第6話 バルコニーから

「あなたの噂は城内でも持ちきり。美しい旅の剣士がイエン様のお館にご滞在であると。美しいだけでなく、大層お強いとのこと」

「……いえ」

水晶宮すいしょうきゅうからいらしたというのは本当ですか」

「水晶宮とおっしゃる」

 アルコは少し目を細め、相手の表情を探るようにみつめた。

「その名で呼ばれるのは珍しい。大抵の方は『漂流する城』と」

「はい。その名で呼ばれる方が通りは良いでしょう。ですが、水晶宮という名は美しい。私はその美しい名で呼びたいのです」

「そうですか」

 思わず微笑んだアルコに青年も微笑み返すと言った。

「水晶宮は時空を漂う自由な城と聞きました。見るからにあなたは自由。うらやましい限りです」

「そうでしょうか。私は自由、でしょうか?」

「私にはそう見えます」

 言って、彼はゆっくりとアルコの方に歩み寄った。窓から差し込む日の光が彼の姿を優しく浮かび上がらせ、ようやくアルコは青年の姿をはっきりと認めることができた。


 薄い茶色の髪に透明の瞳。物憂げに微笑むそれは、アルコがバルコニーで見た青年の姿そのままだった。

「申し遅れました。私が魚観察の命を受けておりますリュと申します」

 そして、深く頭を下げる。

「アルコさまには、何か私に御用がおありと」

「いえ」

 慌てて、アルコは言った。

「用というほどではないのです。ただ、私は少しあなたとお話ができればと……」

「話し、ですか」


 困惑したようにリュは首を傾げた。

 不振がられるのは尤もだとアルコは思った。だが、自分の気持ちをどう伝えればいいのかは分からない。

 この訪問の理由を言ってしまえば、ただ魚のぞきと呼ばれる青年の存在が気になっただけだ。何を思い、何を感じて毎日、お堀の水面をみつめているのか、それを知りたいと思ったのだ。しかし、それは考えてみれば大きなお世話と一蹴されてしまいそうな訪問理由だった。


「外に出ましょうか」

 口ごもるアルコに優しくリュは言うと、その見事なステンドグラスの窓を押し開き、やはり優雅な手の動きでバルコニーへとアルコを促した。

 実際に降りてみるとバルコニーは外側から眺めているより広かった。この城のこうした距離感の誤差は当たり前のことなのだが、アルコはあたりを見回し感嘆の声を上げた。

「……広くて綺麗なバルコニーですね」

「はい。ここにも何かしらの術が掛けられているようで、こんなに外に張り出しているのにもかかわらず、雨や雪、風などに晒されることもなく、痛むことも汚れることもありません。……座りませんか」

 バルコニーの先端の丸くカーブしている場所に、木で造られた椅子がふたつあった。そこには柔らかなクッションが置かれ、見るからに座り心地が良さそうだった。

「あなたはここに座って、いつもお堀を見ているのですね」

「はい」

 椅子に座りながら、リュは頷いた。

「ここが一番、水面を見るのに都合がいいのです」

「それはそうでしょうが」

 アルコは肩に掛けていた大太刀をそっと下ろすと、用心深く手元に引き寄せながら、リュの隣の椅子に自分も腰を下ろした。そして、目を上げた瞬間、はっと息を呑む。

 座ったことにより目線が低くなり、あたかもこちらに水が迫ってくるような圧迫感に襲われるのだ。


「……人は慣れるよう、便利に作られているのです」

 アルコの様子を見て、リュは言った。

「初めてここに座られた方はみなさま、今のあなたのようなお顔をされます。……ええ、分かっています。水が目の前に迫って来るように見えて恐ろしいのでしょう? しかし、それも毎日のことならいつしか慣れてしまうものなのです」

「慣れ、ですか」

「ええ、私の居場所はここしかありませんから、慣れるより他にないのです」

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