拷問

「何だあれ?」

「キャ~、可愛い!」

「痛っ。おい、気を付けろよ――って、うわ! なんだお前!?」


 ボッチャンに扮装して歩く私に、四方八方から言葉が浴びせられる。


 どこのクラスも追い込みを掛けている頃合いで、教室と廊下の出入りが頻繁に起きていた。日にちに間に合わせよう、そして隣のクラスに負けないよう、より目立つために廊下にまでその気合いは広がっている。今私の歩く一年四組(ちなみに私は六組)の前では進行が遅れているのだろう、慌てて作業している生徒の姿があった。そんな緊迫していた中を場違いなマスコットがプラカードを持って歩いているのだ。目立たないわけがない。そうなれば、嫌でも彼らの目に入ってしまう。


 もういや……早く帰りたい……。


 ボッチャンの目の穴は小さいので私の視界に入る生徒は少ない。しかし、それでも周りから奇異な目を向けられていることは肌でひしひしと感じている。被り物を身に付けているので顔は見えていないはずだが、実は透けて見られているのでは? という錯覚に陥ってしまうほどだ。


 大丈夫よね? 私ってバレてないよね?


 一歩踏み出すごとに新たな視線を受けているようで、内心は一秒でも早く去りたく、出来ることなら走って通り過ぎたい。だが、まだボッチャンの視界に慣れていないせいでゆっくり歩かざるを得なかった。大抵の人は私に気付いて廊下の端に避けてくれるが、頭が大きい分周りとの距離感が掴めず、たまに他生徒と身体や頭がぶつかったりしてしまう。本当なら口にして謝りたいところだが、恥ずかしさに無言で頭を下げるだけで精一杯だった。


 ううぅぅ、何よこれ。罰というより拷問じゃない……。


 まだ歩いて五分も経っていないが、気のせいだろうか目には何か水分が溜まり世界が歪んで見えてくる。気分は大昔にあったという魔女狩りにあった魔女のようだ。


 魔女狩りとは妖術や呪術といった不思議な力を持ち合わせた女性をそう呼び、彼女達は害をなす存在とされていた。その理由から捕まえては苦痛を与え、最悪死に至らしめていた……とかなんとか。


 この前の数学の授業で先生が蘊蓄うんちくを話していたのを思い出し、たしかそんな内容だったような気がする。本当はもっと難しい言葉や説明があったが、簡単に解釈すればこんな感じだろう。


 人混みの中、熱い(?)視線を受けながら歩き続け、どうにか階段まで辿り着く。


 私達生徒のいる校舎は東西に延びた長方形であり、その端に階段がある。通路だけ見れば漢字の『目』のような造りで、私が今いる場所は四階の左上部分。本当なら、六組にいた私はすぐそばの階段、右端の階段を下りることができたのだが、そこでは他クラスの生徒達が机やらを運んでおり行く手を遮られ、こうして反対まで歩いてきたのだ。


 委員長にはぐるッと廻ってこいと言われたので、一階まで下りた後反対の階段まで廊下を歩み、また上ってくればよいだろう。わざわざ三階、二階と下りて行く必要はないはずだ。というか嫌だ。


「さて、と。問題はここなのよね」


 私は階段をすぐには下りず、手摺に手を置いた状態で立ち止まって見下ろしていた。


 何回も上り下りしている、もう見慣れたはずの階段。いちいち下を見ることなく、友達とお喋りしながら歩いている階段。普段なら何の意識を向けずに進んでいるのだが、今はそれが違う。なぜなら階段のほとんどを目視することができないからだ。


 ……こんなに急だったっけ?


 被り物をしているとはいえ、ボッチャンはそれほど大きいわけではない。足元はともかく、下を向こうと思えば一~二メートルくらいの先は見えるのだ。しかし、今私が目にしているのは折り返しの床とその手前の2段だけで、それ以外は全く見えない。


 ヤバイ、怖くなってきた。


 毎日歩いているのだ。目に見えなくても歩幅は身体が覚えているだろう。特に気を付けなくてもいいはずだが、どうも足が前に出ていかない。気のせいか震えているようにも感じる。ただ被り物をして視界が狭まっただけでこうも世界の見え方が変わるものだろうか。


 脱いで歩くか? でも脱いだら自分の顔が晒される。今は階段に誰もいないが、いつ誰が上ってくるか分からない。そのために被ったままの方がいいのでは?


 そんな葛藤が私の頭で渦巻いていた。


 ええい、踏み外したら踏み外しただ! ビビるな私! 女は度胸!


 思考の末、私はそのまま下りることを決意。バンバン、と太股を叩き気合いを入れる。こういう時は頬を叩くだろうが、ボッチャンが邪魔で出来ないので太股で代用。最初はお尻も考えたが絵図的におかしいだろうし、万が一そこを見られたら何か誤解されそうなので止めておく。


 私は一度深呼吸をし、いつもの自分の感覚を信じて意を決して足を踏み出した。


 ――ストン。


 恐る恐る踏み出した足が地に着く。その位置も自分の思った位置と寸分の違いもなく、段の中央辺りを踏んでいた。


 ……やった! やった! 成功だ! 私は勝ったんだ!


 恐怖に打ち勝ち、私は喜びを表すようにガッツポーズを決める。そうだ、踏み外すわけがない。私は優秀、できる子なんだ。階段ごときに負けるわけがない。そして――。


「……アホらし」


 我に還って一気に冷める。


 一体何をしているのだろうか。たかが階段に踏み外すことなく、一歩の踏み出しが成功しただけでガッツポーズまでする。自分の行動に疑問を持った。


「小学生ならともかく、高校生にもなって何をしてるんだか」


 自分に心底呆れ、さっきまでの恐怖は何処へやら、私はスタスタと階段を下りていった。


 ****


 一階まで難なく下りきると、そこはまた違った世界が広がっていた。


 一階の廊下の中央には入り口、つまり下駄箱が存在し、私達生徒はいつもそこで靴を履き替えて校舎に入っている。文化祭当日、一般客もそこから校舎内へと足を運ぶ手筈になっており、一番人通りが多くなる場所と言えるだろう。そのため、入り口から私のいる階段の位置まで派手な装飾で彩られていた。


 床には一面の青とモコモコとした白の形、青空と雲を表現した模様が描かれ、色具合といい位置付けといい中々リアルであった。中央には道順を表す矢印が転々と続いている。本当に描いているのではなくおそらくシールか何かだろうが、本来の床である薄い灰色がほとんど見えないことから、相当な量のシールや色付けをしているのではないだろうか。床の絵だけでなく、その労力と積極性に圧巻されてしまう。


 天井からは紙製の飾りが垂れ下がり、壁やドア、窓には各教室の催しを書いたポスターを始め、学校側からの注意事項、案内図、アニメのキャラクターといった様々な物が所狭しと貼られていた。隙間があろうものなら許さないと言わんばかりにギュウギュウに貼られており、まるでその裏の何かを隠しているかのようだ。


 なんだか、今の私に似ているな。


 貼られているポスターやキャラクターはボッチャン。その裏に隠れている壁は私。本来の姿を隠し、凹凸のない身体を持つ私達は似た者同志――。


「――って、誰が壁だ!」

「ひぃ! えっ? あ、あの、ご、ごめんなさい」

「あっ」


 ビクッ、と小道具を抱えた男子生徒が震え、一言謝るとそそくさと私から離れて行った。壁に向けて言ったつもりが、どうやら階段から下りてきたのだろう男子生徒がいたことに気付かず、いきなり突っ込んでしまった。


 悪いことしちゃったな。


 油断していたとはいえ申し訳なく思いながら、やはり声は出すべきではないと改めて感じた。まだリハーサルとはいえ――いや、リハーサルだからこそ悪い印象を与えない方がいいだろう。ここには生徒が、しかも話題好きで、ホンの小さな噂でもあっという間に広がってしまう年代の高校生がいるのだ。本番前に事を起こしてしまえばそれがそのまま影響して広まり、最悪ならばそこにプラスで脚色され、私達のクラスの評判はガタ落ちだ。


 シャ、シャレにならん!


 ボッチャンはクラスのイメージキャラクターだ。当然、良い意味での宣伝媒体であり、悪く叩かれるキャラクターではない。我がクラスに立ち寄って楽しんで貰うため、これ以上トラブルを起こすわけにはいかない。


 本番さながらの気持ちを持って、私は目の前の空を歩いていった。


 ****


 どうやらこの階の作業はかなり切羽詰まっていたようで、反対側まで辿り着くまであまり声を掛けられなかった。みんな床や壁、そして手元の書類に集中していたのか、私は難なく進むことができた。ラッキー、と一瞬嬉しく思ったが、何か心に引っ掛かるものがあり振り返る。


 目線の先では一生懸命取り組む生徒の姿があった。汗を流し、声を掛け合い、一人一人の表情は真剣そのものだ。一つの作業が終わればすぐに次へと移行し、遅れている者がいれば補助へと入る。手や身体の動きを一瞬でも止めている者はおらず、誰一人手を抜いている者や怠けている者はいない。その姿から、この文化祭を心から盛り上げようとしているのが瞬時に理解できた。

 

 私、何してるんだろう……。


 ボッチャンの担当になり、衣装の製作には加わった。しかし、それだけで後は何も作業には協力していない。文化祭とはみんなで協力し合って準備、そして本番を盛り上げていくものだ。そう、目の前の生徒達のように。


 たしかに自分の仕事は終わった。しかし、他の担当はまだ滞っていたはずだ。終わったからといって、本当に何もしなくていいのだろうか?


 私も何かしなくちゃ。


 彼らに負けないように手伝おうと考えた私は、急いで教室に帰ろうと振り返った。


「イテッ!」

「キャ!」


 振り向くと同時に誰かとぶつかってしまった。その反動で床に倒れ、突然の事だったので受け身も取れずに私はお尻を強く打ち付けてしまう。


「いった~」


 痛みに身動きが取れず、私はお尻を押さえながら痛みが引くのを待った。


「……ふむ」


 ようやく痛みが引き余裕ができた私は、頭上から溜め息に似た声を聞き、顔を上げてぶつかってきた相手を見てみた。


 足先から順に見ていくと、上履きの踵部分を潰さず履き、ズボンを穿いていることから男子生徒であると分かった。真ん中にはしっかりと折り目が付いており、シャツもキチンとズボンの中へと入れている。男子生徒の多くは制服を着崩しているのだが、目の前の男子は規則を守って身に付けていた。中々好印象だ。それから視点を顔へと移してみる。


 眠そうな細い目をしており、小顔であるが整った顔立ちをしている。黒の短髪で、第一印象は大変良い。どちらかと言えばイケメンの部類に入るのではなかろうか。


 なんだ、こいつ?


 しかし、私は疑問を持った。ぶつかってしまったのは私の不注意が原因とも言えるが、相手にも非がないとは言えないはずだ。ましてや私は女。「大丈夫?」と声を掛けることもなければ手を差し伸べるわけでもなく、ただ顎に手を当て立ち尽くし見下ろしていた。


「ふむ。悪くない光景だ」


 また男子生徒が発言する。光景? と首を傾げ、彼の目線の先を追ってみる。どうやら床を見ているようで、私も視線を下げていく。だが、そこで彼が床を見ていないことに気付いた。


 私は床に倒れてからそのままの体制であり、真正面から見ればM字に足を開くという両膝を立てた状態だった。そしてボッチャンに扮した私はスカートを身に付けている。つまり……。


 わあぁぁぁぁ!!


 私は慌てて足を閉じ、スカートを押さえる。しかし後の祭り。今さら隠しても意味がなかった。


 さ、最悪!!


 みるみる顔に熱が溜まり始める。顔を見られるとか格好が恥ずかしいとかのレベルではない。頭部から蒸気が出るくらいにまで熱が集まり、今すぐ死にたい気分だ。


 というか、こいつ。指摘せずにずっと私の下着を見ていたのかっ!?


 その事実に気付き、今度は怒りの熱が加わり始める。もう蒸気が出ているに違いない。それぐらい頭が熱いのを自分自身で感じていた。


「おい、あんた。その衣装――」


 怒りと恥ずかしさに苦しんでいると、ようやく男子生徒が私に声を掛けてきた。今さらか! とも思ったが、やっと手を差し伸べる気になったかと思い、気持ちが和らいでいく。しかし、次の一言でそれが砕かれた。



 身体が硬直する。聞き間違いだろうか、今こいつ、何て言った?


「色気が足りない」


 私の心中を察したかのように男子生徒が同じ台詞を吐いた。


「なんだその衣装は? 肌の露出が少なすぎる。スカートの丈はまだ長いが、素足を出しているからまあ及第点としよう。だが、なぜ腕も出さない? そんな黒いカバーなど邪魔だろう、バランスが悪すぎるぞ」


 いきなり衣装についてダメ出しを言い始めた。露出? バランス? 偉そうに指摘しているが、誰だお前は。私は男子生徒の名も知らないし、相手も知らないはずだろう。初対面の人によくこうもずけずけと言えるな。


 いくつか突っ込み所が満載だが、一つ判明したことがある。私の下着を凝視していたことといい、衣装について色気とか言っていることといい、好男子の印象を抱いていたが完全撤回だ。こいつはド変態のドスケベだ。


「――だいたいなぜ紫なんだ? そのカボチャの被り物は茶色だかオレンジの混ざった感じだろう? ならば衣装もそれに合わせるべきではないのか? 合わせなくても、せめてマントとかで補え――、っておい、何処へ行く?」


 それからも男子生徒はずっと衣装について指摘し続けていたが、私は無視して階段を登り始めた。こんなド変態に付き合う必要はない。さっさとこの場を離れよう。


「まあ、お前みたいなじゃ色気は無理か」


 ピタッ、と歩む私の足が止まる。


「その姿はおそらくクラスの出し物の宣伝目的だろうが、なんでお前みたいな身体の持ち主がマスコット成るキャラクターを任されているんだ? キャストミスじゃないのか?」


 男子生徒の一言に身体が一瞬硬直するが、その後上った階段をゆっくり下りて男子生徒に近付く。


「胸元のリボンなんて要らないだろう。そこはハートの形にくり貫いて谷間を見せるべきだ。たったそれだけで印象は違うが、お前みたいな断崖胸じゃ――」

「フンッ!」

「オブッ!?」


 まだご高説の最中であったが、私は気にせず男子生徒の腹部に膝蹴りを咬ましてやった。メリメリッ、という肉に食い込む感触が伝わるが、それでも引くことはせずにむしろ撃ち抜くつもりでさらに押し込む。


 こいつは言ってはならないことを言ったこいつは言ってはならないことを言ったこいつは言ってはならないことを言ったこいつは言ってはならない――!


 見事な膝蹴りが炸裂し、男子生徒は床に崩れ落ち呻き声を上げながら悶え始める。


「#%&`ゴ@∞¥√ギ……っ!」


 声とも言えない音が男子生徒の口から発せられ、相当苦しいことが窺える。だが、私は声を掛けることもなく、その場を後にした。


 中々強烈であるが、それが私と彼との初めての出会いだった。

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