第9話 血と孤独
「……この魚は……このお堀の主ですね? 滅多に姿を現さないとても大きな魚だと」
「はい。その主こそが『かの君』。私がここにいてかの君をみつめている限り、外に出てくることはありません」
「……ここの主は人を喰うのでしょうか?」
「あなたがそう思うのはあのステンドグラスのせいですね。ステンドグラスの絵をそのまま見れば、そうのように思われるのは無理もないこと。ですが、少し違います。かの君は恐ろしい外見とは裏腹にとても寂しがり屋のおとなしい魚なのです。本来、主食もお堀に住む小さな魚などです」
そう言ってから、少々意地悪くリュは笑った。
「魚の背後にある目のことは質問されないのですか?」
アルコはリュを見て、それからもう一度ステンドグラスを見た。蒼い大きな目もじっとアルコを見返している。
「あれは、あの大きな目はあなたの目……いえ、あなたがた一族の目……」
「禍々しいでしょう」
戸惑うようなアルコの言葉をリュは軽く返した。
「私たちは先祖代々、ずっとみつめ続けてきたのです。みつめるために生を受け、みつめることで一族の血を守ってきたのです」
「一族の血」
「はい。血を絶やすことなく次の世代に受け継ぐためにも、私はみつめ続けるのです。それがこの世界の平穏にもつながります」
「魚を……あなたのいう、かの君を暴れさせないため、ですね」
「そうです」
「あなたが死ねば、次の魚のぞきはあなたの子が継ぐと聞きました。どうしてそのような不毛な輪廻を甘んじて受け入れるのでしょうか」
「簡単に申し上げれば、運命だから、でしょうか」
リュの言葉に反応するようにまた水面が大きく泡立った。
それにアルコは冷たく一瞥をくれるとやはり冷たく言う。
「運命? 違う。それは惰性だ。先祖代々、作り上げられてきた運命という名の惰性にあなたは身をゆだねているだけです。その方が楽だから」
「おっしゃる」
リュは優しいが、毒を含んだような笑い方をした。
「あなたにはお分かりにならないでしょう。血を絶やさず、一族とともにあること。その貴さが」
「つまり……」
考えながらアルコは言った。
「つまり、私にはともに血を分かち合う血族などいないとおっしゃりたいのですね」
「あなたは水晶宮からいらしたのでしょう。なら、孤独だ」
言い切られて、アルコは言葉を失くす。
そして、不意に水晶宮での暮らしを思い出した。
優しかった先生や共に暮らした仲間たち。こちらの世界に降りたってからあまりの展開の激しさに、ついぞ思い出すことはなかった懐かしい日々が胸に押し寄せてきた。
……孤独。私は孤独なのだろうか?
「……確かに、私には血のつながりのある者はここには見当たらない。私は私自身、何者であるのかも分からない。だから、旅をしているのです。
私にとって、確かなものはこの太刀『散菊』だけです。この太刀にかけて生きていくしかありません。それを孤独というのなら、そうなのでしょう」
「やはり、あなたは自由だ」
リュは優しく言った。
「うらやましい」
「うらやましいとそう思われるのなら……」
その時、ざんと耳元で水音がした。
先ほどの泡立つ程度の話しではない。水面は大きく波打ち、引き裂かれるほどの勢いで揺れている。弾かれるように立ち上がったアルコは、咄嗟に太刀を掴んでいた。いつでも鯉口を切れるよう腰を落として構える。水の奥にいるものは確かに、アルコに敵意を持っていた。
「お待ちください」
リュが強く、アルコの腕を抑えた。
「これはただの幼い嫉妬。太刀を抜かないでいただきたい」
「しかし……!」
「あれはここの主にして、我が祖先!」
「……祖先?」
不意に、アルコの力が抜けた。
「それは……どういうことですか」
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