第7話 神殺し

「そんなこと……」

 しばらくして、やっとアルコは言った。

「人は自由です。どこにでも行ける」

「あなたならそうでしょう。旅の剣士」

 リュは優しくアルコをみつめた。思わず、アルコは目を伏せる。心が騒いだ。


「あなたならどこへでも行ける。けれど、私はそうではありません」

「……どうしてです?」

「呪い、ですよ」

 彼は重い言葉を明るく言った。

「この身にかけられた呪いはタチが悪く、切れることなく先祖代々受け継がれているものなのです」

「呪いなら解く方法もあるでしょう」


「いいえ」

 リュはきっぱりと否定する。


「……あなたの噂はよく聞くと先ほど申しました。

 ハクさまのことも知っております。……その見事な太刀。それでハクさまを……神を斬られたのですか」


「神ではありません」


 まっすぐにアルコはリュを見て断言した。

「あれが神だというのなら、この世に救いはない」


「そう。あなたはハクさまをただのけものという。けれど、それを神と崇めることで心の平穏を保ち、生きていくことができる者たちもいたのです」

「弱い……」

「そうですね。何かにすがるのは弱い者の生き方でしょう。あなたのようにお強い方にはお分かりにならないでしょうが」

 リュは含み笑いを漏らした。


「人はある程度、制約が無ければ生きていけないものです。神や物の怪の類を恐れ、あるいは崇めることでそれを心の安定にして生きていくのです」

「心の安定?」

「これを信じて禁忌を犯さなければ私たちは災厄を受けることなく、守られて生きていける……そう思うことで安心できるのです。その延長線上にハクさまの生贄の儀式があったのでしょう」

「生贄を差し出せば災厄は訪れない。幸せに暮らせる……」

「はい」


 微かに頭を下げて、リュは言った。

「それであの村は今まで何事もなく無事に暮らしてこられたのです。彼らにとってハクさまは唯一無二の大切な存在……守り神だったのです」


「馬鹿な」

 アルコは言下に言った。


「私は神を否定しているわけではありません。ただ、あの獣……大狐は断じて神ではない。神が人を喰らうなど」

「だから、お斬りになった。その太刀で……」

 リュはじっと彼女の手元にある大太刀をみつめた。

「……その太刀、鞘から抜くと菊の花が散る、というのは真実ですか?」

「はい。それが由来となってこの太刀の名は『散菊ちりぎく』と申します」

「そうですか。それは……美しいのでしょうね」


 アルコも太刀に目を落とした。

 朱鞘に納まった美しくも怜悧な太刀。

 その真直ぐな刀身は、今まで随分と血を吸ってきた。次にこの鞘から太刀を抜き、菊の花を散らす時は同時に何者かの命をも散らすことになるのだろう。

 アルコは密かに憂鬱になった。


「……ハクさまの生贄の儀式が悪習と思っている方は他にもいらしたはず。しかし異を唱え、行動を起こす勇気のある者は今までおりませんでした」

 リュはアルコの様子を静かにみつめて、言葉を続ける。

「古くからその土地に深く染みついている習慣はそうそう変わるものではありません。ところが突然、あなたという人が現れて、何の躊躇もなくそれを斬り捨てた。……爽快ですらあります」

 そして、初めて声を立てて笑った。

「あなたは本当に自由です。何ものにもとらわれない。神殺しすら畏れない」

「嫌味に聞こえます」

 アルコは憮然とした。

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