第5話 城内案内人

 アルコは、イエン家当主の口利きにより、魚のぞきの青年から招待を受けることができた。そして今、彼女は青年の元を訪れるべく、城のお堀にかかる跳ね橋を渡り切ったところだった。

「……私はアルコ・イリスと申す者。魚観測人に会いに来ました」

「お待ちしておりました、アルコ・イリスさま」

「あの、この太刀は持ち込んでも構いませんか」

 背中に差した大太刀の存在を気にしながら、彼女はひざまずく案内人に言った。

 身分の高い者ほど謁見の際、武器の携帯を嫌がる者は少なくない。魚のぞきの青年がそれを気にするとは思えなかったが、念のため、アルコは尋ねた。

「構いません。武器の携帯については何も申しつけられておりませんから」

 低い声で案内人はそう言うと音もなく立ち上がり、滑るようにアルコの斜め前を歩き始めた。


 宙に浮いているかのように歩く案内人の背中を追いながら、アルコは奇妙な違和感を覚えた。この者、本当にここに存在しているのだろうか? そんな当たり前のことを疑いたくなる存在の曖昧さが案内人にはあったのだ。


 ここに赴く前に、サラサが言っていた言葉を思い出す。

『城内案内人は、人に非ず。かつて城に術を掛けた魔術師のひとりが、術と呪いにまみれた城の今後を憂いて作り出した呪い人形だという説がございます。

 布きれに藁を詰めた人形をいくつも用意し、それに呪いを吹き込み、城の住人や客人を安全に導くための城内案内人を作ったのだと。……この話、真偽のほどは定かではありませんが、城内案内人が得体のしれない者ということは事実。……くれぐれもお気をつけくださいませ』


  サラサさんは人が悪い、とアルコは唇だけで微笑んだ。他国からやってきた若い娘をからかって楽しんでいるのだ。

 とはいえ、目の前を歩くこの城内案内人が尋常でないことは一目で分かる。

 アルコはマントを羽織る胸元を固く合わせた。どこからか冷たいものが入り込んでくるようで、落ち着かなかったのだ。


 城内案内人がアルコを導いたのは石の扉の前だった。灰色をしたそれはしんと冷たく、入ってくる者を拒んでいるように見えた。アルコがもの問いたげに案内人を見ると、彼は無言で一礼を返し、そのまま後ずさって廊下の闇の向こうに消えていった。


 取り残されたアルコは扉の前で逡巡した。

 通常なら、扉を叩いておとないを入れるところだが、この扉にそのようなことをするのはいかにも無粋に思えたのだ。それでも、ここにずっと立ち尽くしていることも出来ず、アルコは冷たい空気を振り払うようにして扉に改めて向かった。

 一呼吸おいて、訪ないを入れようとしたその時、まるで計ったように内側から扉が開いた。はっとするアルコに、扉の向こうの者は言う。

「……お待ちしておりました」

 穏やかな青年の声だった。そして、扉からたおやかな手が伸びて優雅な動きでアルコを室内にいざなう。


「どうぞ、お入りください」

 おとなしくアルコは従った。

 そうして室内に入った途端、彼女の目に映ったのは大きなステンドグラスの窓。アルコは吸い寄せられるようにそれに歩み寄った。

 そこには見たこともない大きな魚が描かれていた。水中から高く空に向かって跳ねている魚。背後にある蒼い球体は月だろうか。

「……この窓がバルコニーに続いているのですね」

「そうです」

 背後で扉の閉まる音と共に、青年の声がした。

「出てみますか? バルコニーから見るお堀の景色も良いものです」

 アルコはゆっくりと声の主を振り返った。

 彼は部屋の隅の闇にまぎれるようにして立っている。アルコはそこで初めて自分がまともに挨拶をしていない非礼に気が付き、慌てて言った。

「失礼いたしました。私はアルコ・イリス。旅の剣士です。お話は通っているかと思いますが……」

「はい。存じております、アルコ・イリスさま」

 青年は少し笑ったようだった。

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