
紙に包まれたコロッケを明里が嬉しそうに受け取る――ん? コロ助?
「コロ助って何?」
「おじさんに付けられた私のあだ名」
「どういう意味?」
「昔のアニメでコロッケが好きなキャラクターがいてな。そいつの名前なんだ。嬢ちゃんもウチでいつもコロッケばっかり頼むんで、俺が命名してやったのよ」
明里の変わりに店主が答えてくれた。名前の響きからゆるキャラみたいな感じだろうか。あまりアニメが好きではない私はよく知らない。
「どんなキャラクターなんですか?」
「そうだな~、簡単に言えば……二頭身でちょんまげ付けて、おもちゃの刀持ってる。んで、口癖というか語尾に『ナリ』って言うな」
あ、ちょっと可愛いかも。そういえば、さっき明里は『ナリィィィィ!』とか叫んでいたな。二頭身という点はどうかとも思ったが、どうやら明里は気にせずコロ助というあだ名を受け入れているようだ。
「ほら、君の分だ」
「え? 私は頼んでないですよ?」
店主がもう一つコロッケを差し出してきた。
「サービスだ。久し振りにコロ助が来てくれたからな。コロ助だけ食べて君が食べないのは可哀想だと思ってな」
「あ、ありがとうございます」
実はお腹がペコペコだったのでこの厚意は大変嬉しい。私はお礼を言いコロッケを受け取った。揚げたてということからとても熱く、湯気も昇っている。今日の文化祭準備で疲労困憊している私はこの熱と香り、そして隣で美味しそうにほうばる明里を見て思わず唾を飲み込み、それから口にした。
「……うわぁ、美味しい」
サクサクの衣。ぎっしりと詰まりながらもフワフワと柔らかいポテト。コーンが入っており、それが甘さと食感を際立たせている。シンプルでありながらも、今まで食べたどのコロッケよりも美味しかった。
「へへっ、ありがとうよ」
笑顔で手を振る店主。それからいくつか話をしたあと、私達は店を後にした。
「メチャクチャ美味しかったね」
「でしょ? あそこは最高なんだから」
明里のお小遣いの件ではくだらないと思っていたが、訂正しよう。この旨さと安さならたしかに毎日でも通いたいぐらいだ。五百円でも上げてほしい気持ちがよく分かる。
「そういえば由衣、校内をボッチャン姿で廻ったんだって? どうだった?」
「ぐっ……」
胸が締め付けられた。コロッケで癒されていたが、明里の一言でその時の光景がフラッシュバックする。
「えっ? えっ? どうしたの?」
「……いや、実はね――」
私はボッチャンで廻った際の出来事を明里に説明した。相手は親友の明里だから包み隠さず話すことができる。当然、その内容にはパンツを見られたことも含まれていた。
「そいつ、最低だね」
「でしょ?」
「誰だったの?」
「いや、知らない人。他クラスの男子だから名前もさっぱり」
私は肩を透かす。同クラスの男子ですらうろ覚えなのに、他のクラスの男子など顔も名前も知るはずがなかった。
「どんな見た目だった?」
「え~と、たしか身長は私より少し高いくらいで、髪は短かった」
「それじゃあほとんどの男子が当てはまるよ。何か特徴とかなかったの? 大きい黒子があるとか、左頬に十字傷があるとか」
「十字傷って……二回も同じ場所傷付けるとかバカじゃない――あっ、目」
「目?」
「うん。細いというか、眠そうな目付きをしていたな」
「う~ん、そんな男子いたかな?」
明里が首を傾げて唸っている。
「まあ、でもそういう奴とは関わりたくないな~」
「だよね。文化祭も会いたくないわ。いや、学校から消えて欲しい」
「ホシになって欲しいナリ」
「いや、無に還って欲しいナリ」
「……ぷっ」
「……くっ」
お互い語尾に『ナリ』を付けて喋ると、何かのツボに嵌まったのか私と明里はあははは、と大声で笑いあった。おかげで嫌な気分が払拭され、ちょうどタイミングよく明里との分かれ道へと至る。
「じゃあ由衣、また明日」
「うん、明日も頑張ろ」
おー、と手を掲げると、そのまま手を振り私達はそれぞれの帰路へ進む。さあ、また明日から大変だが気合いを入れていこう。
その気持ちを表すように、私は家まで走って帰った。
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